優しい世界

くにすらのに

優しい世界

 人身事故で電車のダイヤが乱れた時、理不尽に駅員に詰め寄るオヤジ。

 店員にセクハラを働く高齢者。

 精神鑑定の結果で死刑にならない凶悪犯罪者。

 周りが死を望んでいるにも関わらずのうのうと生き続ける嫌われ者たち。

 だが、ある日突然この不条理は終わりを告げた。

 10人以上の人間に殺意を抱かれた者は死ぬ。

 なぜこうなったか理由は分からない。

 全人類の脳内に直接届いたこのルールは初めは夢や錯覚だと考えられた。

 ただ、実際に死んでも仕方ないと思われた人間が死んでいってしまった。

 何者かによるテロの可能性や新種のウイルスなど様々な可能性が検討されたが遺体からは何も検出されない。 

 共通しているのは報道された凶悪犯であったり、死の直前に誰かに迷惑を掛けた人間であるという点だ。

 このルールが真実味を帯びてくると人類の意識は変わっていった。

 理不尽に怒鳴りつけたり、立場の弱い人間に無茶な要求をしたり、そういったことをする人間が少しずつ減っていった。

 例えば道で肩がぶつかっても

 「すみません」

 「いえいえ、こちらこそ不注意で」

 と、お互いに殺意を抱くことなく丸く収まる。

 そんな優しい世界へと変わっていった。

 

 しかし、悪意の種が完全に消えた訳ではない。

 10人以上に殺意を抱かれると死ぬ。つまり、殺意を抱く者が0人でも9人でも生きられるということ。

 重要なのは10人目。9人までならセーフという考え方だ。

 犯罪行為を報道されたり、多くの人が見ている前で理不尽な怒りをぶつければ、それは自分への殺意となって返ってくる。

 だが個人相手ならどうだろう。

 1人に殺意を向けられても死ぬことはない。

 家族や友人に相談されて殺意が広まれば死ぬかもしれない。ただ、特定の個人ではなく、漠然と世の中にいる犯人に対しての殺意だとしたら?

 その殺意は本当に自分に向けられていると言えるだろうか?

 優しい世界に生まれ変わって早20年。

 かつての殺伐とした世の中を知らぬ者達も成人している。

 優しいがゆえに悪意に気付かないし、悪意というものを知らずに育ってしまった。

 その結果、彼女は凌辱された。

 夜道を一人で歩いているところを襲われ、男に欲望の限りをぶつけられた。

 口を押えられ声を上げることができない彼女は殺意のこもった瞳で男を睨みつけている。

 その殺意は10人以上のものに相当するだろう。しかし、一人分の殺意であることに変わりはない。

 なぜなら男は生きて、彼女を犯し続けている。

 男は満足したのか彼女を放り捨て立ち去っていった。

 

 一週間が経過したが男はまだ生きていた。

 彼女は誰かに相談しただろうか。仮に相談したとして、自分に殺意を向けるのは果たして10人未満だろうか。

 仮説が正しければ、逮捕されて報道さえされなければ9人まで好きな女を犯せる。

 自分に直接殺意を抱けるのは犯された女だけだ。

 悪意の種はしっかりと芽を出し、確実に大きく育っていた。

 2人、3人と毎晩代わる代わる女を犯し、ついに今夜が9人目だ。

 これからは今まで犯した女をもう一度襲おう。そんな考えも芽生えていた。

 そして、ついに9人目の被害者が出てしまった。

 これまでの被害者たちと同様に男に殺意を向ける。

 するとその瞬間、男は死んだ。

 彼女は恐怖でそのまま逃げだす。現場に残されたのは男の遺体だけ。

 なぜ死んだのか。その理由は男だけが理解していた。

 「俺みたいなやつ死ねばいいのに」

 欲望の限りを尽くしながら、自分自身への殺意を抱いていた。

 これまでの被害者8人と、最後の9人目、そして自分の合計10人。

 10人から殺意を抱かれ男は死んだ。

 罪を償う時間も、謝罪の場所も与えらえず、ただの罪人として死んだ。

 多くの者から殺意を抱かれた者は、懺悔もできずに死んでいく。

 この世界は、本当は優しくないのかもしれない。

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