第20話 亜紀の過去

「んっ・・・」


  源治との同衾を共にした夜が明けると部屋に入ってくる僅かな光で亜紀は目を覚ます。隣を見ると源治が気持ちよさそうに寝ており、そこでようやく昨晩の出来事と思い出すと同時に自分が一糸まとわぬ姿であったことを思い出し途端に恥ずかしくなる。


「私・・・あんな声出るんだ」


 昨晩の感触を確かめるようにそっと下腹部を触る亜紀。下腹部から感じる僅かな鈍痛が昨晩の出来事が事実であったことを物語っている。ふと時計を見ると時刻はすでに正午近くであり、現時刻を自覚すれば体が反応し亜紀の中の腹の虫が騒ぎ出す。


「何か作りましょうか。源治殿が起きたときのためにも」


 そう言って源治を起こさないようにそっとベッドから抜け出れば脱ぎ散らかした服を着て1階に降りる。そしてキッチンで調理をしながら昔のことを思い出す。


 幼少期の亜紀には感情らしいものがなかった。将来の御庭番として武術を含むあらゆる技能を祖父のもとで幼少から叩き込まれた亜紀だったが成果は芳しく無く、元々の鈍臭い質から地元の子供達からも苛められていた。そしてある日、この日も地元の子供達から苛められていた亜紀を助けたのが幼少期の源治だった。偶然にも親の都合で引っ越してきた源治が住んでいる場所は亜紀が住んでいる近所だったのだ。


 いじめっ子を蹴散らしそれでも泣きじゃくる亜紀を見た源治は、当時自分が大切にしていたヒーロー番組の缶バッチを渡してこう言った。


「お前、苛められてるんだろ?だったら俺がお前のヒーローになってやるよ。知ってるか?ヒーローってのは眼の前で泣いてる女は見過ごさないんだぜ。このバッチは印。これ持ってたらどこにいても俺が助けてやるよ」


 その言葉は今でもはっきりと覚えており、その缶バッチは今でも大切に持っている。その日が亜紀の初恋の日であり、その日を境に亜紀は一層身を入れて稽古に取り組み始めた。深い理由は特になかった、ただ自分を救ってくれた少年の隣に立てるようになりたい。少年に危機があったとき今度は自分が助けるのだと。残念ながら源治はその後またすぐに引っ越してしまったがそれでも亜紀は強くなることを止めなかった。剣術や体術以外にも勉学に勤しみ料理もマスターした。そうして出来上がったのが今の岩永亜紀という存在だった。


「おっ飯作ってんのか。ちょうどいい腹減ってたんだ」


 不意に2階から降りてきた源治に声をかけられる亜紀。


「はい!今できますので少し待っていてください!」


「起きたばっかなのに元気だねお前は」


 そんな事を言いながら席に付きテーブルに置いてあった雑誌を読み始める源治。


 十数年ぶりに再開した源治を見た時亜紀は心躍った。再び幼少期の憧れの人物に会うことができたのだ、問題は場合によっては彼を殺さなければいけないということだったがその点は彼が昔と同じように誰かのヒーローであろうとする発言から杞憂に終わった。彼はどうやら自分のことを覚えていないようだったがそのことは亜紀にとって2の次だった。とにかく憧れの人物の隣に立てる、彼の役に立てる。そのことが亜紀にとっては至上の幸せだった。


 二人での食事を終える一服しているとふと源治が口を開く。


「俺、お前と昔会ったことあるか?」


「・・他人の空似では?世の中には同じ顔の人間が3人はいるといいますし」


「・・・そうか、っとそんじゃ腹ごなしに二人で運動でもするか」


「え!?」


「なんだ、嫌なのか?」


「嫌というか・・・昨晩すでにやったばかりと言うか・・・こんな日が高いうちからセッ、は少し急ぎ過ぎと言うか・・・」


「何勘違いしてんだ?運動ってのは組手だよ組手。ほら行くぞ破廉恥娘」


「はっ破廉恥ではありません!!」


 勝手に自爆し顔どころか全身が真っ赤になった亜紀を源治は伴って地下室へと降りていく。源治に投げ渡された木刀を亜紀が受け取るとそれぞれがお互いに構えを取る。


「最初に言っとく。この勝負は本気出せ。じゃねえと叩き殺すぞ」


「・・・その言い方だと私が今まで本気でやっていなかったように聞こえますが?」


「聞こえるじゃなくてそう言ってるんだよ。お前、今まで三味線弾いてただろ。この前の影をぶった斬った動きで確信した。来ねえならこっちから行くぞ!」


 一気に踏み込んで大上段に振り下ろされた木刀は確実に亜紀の頭部を狙っており、それも殺す勢いの速度だったが亜紀は咄嗟に横っ飛びに転がって避ける。振り切ったことで床に叩きつけられた木刀がまっぷたつに折れる。その様子を見て亜紀は確信する、この人は本気だと。


「・・・源治殿、今日はもう止めにしませんか?」


「断る、もしお前がこのまま本気を出さねえで逃げ続けるって言うなら俺はお前をこの場でクビにする。それだけだ」


 そう言いながら壁にかけてある予備の木刀を取り出せば再度構える源治。その構えから感じられる気迫に亜紀も覚悟を決める。


「・・・分かりました、ですが一つだけ。死なないでくださいね」


 次の瞬間源治の視界から亜紀の姿が消える。気づいたときには亜紀は間合いまで踏み込んできており、このままでは間に合わないと防御しようとするが


「穴だらけですよ」


 防御などまるで意味がないと言うかのような剣速に源治は全くついてこれず一瞬の間に肩、腕、胴、足を打たれ手にした木刀までも叩き落とされた上で木刀を顔の前で寸止されていた。


「・・・これが、お前の本気ってわけか」


「はい、源治殿に近づくにあたって弱いふりをしていた方がもし殺すことになった時に油断を誘えるという上からの指示です」


「ムカつくな、黒まりものときも牛鬼のときも、俺の心配は全部杞憂だったってことか」


「・・・・・・そういう事で」


 亜紀の言葉が終わらないうちに素手になった源治の拳が亜紀の木刀を突き砕く。源治の目にはまだ闘志の炎をが燃えておりやる気十分と言ったふうだった。


「まだまだ終わんねえぞゴラァ!」


「では源治殿が満足するまでお相手しましょう」


 そう言って素手で構えて対峙する二人。最初に駆け出したのは源治だった。本来源治には武器は性に合わなかった、むしろ素手での戦いこそ源治の真骨頂だった。しかしその素手でも源治は亜紀に全く刃が立たなかった。それでも意地で立ち上がり続け何度も倒された。そんな事を日没まで繰り返してついには源治は自ら負けを認めるかのように床に大の字になって寝転がる。


「負けだ負けだ!こんなに完璧に負けたのは久しぶりだ。強えなお前」


 最初こそ悔しそうであったが次第にその声と表情には喜びが込められていき亜紀は困惑する。


「あの・・・もしかしてどこか打ちどころが悪かったとか・・・」


「可怪しくなってなんかいねえよ!むしろ嬉しいんだ、世の中にはまだまだ俺より強いやつがごまんといるってことがよ。そいつらよりもいつか強くなる事を考えるとワクワクするぜ」


「ということは私も倒されるんですか?」


「あったりまえだ!まずは一番最初の目標がお前だ。首洗って待ってな!」


 起き上がって手刀で自分の首を横から軽くトントンと叩くジェスチャーをした後にガッハハハと楽しそうに笑う源治を見て今度は亜紀が逆に床に座り込んでしまう。


「?どっか打ったのか?」


 源治が亜紀に近づくと亜紀は目から大粒の涙を流しており


「私・・・源治殿を傷つけてたんじゃないかって・・・怖くて怖くて」


「そんなこと気にすんなって、まぁ手ぇ抜かれてたのはだいぶ腹たったけどよ。今のお前には泣いてる暇なんて無いはずだぜ、何しろ俺はしつこいからな。お前に勝つまで絶対に諦めねえぞ」


 自分の服が汚れるのも気にせずに鼻水まで流し始めた亜紀を抱きしめる源治。結局亜紀が泣き止みまで1時間ほど源治は亜紀を抱きしめていたのだった。

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