第160話 竜族に挑め
竜族の谷二日目。
いつものように朝早く目覚めた千尋は、朝の準備を整えて外へと出て行く。
自然を無視したこの地だが、太陽までは無視できないようでまだ外は暗い。
しかし寒い地方、寒い季節なのにもかかわらず朝の少し肌寒い程度の気候だ。
車からポットとコーヒーセットを取り出してヒートの魔石で温め、コーヒーを持って昨日作ったベンチでこの地の朝を楽しむ。
静かな暗い朝だが、今まで感じる事のなかった朝の空気はまた新鮮だ。
頭上の満点の星空を見つめながらコーヒーを啜る。
目が覚め頭がしっかりしたところでいつも通り魔力訓練を始める。
新たに魔力球を作り出し、限界まで肉体を強化しながら魔力の操作を意識から遠ざけていく。
少ししてリゼとアイリ、エレクトラが起きて来て、輝く千尋を見ながらコーヒーを淹れる。
ミリーはまだ魔力が完全回復していないだろうともう少し寝かせておく事にした。
目の前で話をしても名前を呼ばれるまで反応する事がない程集中している千尋はエレクトラから見ても不思議に見える。
人はそれ程までに集中力を高められるだろうか。
ありとあらゆる事象に対して反応せず、魔力のみに意識を集中するなど人間業とは思えない。
そして自分の師であるヴィンセントと互角の戦いをし、勝利を収めた蒼真と同等の力を持つという千尋の存在はエレクトラの目には異様に映ってしまう。
だがこのパーティーにおいて中心としての存在感、不思議な魅力があるのも事実。
まだ世界を知らない自分にとって千尋も眩しいとさえ感じる存在だ。
リゼやアイリも自分よりも優れた能力を持ち、普段から自己を高めようとこうして努力する。
自分より歳下ではあるが、エレクトラにとって追いかけるべき先輩だ。
リゼとアイリに続いて魔力操作の訓練を始めるエレクトラだった。
空が明るんでくるとエルフ族の住民達も目を覚ますようで、農具を持って動き出すエルフ達が視界に入る。
こちらに気付いたエルフ達と挨拶を交わしつつ魔力操作を終えるリゼ達。
美男美女揃いの若いエルフ達が農具を持って歩き回る姿は何というか違和感を感じなくもない。
そもそもエルフ族には老人がいないのだ。
最も年齢が高そうなエルフでさえ見た目三十代半ばといったところか。
大人の魅力を感じさせるエルフにドキッとしたのはここだけの話。
ミリーが起きて来たところで千尋に声を掛け、笑顔と共に挨拶をする千尋。
「竜族の谷はいいねー。すごく集中し易かったから魔力球を一つ増やせたよ」
いい笑顔を見せる千尋にリゼは鼻血を噴きそうになるが何とか堪える。
エレクトラから見ても綺麗な千尋だ。
リゼが鼻を押さえる気持ちもわからなくもない。
朝食にどうぞとエルフ達がパンのような物を持って来てくれた。
自分達の知るパンではないが、焼き目のついたそれは少し固めの非常食、乾パンに近いのか。
七時になると蒼真と朱王を起こしに行き、朱王をミリーが、蒼真をアイリとエレクトラが起こす。
蒼真の頬をつつくとゆっくりと目を開け「おはよぉ……」と言いながら目を閉じる。
毎日こうだ。
またツンツン攻撃して起こすのが日課となっている。
朝食はさっきもらった乾パン擬きをアレンジして食べる事にする。
車の冷蔵庫に入っているチーズを乗せてエルフからもらったハーブを飾って温める。
他にも干し肉を乗せたもの、チョコレートを乗せたものも用意。
ついでにもらった野菜のサラダに砕いてクルトン代わりに入れた物など、乾パンを使った料理を複数作ってみた。
ミリーとエレクトラがクリームスープを作り、準備が出来たところで竜人達とクラウディアがやって来る。
「何故お前達が作る料理はそんなに美味そうなのだ…… それは我々の主食のクルクルだろ?」
乾パン擬きはクルクルというらしい。
名前の由来はよくわからないが気にしない。
「たくさん作ったし一緒に食べようよ!」
皆んなで朝食を摂るが、クルクルはほんのりとした甘さがあって素朴な味でそこそこ美味しかった。
アレンジした料理も好評で、チーズ乗せの温めたクルクルは膨らんだパンのように柔らかくてまた美味しい。
最後は果実のミックスジュースを飲んで朝食を終えた。
そろそろ本題に入ろう。
「よし、朱王よ。久々に殴り合いでもしようか」
「今回もあのご都合主義の洞窟でやるのかな?」
「なんだそのご都合主義とは。エマの洞窟だと言っているだろう」
「エマの洞窟ってなんだ? 空中戦をするんじやないのか?」
「行けばわかる。儂も入るのは久し振りだ」
よくわからないままエマの洞窟に向かう事になり、エリオッツに連れられて歩き出す。
先頭を歩くエリオッツと朱王。
会話をして笑い合いながら歩く姿は友人同士のようだ。
以前朱王に友人とは珍しいと聞いた事があったが、竜王とは友達なのか。
他の竜人達もこれから戦う相手だというのに馴れ馴れしく話し掛けてくる。
普段退屈している竜人達にとっては今この時間も楽しく感じているのだろう。
エマの洞窟は竜の谷の最奥、左右の山が重なり合った位置に洞窟があった。
大きな洞窟で中は真っ暗だ。
中に入ると何も見えない程に暗いが、リルフォンの暗視機能を利用して奥へと進む。
「ところでエリオッツ。リルフォンに表示されてると思うけど総魔力量はどれくらいあるんだ?」
「一、十、百、千、万…… 1,332,461ガルドと出てるな。これは高いのか?」
「「「「「「!?」」」」」」
「高いね…… さすがは竜族」
「魔力量だけなら竜人となって随分と下がったんだがな。朱王はどうなんだ?」
「22万ちょっとかな。人間にしては高い方だけど」
エリオッツの魔力量には驚かされたが、朱王も感覚がおかしい。
22万ガルドもの魔力量で人間にしては高い方どころかぶっち切りで一番高い。
竜王であるエリオッツに比べて他の竜人達がそれよりも劣るとしても、100万ガルド前後はあるだろう。
魔力量が十倍近い相手に、どう戦うか悩むところだ。
洞窟の奥に着くと、石柱の上に煌々と輝く魔石が一つ置いてある。
「これがエマの魔石。魔力を流すと亜空間へと転移できる優れものだ。意識を失うと弾き出されるから安心していい」
「ご都合主義……」
「だな……」
エリオッツが魔力を流し込むと魔石へと吸い込まれた。
続いて朱王も転移する。
魔法陣のない転移装置のようだ。
順番に魔力を流し込んで転移していく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
転移先の亜空間は何もない荒野だった。
しかし転移されるのは同じ場所のようで全員が光る地面の上に立っている。
この光は空へと向かっており、遠くからでも視認できるようだ。
「じゃあ皆んな、死なないように頑張ってね」
「邪魔にならんよう全員離れて戦うようにな」
飛行装備を広げて飛び立つ朱王。
エリオッツも背中から竜の翼を展開して飛び立った。
「俺達も行くか」
「うんっ! じゃあ皆んな気を付けてねー!」
「朱雀、行こうか」
「よーし、やるぞー!」
フィンと千尋も飛び立ち、続いてリュカと朱雀も別の方向に向かって飛んで行った。
「儂らも行くか」
「ああ、ちょっと待ってくれ。何を怯えているんだ? 全員いつも通りやればいい。朱王さんがエリオッツに勝てなかったと言っていたがそれは以前の話だ。たぶん今のオレ達はその頃の朱王さんより強い。自信を持って挑めばいい」
女性陣に話し掛ける蒼真。
蒼真にとっては全員教え子のようなもの。
怯えを見せていたら師として喝を入れてやるべきだが蒼真は基本的に優しい。
喝を入れずに安心させる言葉を投げかけた。
だが蒼真の言葉は彼女達にとっては正しいもの。
以前の朱王よりも自分達は強い、自信を持って挑めと言われれば戦える。
不安を拭い去ってリゼとアイリは一歩踏み出し、アヴァ、テオと共に飛び立った。
「エレクトラ。まだ数日だが毎日真面目に魔力訓練してたんだ。それにヴィンセントさんの剣術があるだろう? 初の実戦が竜人だとしてもやる事は一緒だ。自分を信じて挑め」
「はい! 頑張ります!」
覚悟を決めてテオに向かい合い、一礼して飛び立った。
「それでは私達も行きますか!」
「うむ。その前に妾にもそれをくれ」
ミリーが飴を食べたのを見てアリーも欲しがる。
アリーも飴を口に含んで嬉しそうに飛び立った。
「悪いなマヌエル、待たせた」
「いいや、お主と戦える事を嬉しく思うよ」
ここでは転移の光柱があるので蒼真とマヌエルも飛び立つ。
全員違う方向に飛び立ったが上級魔法陣を発動すれば巻き込む可能性もなくはない。
できるだけ距離をとって戦う事にする。
エレクトラと竜人テオ。
「さっきの話だと君はまだ彼らの仲間になったばかりなのか。いい仲間だね」
「はい、とても強くて楽しい仲間です! わたくしも皆さんのように強くなる為努力するだけです!」
「じゃあ稽古を付けてあげよう」
エレクトラは魔力を練り上げて下級魔法陣ウィンドを発動。
蒼真のように風の衣を身に纏う。
鞘に跨るように座るシルフを顕現させて居合いの構え。
対するテオは素手で構え、肉体強化をすると魔力が強靭な鱗のように見える。
一拍の間を置いて、前傾姿勢から一瞬で間合いを詰めて抜刀を発動。
神速の斬撃に暴風を乗せた風刃を放つ。
右腕でガードしたテオの鱗を斬り裂き、その腕からは血が噴き出す。
強烈な一撃はテオの体を容易に吹き飛ばした。
飛ばされたテオが地面に打ち付けられる瞬間に身を翻し、夜桜を振り切ったエレクトラに前蹴りを打ち込む。
刀の腹で受けるがその一撃は重く、耐え切れずに後方へと弾かれた。
「僕の強化を斬り裂くとはね。君凄いじゃないか!」
嬉しそうなテオは右手を伸ばし、掌から伸び出すように光が現れると固体化。
一振りの剣となりその手に握る。
右腕の傷はすでに塞がり、剣を後方に構えてエレクトラに向かい合う。
正眼に構えたエレクトラ。
グッとしゃがみ込むようにして駆け出したテオからの地面を這うような右逆袈裟。
刀で受け流そうとするが一撃の重さがエレクトラの上体を逸らせ、続く唐竹を受けると地面に叩きつけられる。
「立ちなよ。君は攻撃はいいが防御がまだまだのようだ。強化が足りないからもう少し工夫するべきだね」
「うぅ…… つ、続きをお願いします!」
強がるエレクトラだが、腕の痺れが抜けない。
強化を高めて再び正眼に構える。
テオはまた同じように地面を這うような右逆袈裟で切り上げ、エレクトラは受け流そうと刀を左に向ける。
またも上体が逸らされ、同じような唐竹が振り下ろされると今度は刀を斜めにして体を浮かせる事で受け流す。
地面に打ち付た剣を翻して左薙ぎの一撃を受けると弾き飛ばされたエレクトラ。
「うん、最初よりはマシかな。立って。また同じように行くよ」
「は、はい…… お願いします!」
テオは宣言通り稽古を付けてくれるようだ。
また同じように斬撃を放つテオと受け流そうと努力するエレクトラ。
回数を重ねるごとに受け流す回数も増え、少しずつ上達していく感覚はある。
しかし直接受けてしまった衝撃は手を痺れさせ、感覚を奪う。
受け流し切れずに何度も弾かれ、次第に体力が奪われていくと共に意識を失った。
エレクトラの体が淡く光りを放つと転移され、エマの洞窟へと戻される。
「まあ頑張った方かな。まだまだだけど」
テオは空を飛んで光柱へと戻る事にした。
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