誰しもがスタートがいいわけではない。


はじめに私が最初にぶち当たることになったのは、コミュニケーションだった。


前置きとして、私は介護においての知識は全くない。普段、お年寄りと話すことも殆どない。なので、何をどう話したら喜ぶのか、どう話したら伝わるのか……何もかもが分からないことだらけ。仕事をする上で会話ができないのはもってのほかである。


元々人見知りが激しいのもあり、主任がそういった面も配慮してくれ、本入居(短期間の利用ではなく、その施設で全ての生活をしている)している方を中心にしたフロアに勤務させてもらえることになった。人の出入りが多くない分、接する時間は多くこのフロアではコミュニケーションは必須なのだ。勿論、利用者だけでは無く、職員や利用者のご家族さまとの会話も出来なくてはならない。ケアを行う上で報告、連絡、相談は大事である。


先ず、はじめに私が置かれたのはレクリエーションをしているところだった。

その日のレクリエーションはみんなで歌を歌うというものだった。昭和歌謡曲や、童謡などを利用者と職員で歌い、楽しんでいる様子だった。


しかし、レクリエーションだからといってコール(利用者が何か用事がある時などに鳴らすもの)が無いわけではない。


担当していた職員が対応するから、私はここに残ってレクリエーションをしてくれ、と頼まれたのである。今日来たばかりで、お互いにまだ名前も顔も覚えきれていない中、私は唯一分かるふるさとを歌うことになったのだ。

これから此処でお世話になるわけだし、いつか自分がやる日も来るのだろうから、逃げるわけにはいかない。妙にその時の私はやらなくてはと意気込んでいた。

非常に申し訳ないけれども、私はふるさとの歌詞を一番までしか覚えていない。頑張って歌えるのは一番だけだ。震える声で、歌い出した私を見て、利用者たちもおどおどと声を出し始めた。先ほどとは打って変わって、全く楽しそうではない。歌っている人がいるから、歌うしかないか、そんな風に言いたげである。


それもそうだろう。目の前にいる私が楽しそうにしていないのだから。


不安と緊張で強張った表情で私は対応してしまっていたのだ。決して褒められるような対応ではない。

本来レクリエーションは、皆で楽しんでやるものである。勿論、リハビリの意味もあるのだが、一番は楽しむことだと思う。歌が分からずとも楽しい雰囲気、喉を動かすことによって嚥下低下の防止等……レクリエーションひとつで様々なもの生み出すのだ。それなのに私は自分いっぱいで行ってしまった。


その後、お昼の時に味噌汁をぶちまけるという失態をしてしまった。私のスタートは良い方ではない始まりだった。


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