4-10 戦略
リールの突きだした双頭槍の先には大きなクレーターが出現した。バラバラと吹き飛んだ分の土が降り注ぐ。そこにはマーチの死体はなく、そもそも彼に手応えも無かった。肩に当たる土の雨が止み、彼はゆっくりと振り返った。
「お前も俺の遊び相手になってくれるのか?ゲルセイン」
彼の目線の先には、小柄な杖をついた老いた男、ゲルセインがいた。眼鏡の位置を直しながら、リールを見据える。
「ほっほっ。おぬしが儂の遊び相手になってくれるのじゃろ?」
ゲルセインの隣には、マーチが座り込んでいた。
「な、なんであんたが……?」
「メイングオラ様に言われたからのお。ま、仕方なしじゃ」
ゲルセインは黒いローブの袖をまくり、細く長い指を露わにする。ゆっくりとその先をリールに向けた。
「
彼の指先に球体の光が現れた。それは一瞬にして周りに拡散し、景色を包み込む。
「目くらましかっ!」
リールは腕で目を覆った。光は収縮せずに周りを覆い隠し続ける。
「馬鹿が」
目を閉じたまま、彼は双頭槍を構えた。耳と肌に神経を集め、どんな些細な情報も見落とさないほどの集中をみせる。
彼には空気の流れが手に取るように分かった。
「級、悪、混、倫、該、髑、魑、轟」
ぼそぼそと呟く声がリールの耳に届いた。
小さくとも、音の発生源が分かるほどに彼の耳は鋭く、すぐにその方向を特定する。構えた双頭槍を前に突き出し、地面を蹴った。
踏み込んだ右足が、地面を打ち鳴らす音が響いた。しかし、突き刺したハズの槍は空を切り、声は後ろから聞こえ始める。
「源、根、読、降、幅、幸、鏡、蠱」
(声を反響させてんのか……。仕方ねえ)
リールは双頭槍を肩越しに深く構え、腰を捻った。膝を軽く曲げ、右足の指で地面を掴むように力を貯めた。
「うおらあああ!!」
長く長く伸びたバネが伸縮するように、リールの筋繊維の収縮と伸びは流れるように刃の先へ伝わる。凄まじい程の空気を切り裂く音とともに、双頭槍が彼の周りを暴れまわった。
それでも、ゲルセインに触れたような感覚は無かった。
「凄まじい威力じゃの。見事見事」
魔力が切れたのか、眩い程の光は次第に消え、視界が戻り始める。ゲルセインはリールの真正面に何食わぬ顔で立っていた。
「でも当たらなければ意味がないのお」
にやりと不敵な笑みをゲルセインは浮かべ、呪文を口にする。
「
彼の両脇の空間が円を描くように歪んだ。中心部は闇のように深く、小さなブラックホールのようにも見えた。
(ヤバイ)
リールの頭に流れ込んで来た直感と、それに従う判断は正しかった。彼は全力で上方に飛びあがり、空中からその空間の歪みを見た。
中心の闇から、レーザーのような一直線の黒い靄が吐き出された。それは先ほどまでリールが立っていた場所に触れたかと思うと、巨大な穴を開けていた。音は無く、その場の土がはじけ飛んだ様子も無かった。
「逃げられるかのお?」
歪みは向きを変え、再びリールへと狙いを定め、靄を吐き出した。
リールは空中を駆け巡る。その靄は直線しか取らないと直ぐに理解し、歪みの中心部の向きから方向を事前に予測した。
途中一度、左足の太ももが靄にほんの少しだけ触れた。切られた、抉られた、そんな感覚ではなく、単純にその部分が無くなっていた。
(防御不能か……)
ゲルセインの攻撃は、終わりがないと思ってしまう程に乱発される。しかし、そのどれもリールに直撃することはなかった。彼のスピードは次第に速くなっていた。
「当たらなければ意味がないんだったな?」
ゲルセインから見て左前方に居たはずだった。そこを狙って靄を吐き出した次の瞬間には距離を詰められていた。
双頭槍がゲルセインの腹部を襲った。二本ともが背中から飛び出した。
「ごほっ……」
ゲルセインはうつむき、血を吐いた。それはぼたぼたと地面に垂れ、その途中にあった双頭槍をも赤色に染める。
「その通りじゃ……」
虫の息かと思われたゲルセインは両腕で双頭槍を掴んだ。両脇の空間の歪みが向きを変える。リールは咄嗟に双頭槍を離し、後ろへと距離を取って靄を避けた。
「これも避けるか……さて、どうしたもんかのお」
ゲルセインは自分に突き刺さったままの双頭槍を見た。血は流れ、痛みも当然感じていた。あまり長くは持たないことを自覚する。しかし彼にとって、自分の命など大して興味は無かった。ただ、メイングオラの命を実行できない事だけが問題だった。
時間も無い。相手も手練れ。魔法はそうそう当たらない。
ゲルセインはリールを見た。そして、一つあることに気が付いた。
「んん?どうした、お前さん。手ぶらか?」
彼は未だ武器を手にせず、双頭槍はゲルセインに突き刺さったままだった。
「なるほどなるほど……」
ゲルセインの元々多かった顔の皺がさらに強調された。口元は思わず開き、白い歯が小さく覗く。
歪みが再び動き出した。リールを狙い、靄が打ち出される。
「当たんねえよ」
リールは軽々とそれを避け、ゲルセインとの距離を詰めようとする。しかし、その先を読むようにもう一方の歪みが靄を打ち出した。上半身を反り、ぎりぎりでそれを避ける。
一度距離を取り、攻めようと試みたが歪みはリールの進もうとする一歩先に靄の標準を定めていた。
「ほっほっ、やはりか。お前さん。この双頭槍を手にしないと武器の出し入れが出来ないな?」
リールは目を見張った。たったこれだけの挙動で看破してくる相手は、マスロワを含めても今まで誰一人居なかった。
リールの双頭槍は出し入れが自由な武器だった。しかし、それは自分がそれに触れている間だけ。手から離れてしまえば素手で戦う他はなかった。さらに、彼にとって問題だったのは、攻撃手段は双頭槍を介する必要があるものばかりだったこと。
「これは勝機が見えてきたのお」
ゲルセインは左の指を出し、
リールの視界から全てが消える。ゲルセインの視界から全てが消えた。
状況は五分五分、ではなかった。リールの手には武器が無い事。ゲルセインは相手の気配を読むことが得意な事。歪みが吐き出す靄は音すらせずに対象を消すこと。
リールの背中を冷や汗が流れ落ち、全身の肌が危険を訴えるかのように鳥肌を立たせていた。しかし、動かなければそれこそ恰好の餌食だということは分かった。
右に左に、上に下にとリールは走り回った。視界は広がらず、音も立てない靄はどこを攻撃しているのか分からなかった。
宙を飛んでいたリールの左膝から下が消えた。
捉えた、とゲルセインは思った。
捉えた、とリールも思った。
運が悪かったのは、ゲルセイン。最初の一撃で仕留められなかったから。
運が良かったのは、リール。最初の一撃で行動不能にならなかったから。
二人の単純な実力としてはリールの方が上だった。しかし、既にマーチと戦った後だったこと、ゲルセインの戦術が巧みだったこともあり、形成は完全にゲルセインへ傾いていたと言える。しかし、結果としてはそうではなかった。
リールは地面に着地した瞬間に残った右足で地面を蹴り上げる。靄が来たその方向にゲルセインが居るのは明白だった。
目の前に現れたゲルセインの腹にある二本の双頭槍を掴んだ。
「強かったぜ。流石、現ベルヘイヤの長だ。いや、もう元になるな」
双頭槍を左右に引き裂いた。ゲルセインの上半身と下半身は二つに分かれ、倒れる。両脇の歪みは消え、景色も晴れた。
「これだけ……時間を稼いだんじゃ……、十分……じゃろう」
「
リールが振り返ると、そこにはマーチの姿があった。彼女の足元には複雑な魔法陣が描かれている。
それは白く美しいキトンに身を包み、全てを包み込むように手を広げている。その見惚れてしまいそうな存在感は、同時に圧倒的な威圧感をも相手に与えていた。
『マーチや。儂じゃアイツには多分勝てんぞ』
『え?何言ってるのよ。倒しに来たんでしょう』
『この年じゃ、もう引退時期じゃわい』
『そう言いつつ三百年ほど生きてるじゃないの』
『うるさいわ。その減らず口あったら大丈夫そうじゃの。時間は稼いじゃる。最後の魔法と思って準備せい』
『……分かったわ』
『いいな、儂の事を気にかけでもしたら許さんからの』
本当に、ごめんさない。ありがとう。
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