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 一言で表すのなら、名門大学ランキングがあれば必ず上位にランクインしているこのK大学で「死者蘇生学」という講義がひっそりと存在しているのは、いかれている。


 入学したてのころ、受講可能講義一覧表にその講義名/講義内容/教授名がちゃっかり載っているのを見て、僕ははっきりと「馬鹿馬鹿しい」と思った。それと同時に、そんな馬鹿馬鹿しくていかれた講義を設けることを許可しているこの大学の度の過ぎたユーモアも理解した。


(こんな講義で単位を取ろうとする馬鹿は、いったいどんな奴なんだ)


 そして僕は、こんな講義で単位を取ろうとする馬鹿の一員となった。


「いやあ、楽で助かるな、ゴースターの講義は」


 受講している生徒も僕含めて十人ほどと、非常に少ないようなこんな講義に不似合なやたら広い講堂の一番奥の席。そこで、僕の隣に座るニコラスはずっと前にいる教授に聞こえないような小声でそう言って引き続き退屈そうにペン回しを続けた。


「ああ」ルーズリーフでくだらない落書きをするためにペンを走らせるのを一旦やめて、ぼくはおおげさに肩をすくめた。「まったくだ。おかげで僕の描くモンスターがどんどん成長してくれる」


「こんな授業で単位が取れるだなんてなあ……」


  ニコラスは、赤茶色の短髪を掻いて、


「まず、このB4サイズの白紙が配られる。ゴースターの話は真剣にきいていてもいいし、逆にまったくきかずに、デスクの下でゲームをしていてもいいし、あいつの喋りを邪魔しない程度にならお前と談笑していてもいいし、きっと、宅配ピザを注文してみてもいい。最終的には、あいつの話をきいたふりして適当にこの白紙に感想をかけばなんでもいいんだ」


 さすがに宅配ピザなんか注文してみればこの大学においてのちっぽけな問題くらいにはなるだろうけれど、ほかの彼の発言にはこれっぽちもジョークというものは混じっていない。混じっているとすれば、皮肉くらいだ。


 この講義では結局、教授――彼を知っている学生は、彼のことをゴースターと呼ぶ――の話においての感想を、たとえきいていなかったとしてもそれっぽい言葉で感想用紙に羅列して提出しておけばそれでオーケーだし、単位を獲得するプロセスは本当にその一つだけなのだ。


 僕がこの講義を受講しようと思い立ったのは、もちろん本気でその胡散臭い「死者蘇生学」とやらについて学びたかったからなんかじゃない。


 実際、ゴースターの話なんか聞かず、こうしてニコラスと談笑したり、落書きをしたり、寝たりなどして、最終的にはいつものように感想用紙に「教授の話は毎回とても興味深く、魅力にあふれ、僕をとてもひきつけます」と嘘を書くばかりだ。要するに僕は(ニコラスも、他の生徒すらも)楽をして講義一つ分の単位を手に入れたくて、受講することにしたのだ。


 決め手は、一学年上の先輩の言葉だった。


『まだ埋まってないのなら、金曜の二限にいい授業があるぞ。死者蘇生学だ。馬鹿馬鹿しいと思っただろ。俺だって今でも馬鹿馬鹿しいと思っているさ。が、アドバイスしておく。他に取りたいのがないならこれを取っておけばいい。この講義の教室は、まさに天国そのものさ。楽なんだ、とてもね。もっとも、教師のゴースターは変人パーヴで有名だが……』


 これをきいて、僕はその死者蘇生学とやらを受講することにしたのだった。


 はなから馬鹿にしていたのは確かだし、今だって心底馬鹿にしているのような授業だけれど、興味がなかったと言ったらウソになる。たとえば、都市伝説なんかだって、虚偽で作り話に違いないということがわかっていてもどうしてもききたくなるものだろう。


 もしこの死者蘇生学について僕らに語る教授がまともだったり、あるいは僕らと楽しく授業を進めてくれるようなユーモラスのある人物だったのならば正直僕は今頃わくわくしながら毎週の彼の話をきいていただろうが、あの先輩が言ったように、この講堂の正面に立つ男は、ただの変人でしかなかったのだ。


 もちろん、悪い意味で。


「――これまでのまとめが終わったところで、あまり深く迫っていくことができなかったアペアスポイルグループについてこの第三回目では説明していく……さて、まずは君たちもよく知っているだろうが……おおまかに……アペアスポイルの概要を……まとめたので、スクリーンを見ること……単純に言ってしまえば、もっとも葬儀屋として有名であるこのアペアスポイルと、死者蘇生学がなぜ、リンクしているのかはのちにわかるだろう……まずはアペアスポイルについて理解を……深めてもらいたい。さて、アペアスポイル社というのはエイブラハム・アップルヤードという人物が――」


 ぼそぼそとゴースターが言う。講堂がだだっ広いこともあってかわざわざマイクを使っているのにも関わらず、きこえてくるその声のボリュームはやっとのことで聞き取れるが、たまに聞き取れないときがないわけではなく不安定だった。


 ゴースターというのは、彼のニックネームであり本名ではないらしい。本名は受講可能講義一覧表に死者蘇生学の教授紹介のほうに載っていたはずだが、少し長い名前だったので僕は覚えていない。ここにいる十数名の生徒の中で覚えている生徒がいたら、そいつはきっと変わり者だろう。ゴースターには負けるだろうけれど。


 血色の悪い肌は汚くボロボロで、それでもってただれておりおまけに垂れている。僕はその様子でなんとなくゾンビを連想させられるけど、生憎一般のゾンビとちがってゴースターは肥えている。しかし、その肥えかたは醜く、豊かさというものを感じられない。不格好でホコリのついた、清潔感を一切失ったそのブラウンのスーツとそれから黄ばんだワイシャツは、彼の脂肪によりいまにもはちきれそうだ。頭に生えているのは白髪で、左右が禿げきっていてもうどうしようもない。義眼の左目は、ぎょろぎょろとやたら動く右目に対してほとんど動かない。


 そんな彼のそのゴースターというニックネームは、噂では僕たちより五つ年上の先輩がつけたらしい。


「あいつ、何言ってるかわかんねえんだよ」ニコラスが口をとがらせた。うっかり声を大きくしていたので僕は彼をとめたかったのに彼は気づかずに続けて、「もうちょっと愛想もよくてわかりやすかったら、話きいてないこともないのにさあ」


 僕には、ゴースターの右目がすぐさま僕たちをとらえたのがわかった。


「ニコラス」


 声をかけるのが少し遅かったらしい。


「ニコラス・ハッター!」


 講堂内に怒声が響き渡った。キィン、と、不快なマイクの音がゴースターの声を追う。授業内容を語るときとは比べ物にならないくらいの声量だ。


 やっちまった。僕はわざとニコラスのほうを睨んだものの、僕と目線を合わせたニコラスはと言うと僕に睨まれているのにも関わらずおどけた表情で肩をすくめ、まったくのんきな奴だ。


「文句を言うのは構わないが私の発言の邪魔をするな! 遮るな! なにか言いたいことがあるのならば挙手をして私が発言の許可をしてからにしろ! わかったな!」


「……わかりましたァ」


「ならいい。さて続けるか……」


 まったく、と、ゴースターは呟く。


「うかうかしているんじゃないぞ……M M Mミスター・ミズ・マグネットコンテストがあるからってな……君たちのような者が選ばれるわけなんかない……」


 MMMコンテスト――Mr&Ms Magnet Contest――というのは、四月~五月の間に一度だけ行われるこのK大学での特殊なイベントだ。他の大学ではおそらくこのようなイベントは催してないだろう。マグネットというのは、人を惹きつけるような/魅力的な人物を指すスラングで、要するにこのイベント……コンテストでは、文字通り人を惹きつけるような、あるいは魅力的な人物が男子生徒から一名、女子生徒から一名ずつグランプリとして選ばれる。グランプリは、生徒や教授たちの投票により決まるのだ。


 生徒たちのために夜中まで学内が開放され、パーティーが行われたり、わりかし自由なことをできるので、コンテストでも当然盛り上がるが正直コンテストよりも楽しみにされてしまいがちなのが皆で大騒ぎできるパーティーなどのほうなのだ。


 学年や学部を問わず一同がごちゃごちゃになって行われる大規模なパーティー(パーティーというより、どんちゃん騒ぎのおふざけグループマッチングらしい)はまだまだ交友の少ない新入生にとっても、ボーイフレンドやガールフレンドを求める生徒にとっても出会いの場にもなっている。


「そういやあ、MMM、楽しみだな」


 やたら小声で、ニコラスは言った。ニコラスも、もうゴースターに怒鳴られるのはいやなのだろう。


「アル、お前、後夜祭に参加しないことはないよな?」


 白い歯を見せて笑ったニコラスの瞳は無垢に輝く。


「うーん」僕は落書きをまたはじめる。「正直、悩んでいるんだけど」


「悩んでるならこう言うよ、一緒に行こうぜ」


 ニコラスに誘われて、僕はためらってしまった。


「えっと……あー、今決めた、僕はやめておくよ。その日は戦没将兵追悼記念日メモリアルデイ……祝日で、授業が無しだからね。土、日、月と、僕は三連休を満喫したいんだ」


「何言ってんだよ。お前、その三連休で何すんだよ。どうせ家でくだらないことするだけだろ。一緒に行くぞ」ニコラスは僕の肩に強引に腕を回す。


「他の奴と行けばいいじゃないか。きみは僕と違って友達が多い。僕はもう五月だってのにきみ以外に友達がとくにいないし……」


「友達がいないならお前もいくべきだろ。そこで俺以外に友達を作ってみるのもいいと思わないか? なんなら、おれのダチ、紹介してやるよ」こいつはだれよりも正直な性格をしているし、事実や言いたいことはハッキリと言う。悪気はないだろう。「みんなくだらないやつだけどさ。きっとお前も仲良くできるよ」


「残念だけど、ガールフレンドが欲しいのなら、本当に、他の奴を同行者に選ぶべきだ。きっと君が得るのは女の子の連絡先なんかじゃなくて後悔の念だね。それは僕が同行者だった場合だ」


「誰も女の子目当てだとは言ってないのに」


 ニコラスはへらへらと笑う。

 

 そこで、静かに講堂の後ろ側のドアが開いた。僕たちの座る席から一番近く、ゴースターからはもっとも遠いドアだ。音に反応し、僕は無意識に後ろを振り返る。


 そこには、男子生徒がいた。


 丁寧に整えられた、艶やかで蜂蜜のような輝かしい金色こんじきの髪。すらっとした手足、大人っぽく、淡麗/端整な顔立ちは、まるで映画の主役のようで、僕は暗い映画館で明るいスクリーン越しに彼を見ているような気分になる。黒い薄手のジャケットに、フェラーリ・レッドのタートルネック。その赤は、高貴に映えていた。


「暑そうだな」無神経なニコラスがそっと僕に耳打ちしたので、僕はニコラスの腹を肘でつき「オシャレは我慢なんだよ」と説明してやる。


 彼は、ゴースターにむかって申し訳なさそうに黙ってほんのすこし頭を下げた。動作はかろやかで、なんとなく気品を感じさせられる。


「……君か……無論、君のことは知っている……言うまでもない、名を口にするまでもない。今思えば、この講義の生徒名簿に君の名前があった気がするが……君が私の講義を選択していたとは……」


「一、二回目の講義には参加できず、すみませんでした」彼は、眉を少し下げてみせた。「大事な私用があって、参加できなかったんです。第三回目からになりますが、お世話になります」


 声は透き通っていて、クセがない。丁寧ではあったものの、口調や話し方はどことなくまだ少年ようで、容姿とは多少かけ離れていると僕はぼんやりと思う。


「気にしなくていい……さて、適当な席に座りなさい……話を続ける」


 そしてその彼のアイスブルーの瞳が僕に向けられて初めて、僕は彼のことを凝視していたということにきづいた。


 彼がにこりと微笑んだので、慌てて視線をそらし前をむくも、遅かった。


「隣、いい?」


 いい? とききつつ、僕が答えるのも待たずに彼は僕の隣の席に腰かける。そのあとになってしまったが「どうぞ」と一応返事はするものの、その僕の声は自分でもわかるくらい上ずっていた。


(緊張しているのか?)僕は僕に尋ねる。彼が僕らとは違う優れた人間なのだろうということに薄々きづいたからだろうか。


「さっき言ったように、ぼく、二回分講義を欠席したんだ。もし授業のノートやメモがあったら、かしてほしいんだけど……」


 笑顔で無邪気に話しかけてくる彼に対して、僕は困った。ノートもメモもあるわけがない。


「なんて言ったらいいのか……」僕は頬を掻き、「ノートもメモもとってないんだ。力になれなくて申し訳ないけれど」


 助けが欲しくて右隣のニコラスのほうを見ると、ニコラスはこの短い間で夢の世界へと遊びに行ったようで、頬杖をついて安らかな寝息を立てて寝ていた。軽く肩を小突いても起きる気配がない。僕は落胆する。


「ああ」そんな僕とニコラスの様子をみた彼は楽しそうにクスリと笑う。「こういうかんじの授業なんだね、これ。もっとまじめで重苦しいのを想像してちょっと緊張してた」


 それから、「きみは絵がうまいんだ」、と呟いたため、僕は彼に見られた落書き用ルーズリーフをぐしゃぐしゃと丸めてごまかすように口を開く。


「ああ、ひょっとしたらきみにとってはガッカリなことかもしれないけれど、この授業は、授業内容が授業内容なのもあってじつにフリーダムなんだ。だれひとり真面目に授業を受けていないし、暇をもてあまして遊ぶだけで単位をゲットできる楽な授業なんだ。だから僕には、授業をまとめたノートやメモもない……あるとしたら、そう、こんなくだらない落書きくらい」


「いいや、ぼく、真面目なんかじゃない。むしろ楽なんだって知って安心したよ」


 彼が笑う。口調や話し方の他に、笑顔もまるで悪というものをしらない子供のような笑顔だということがわかった。


「ここの席、いいね。後ろのドアからすごく近くて、教授からは遠い……今日からこの席に座ることにしようかな」


 そう言ってから、彼は僕の顔を数秒間じっと見る。


 その深い瞳をまともに見つめ返せば、僕は足を掴まれ、静かにゆっくりと下へ下へと彼の世界に沈みこまれていくような気がして、視線を反らす。


 僕は、人と関わるのが苦手だ。


「ところで、きみの名前は?」


 やっとのところで、彼は口を開く。今までの僕に対する視線は席についての返答を促しているものなのかと思ってほんの少し焦っていたが、それは杞憂のようだった。ただ単に彼は僕のことを観察していたのだろう。


「僕の名前は……アルバート・レイノルズ。きみもそうだと思うけれど、社会学部の一年」


 うん、ぼくも社会学部の一年だよ、と笑った彼から、陶器のような白い肌の右手が差し伸べられた。


「ぼくの名前は、ハロルド・エヴァンズ。よろしくね、アル」


 おずおずと、その手を握り返す。

 彼の手は、生ぬるかった。

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ハーフ・ゴースト 島流十次 @smngs11

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