品格

大野葉子

品格

三勝三敗で迎えた初場所の千秋楽は黒星に終わった。

東幕下筆頭。新十両へのチャンスの場所。四勝三敗で確実に上がれる番付。

二勝してからひとつ負けて、四番目の相撲で勝って勝ち越しリーチ、そこから三連敗での負け越し。

千秋楽夜のパーティーでは後援者の方々が次から次へと激励と落胆とをぶつけてくれた。もっと言いたいことがあったお客様もいたことだろう。だが皆最後には揃って「来場所も新十両を狙える番付に留まれるのだから」という励ましの言葉をかけていってくれた。

ありがたいと思うし、実際にそのとおりなので来場所また頑張ろうと思うし、今場所の三連敗の不甲斐なさを情けなく思う、どれも本当の気持ちなのだが…。

悶々とした気持ちを知ってか知らずか、ある後援者から食事に誘われた。

親方の許可を得た福井ふくい大輝だいきはありがたくお受けした。


「大輝くん、今日は少しは腹の足しになったかな?」

貧相な体躯を高そうなスーツに包み、見事に禿げ上がった頭を撫でながら大山は穏やかに大輝に尋ねる。

「ごっちゃんです、大山おおやまさん。」

後援者の大山とは初めて一緒に食事をしてから鰻以外の食べ物だったことは一度もない。力士相手に鰻は随分高くつきそうだが、大山はいつも「肉は差し入れでもらうことも部屋の皆で行くことも多いだろうからたまには違うものを」と言って鰻屋に連れて行ってくれる。

「違うもの」が何故毎回必ず鰻なのか大輝は知らない。詮索するのも失礼だし今後も知ることはなさそうだ。鰻が好きな大輝がそれで困ることもない。

個室でたっぷりと鰻を堪能すると、それまで当たり障りのない話題を重ねていた大山が相撲の話を切り出した。

大金子だいかねこは記者会見だったね。」

千秋楽に大輝が負けた相手である。

「はい。」

千秋楽時点での番付は大輝が東幕下筆頭、大金子が東幕下七枚目。だが大金子はすでに勝ち越しを決めており、十両からの陥落者と他の幕下の面々の成績から「勝ったほうが新十両」という当人たちには重要な一戦となるのは火を見るよりも明らかだった。

結果は大金子が勝利し、彼は本日の番付編成会議で新十両昇進を決め、彼の師匠とともに昇進記者会見に臨んだ。その内容はすでにネット配信された記事で大輝も読んでいる。

昇進を契機に大金子改め大金剛だいこんごうとしこ名を変えるそうだ。


もしあの一番に勝っていれば、今頃おれが新しいしこ名をもらって会見をしていたんだろうな。


考えても仕方ないことだが、大金剛の記事を読んだときにそう思って胸の奥がツキリと痛んだのは事実だが、

「自分も関取目指して稽古に励みます。」

大山にその無念をぶつけたいわけではない。ましてや大金剛より自分の方が実力は上だとか、あいつの取り口が狡いんだとか、そんな子供じみた言い分を大山に聞かせたいわけではない。自然と口をついて出た言葉は内心をきれいに覆い隠す実にフラットな台詞だったのだが大山にはそう聞こえなかったのかもしれない。

「親方に何か言われたかい?」

「いえ、師匠は何も。」

「まあそうだろうな。」

大山は微笑を浮かべてうん、うん、と頷き、

「大金子の後援者は奥歯にモノが挟まったような気持ちだろうよ。特に昔から、親方の現役時代から応援しているような人はね。大金剛とは、このままではしこ名が泣くよ。」

穏やかにそう言うとははっと笑った。

「これだけ言いたくて今日は呼んだんだ。ああ、すっきりした。すまんね、年寄りのたわごとに付き合わせて。」

「いえそんな、滅相もない。」


千秋楽の一番。

勝てば新十両などと考えてはいけない。目の前の一番に集中すればおのずと結果はついてくる。

大金子とは何度も対戦しているがしこ名のとおり大きくて重い。あの突き押しを正面から喰らえばあっという間に土俵際だ。それを避けるためにも立ち合いの踏み込みが大事。

そう方針を決めて思い切りよく踏み込むと、そこに相手はいなかった。

一瞬だけ目の前に見えた左手はフェイク。あっと思ったときには大金子の身体はすでに自分の真横。左腕を持っていかれて思いきりひねり倒された。

決まり手はとったり。

大金子の大胆な変化をまんまと喰らってしまっての敗戦だった。


もちろん大相撲のルール上おかしなところはひとつもない勝負だ。

大輝の側から敗因を分析すると頭が低すぎたとかほとんど何も見ずに突っ込んでしまったとか強い踏み込みを意識するあまりすり足が疎かだったとか、いくつもある。

が、大山が問題にしているのはそういったことではない。

多くの好角家は変化を嫌う。

真正面からぶつかって正々堂々と四つに組む相撲がもっとも品格のある相撲であり、変化は卑怯な相撲、その場しのぎの相撲、強さに繋がらない相撲であるとされるのが一般的だ。

変化をして客席が沸くのは格下が横綱・大関に仕掛けた場合や小兵が大型力士に仕掛けた場合に限られ、大金子のような恵まれた巨体で突き押しという武器のある力士が仕掛けると大抵は顰蹙を買う。

しかもこれからの角界を担う若い力士が同じく角界の未来を背負っていくであろう同年代の若い力士と昇進を賭けた一番で用いるなど言語道断。

競技上のルールに反していなくてもそのような相撲は品格に欠ける。もっと平たく言ってしまえば観客はそんなもの見たくない、ということだ。

それを平然とやってのけ悪びれることなく笑顔で記者会見に応じている大金剛が、大山には我慢ならなかったのかもしれない。


「大山さん。」

「うん?」

大輝は大山の目を見つめて静かに切り出した。

「来場所、何枚目になるかはわかりませんが、成績次第では来場所も大金剛と当たります。」

大金剛が彼の師匠とガッチリ握手をかわしていた写真が頭を過る。

「そのときは真っ向勝負で挑みます。ですので、引き続きご支援よろしくお願いいたします。」

大輝が頭を下げると大山はうん、うんと嬉しそうに頷いた。

「変化してでも勝ちたかったろうに、君はきっといい力士になれる。関取になれば君のその心がけを愛してくれるファンももっと増える。今は雌伏の時だな。」

「ごっちゃんです。」


大輝は入門して七年になる。

親方の指導の下、ずっと突き押しを磨いてきた…と言いたいところだが、なかなか勝てずに苦しかった頃、変化を覚えた。

変化する度に師匠に大目玉を食らい後援者に悲しまれても白星の味には代えがたく、勝ち越しのかかる場面で頻繁に変化した。競技上のルールには何一つ背いていないのだ。多用したとて何が悪い、と、この頃は本気で思っていた。

幕下昇進を決めたのも大金子を変化で破った一番だった。そしてきっと大金子もそれを覚えていた。

だからこそ先日の千秋楽で彼は「今日は変化はない」あるいは「こちらも変化してやれば良い」と考えたのだろう。

幕下に上がってから変化してもなかなか勝てなくなったので、変化を立ち合いの選択肢として大輝が真剣に検討することはだんだんとなくなっていった。

それでも過去の行いはこうして自分に返ってきた。恥じ入るばかりだ。


「大輝くん。」

別れしな、大山はこう言ってくれた。

「君は本当にたくましくなったよ。十両昇進したら化粧廻しを贈るんだと思うことがこの年寄りの生き甲斐なんだ。ほら、いい相撲取るだろって全国の人に君を見せびらかしてやるからな。頑張るんだよ。」

「大山さん、今日は本当にごっちゃんでした。大山さんや全国の方に喜んでいただけるよう、稽古に精進します。」


幕下東の筆頭で勝ち越すことができなかった。この事実は痛い。重い。

それでも、逃げずに真っ向から挑む自分に期待してくれている人がいる。

(もう変化はしない。)

大山の車を見送りながら大輝は静かに誓った。

(大金剛にも負けない。)

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品格 大野葉子 @parrbow

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