エナバケ様

黒幕横丁

エナバケ様

 私の家には代々守らないといけない掟がある。それは、毎週日曜日、朝七時に居間に一家全員集まってお祈りをすることだ。

 一家のそろったテーブルにはカタカナで五十音が書かれているシートが広げられていて、その文字の外にはコインが一枚置かれている。

 そのコインを凝視しつつ、まるで祈るかのように両手を組み、私たちはこう唱えるのだ。


『エナバケ様、エナバケ様。どうか、我が一族に繁栄をお与えください。もし、何かあれば我々にその道をお示しください』


 唱えた後、コインを見るが全く微動だにしない。今回も何も起きないらしい。

 ふぅ……と私は安堵のため息をついた。

「ねぇ、お父さん。これってコインが動いたことあるの?」

 私はかれこれ齢が十九にもなるが、この儀式に使われているコインが一度も動いたときを見たことが無い。

「父さんは一度だけ動いたことを見たことがあるぞー。たしかその時は備蓄を怠るなと予言がされたんだ。実際、その年は作物が不作で一族が全員餓死しそうになったところを救って下さったんだからな。エナバケ様のお言葉は絶対だ」

 エナバケ様というのは、私たちの一族の守護神みたいなものらしい。遠い昔に私の祖先がエナバケ様を信仰する代わりに、繁栄を約束されたと、小さいことから耳にタコが出来るくらい聞かされたものだ。

 だから、私たちの一族はエナバケ様には逆らうことが許されない。


「いってきまーす」

 日曜の日課であるお祈りを済ませてから、私はそそくさと出かける準備をして家を飛び出す。

 今日は付き合っている隆司さんとのデートの日だった。

 朝八時に駅で待ち合わせなんだけど、いつもの儀式をしているとどうしても待ち合わせギリギリになってしまう。

 私は走って駅までたどり着き、息を切らしながら彼を探す。

「美郷さん。こっちだよー」

 水色のベストを身にまとった隆司さんが私のほうに向かって手を振って合図をしてくれた。

「ごめんなさい。待たせてしまって」

「僕も今来たところだから大丈夫だよ。さ、行こうか?」

 隆司さんは手を差し出して私をエスコートしてくれた。

 それから私たちは映画館やショッピングを一通り楽しんで、近くの喫茶店で休むことにした。

「あー、楽しかった。本当に隆司さんいつもありがとう」

「こっちこそ、美郷さんといるといつも幸せな気分になれるよ。ところでさ……」

 隆司さんは頼んでいたブラックコーヒーを一口飲むと、呼吸を整える。

「僕たち付き合ってもう少しで一年くらいになるよね。そろそろ、将来のことについて考えていくってのはどうかな?」

「えっ?」

 その言葉に私は驚き半分、嬉しさ半分という気分だった。

「僕は君の事を今生大切にしたいと思っているんだ。結婚を前提に考えてくれないか……な?」

 隆司さんはそう言って私の手をそっと握ってくれた。

「嬉しいっ」

 私はその言葉に胸がいっぱいになって涙が出てきた。

 その日は隆司さんからそんな言葉を言われたので、嬉しい気分で帰ったものだ。

 この気分がずっと続くと、そう思っていた。


 しかし次の週、その気分が一変する。


 いつも通り日曜日の習慣である、一族総出でのお祈りの時間にそれは起こった。

『エナバケ様、エナバケ様。どうか、我が一族に繁栄をお与えください。もし、何かあれば我々にその道をお示しください』

 いつもならコインは動かないハズ。なのに、今日に限って、コインがカタカタと小刻みに震え始めていた。

「何……?」

 初めての光景に私はコインに目が離せないでいた。

 コインはカタカナ五十音をゆっくりと移動し、文字の上で止まり、また動き出し、文字の上で止まるを繰り返していた。

 その止まった文字を順番に読むと、


『ミ サ ト ソ ノ オ ト コ ハ ダ メ ダ ヤ メ ナ サ イ』


「なんで……? なんで私?」

 なんで、私に付き合っている男性がいることを知っているの?

「美郷、エナバケ様の言う通りにするんだ」

「なんで!? 私は隆司さんと結婚の約束もしたし、結婚したいの! なんで、エナバケ様に私の幸せを奪われなくちゃいけないの!?」

 私は感情的になって声を荒げる。

「美郷! エナバケ様の言うことをちゃんと聞くんだ!」

 お父さんはそんな私を凄い剣幕で怒鳴りつけるように言った。

「嫌よ! なんで、私は幸せになっちゃいけないの!?」

 どうして、私の幸福は簡単に奪われそうになっているんだろう?

「美郷!」

 お父さんは私の頬を強めに叩く。パシンと乾いた音が家に響いた。

「エナバケ様のお導きは絶対だ。言うことを聞きなさい」

「みんなして、エナバケ様、エナバケ様って。私の幸せより神様の方が大事なんでしょ?もう知らない!」

 私はキッとお父さんを睨みつけて、カバンを持って家を飛び出した。今日も、隆司さんと駅で待ち合わせなんだ。お父さんといざこざしていると遅れてしまう。


 駅に着いた私は時計を見る。八時五分前。いつもより少し早く着いてしまったみたい。カバンに入っているコンパクトを取り出して鏡で自分の頬をみる。少し赤く腫れていた。きっとこの姿をみたら隆司さんが心配してしまうだろう。後で理由を話さなくっちゃ。

「おーい、美郷さーん」

 聞き覚えのある声が聞こえて振り替えると、遠くの方で隆司さんが手を振っていた。

 私も場所を知らせる為に手を振って合図をすると、それに気づいた隆司さんがコチラに向かって小走りになった。

 と、その時、隆司さんに向かって自家用車が猛スピードで横切り、隆司さんの姿が消えた。


 グシャ。


「え……?」

 私がその瞬間に唖然としている中、あちらこちらから断末魔のような悲鳴が聞こえる。

 そう。隆司さんは車に引きずられて“真っ赤なモノ”に変わってしまったのだ。

「どうして……、隆司さん……」

 私は状況を飲み込むことが出来ず、その場へペタリと座り込んでしまった。

 そんな私耳元に背後から誰の声とも分からない声で囁く音が聴こえる。


『エナバケ様 の 掟 は 絶対 ダヨ ?』


「あ……ああっ……」

 わたしはこの声を聴いた後、気を失って倒れた。


 気が付いたら私は病院に居て、家族に見守られていた。

 隆司さんは車に轢かれて即死だったらしい。

 お父さんはエナバケ様の予言だって言っていたけど、それは違う。


 あれは、私がエナバケ様のお導きを守らなかったから、きっとその罰でエナバケ様が彼を殺したんだと。


 あれから何年も経っているが、私は未だに一族の習慣をちゃんと守っている。

 また約束を破れば、また再び罰が下ってしまうだろう。

 今はただ、またテーブルのコインが動く日が来ないことを必死に祈り続けている。

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エナバケ様 黒幕横丁 @kuromaku125

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