夏の夜
夏のある暑い日の昼下がり、冷房が効いた部屋の中で一人の若い男が悩んでいた。
彼はスマホの画面を覗きこみ、そこに書かれた文字を真剣に見つめている。
その画面には、こんな文面が載っていた。
三島心霊相談所
心霊体験でお悩みの方はお気軽にご相談ください。
相談無料
除霊費用:一万円~(別途交通費)
「んー、どうっすかなぁ」
こういったところに相談すると、言葉巧みにいつのまにか宗教の勧誘とかに繋がったり、なんの解決にもならないままお金だけ騙し取られたりしそうな気がする。
これまで心霊体験なんかしたことがなかったし、霊感があるなんて言う知人もいない。
けれど誰かに相談はしたい。
ということで、とりあえず相談できるところはないかと探してみたところ、この三島心霊相談所というものに目が留まったのだ。
葛藤を続け、結論が出た。
相談を聞いてくれそうならしてみて、もしも何かの勧誘とか危ない方向に話が向かったら電話を切ればいい。
相手に自分の電話番号を知られたくないとの思いから、非通知設定にする方法を調べておく。
「よし、電話してみよう」
準備が整い、言葉に出して決意し、載っている番号に電話をかける。
三コールほどで電話が繋がった。
「はい、三島心霊相談所です」
若く明るい男性の声。
年輩で威厳のありそうな声を想像していたせいで、若干拍子抜けする。
「あのー、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「はい。なんでしょうか」
「心霊相談…なんですけど、相談だけなら無料なんですよね」
「はい。相談は無料でお受けしますよ」
「じゃあちょっと聞いてほしいんですけど…」
それは一昨日の夜の事だった。
熱帯夜で普通にしていては暑くて寝られないと、俺は冷房を少し涼しい程度の温度設定にして寝ることにした。
何時頃だろうか。
ふいに目が覚めた。
温度設定はそこまで低くしていないというのに、寒さで起きてしまったようだった。
タオルケットを掻き抱き、エアコンの電源を切った。
まだまだ暗い時間。
もう一眠りしようと寝返りを打とうとすると、体が動かなかった。
金縛り。
『これが金縛りかぁ』
まだ寝ぼけていたせいか、初めての金縛りにもそこまで動揺は無かった。
どこか動かせる箇所はないかと試すも、動かない。
唯一動くのは瞼のみ。
薄っすらと開けた視線の先には、キッチンがある。
俺の住むマンションの間取りは1K。
ベッドは窓際にあり、ベランダに繋がる窓に付ける形で置いていた。
横になり、部屋のドアを開けているとキッチンから玄関までが目に入るような位置になる。
部屋とキッチンの間にあるドアは、エアコンをつける時はいつも閉めているはずなのに何故か今は開いていた。
閉め忘れただろうか。
ぼんやりと眺めた先に、見知らぬ女が立っていた。
白い洋服を着た、黒い髪が腰元まである女。
そいつはキッチンの前に立って、こちらを向いていた。
顔は俯けられており、確認できない。
金縛りと白い服の女。
幽霊だ。
そう思った。
恐怖を感じ、ぎゅっと目を瞑る。
薄目だったから、まだ幽霊には俺が起きて、気付いているとはばれていないはず。
そう願う。
どうしたらいいか分からないながらに、俺は知っている限りの念仏を心の中で唱えることにした。
昔読んだホラー漫画で、真摯に唱えればなんだっていいと書いてあったのを思い出したからだ。
『南無妙法蓮華経。般若波羅蜜多』
宗派が違うものだと知りもせず、どんな字を書くかも曖昧なまま、とにかく知っているフレーズだけを思い浮かべた。
それも全文覚えているどころか、一小節くらいしか分からない。
仕方ないので知っている分だけを何度も繰り返し唱えた。
多分一分も経っていないだろうが、消えただろうかと再度目を薄っすらと開ける。
女が部屋の入口に立っていた。
先程よりも近くにいる。
目を強く瞑り、『消えてくれ。成仏してくれ』と先程より強く願いながら念仏を唱えた。
そしてまた、薄っすらと目を開ける。
ベッドとドアの中間ほどに女が立っている。
また近づいた。
どうすればいい。
どうすれば消えてくれる。
いくら考えても、念仏を唱えることしかできることはない。
目を閉じ、念仏を唱える。
目を薄っすらと開ける。
視界に白と黒が映る。
女の白い服と黒い髪の毛先。
もう目の前にいる。
俯いた女は俺の事を見下ろしているのだろう。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。
この後どうなるんだ。
俺がまた目を瞑ったら。
不安が募る。
だがずっと薄目を続けることも出来ず、瞼は閉じてしまう。
もう念仏を唱えることも忘れ、自分はどうなってしまうのかという恐怖で頭がいっぱいになっていた。
だが何も起こらない。
それどころか、先ほどまであった寒気が消えた。
女が発していた気配のようなものがないのだ。
恐々と目を開ける。
そこには誰もいなかった。
安堵。
気づけば体も動くようだ。
寝返りを打ち、反対方向に向き直る。
瞼越しに、光を感じた。
いつのまにか陽が昇り始める早朝になっていたようだ。
助かった。
朝日を拝もうと、目を薄っすらと開ける。
女の顔が目の前にあった。
体が固まった。
ベッドと窓の間には人が入れる隙間なんてないのに、女の顔が眼前にあって暗い瞳でこちらを見ている。
そして一言。
「起きてるでしょ」
女性にしては低い声で、そう呟かれた。
あまりの恐怖に、俺は気を失った。
起きたのは陽が昇ったお昼時。
夢だったのだろうか。
思い出すだけで身震いする。
パジャマが寝汗でしっとりと濡れ、気持ちが悪かった。
部屋の中が暑い。
エアコンのリモコンに手を伸ばし、ふと思い出す。
俺は昨日、エアコンをつけて寝なかっただろうか。
なぜ止まっている。
止めたのはあの幽霊を見る直前で、それが現実だったとしたら…。
肌が粟立ち、何度も腕を擦った。
暑いはずなのに、寒気で震えが止まらなかった。
「そんなことがあったんです」
電話の先の男性に、自分が体験した話を語った。
「これって憑りつかれてるんでしょうか」
「うーん、それって一昨日の話なんですよね」
「はい、そうです」
「昨日と今日の朝は、なんともなかったんですか」
「はい、また出たりとかしてないです」
それが俺が誰かに相談したかった理由。
夢だったんだと思い込もうと、昨日今日と不安を感じながらも寝た。
結果、なにごともなく朝を迎えることができた。
だが忘れることができないほどに、この体験は怖かった。
女に憑りつかれているのではと、不安が消えないのだ。
「一つ伺いたいんですが、もうすぐお盆ですけどお墓参りってされてますか」
「いえ、しばらくしてないですけど」
聞かれた質問は即答できるようなものだった。
「では私からアドバイスさせていただきますね。あっ、このアドバイスでお金をとったりはしないので安心してくださいね」
お金を騙し取られないかという不安を見抜かれていたのか、そんな言葉と共にアドバイスをもらった。
「今年はお墓参りに行かれることをお薦めしますよ。何年も顔を見せないあなたを心配して、ご先祖の誰かが見に来たとかそういうことだと思うんですよね」
「でも、かなり怖かったんですけど。そういうご先祖様の霊とかって、もっと優しい雰囲気があるもんじゃないんですか」
「まあそう感じる方もいるでしょうけど、やっぱり霊ですから。怖いものでしょ。普通は」
それから俺はお礼を伝えて、電話を切った。
数日後、お盆の時期となり俺は実家に帰っていた。
両親が同じ出身地ということもあって、両家の墓にお参りをした。
あれから数年経ったが、あの日以来その女の姿を見ることはなかった。
不安で相談をしたが、やはりあれはただの夢だったのかもしれない。
ただ今でも記憶にははっきりと焼き付いている。
あの女の姿が。
夢だったとは思えない程に。
日常怪奇譚 足袋旅 @nisannko
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