4-8 フェイク

 血が溢れているのが見えた。意識が飛び飛びになっているのを自覚する。成谷は壁に背をあずけ、右手、両足を前方に投げ出して座っていた。


「ここまで私と戦えたことを、あの世で誇るがいい」


 目の前に居るはずのマスロワの声がどこか遠くに聞こえた。視界はボヤけ、マスロワが振り上げた大剣が二重に見えた。


 渾身の力を足に込めて成谷は立ち上がった。痛みはとうの昔に麻痺してしまっていた。しかし、全身に上手く力が入らない。


 振り下ろされる大剣に対応できるほどの体力は無かった。




「全く、何をしているのですか」




 突如として変化した現実に理解が遅れた。成谷の前に現れた男はマスロワの懐に入り込んだと思いきや、その巨体を遠くへ吹き飛ばした。


「……クニック?」

「他に誰に見えますか?」


 そう言いながら、ヒロー・クニックは成谷の左腕の傷口に手を当て、とりあえず流れ出る血を止める。成谷の口の中に懐から取り出した源素液を流し込み、体力の自己回復を増進させた。


「すまん……、助かった。マーチから言われたのか?」


 完全に回復した訳ではなかったものの、視界ははっきりと見えるようになり、意識の途切れは無くなった。成谷は自分の手がちゃんと動くのを確認する。


「ええ、そうです」


(同じ考えだったわけだ)


 成谷は一人小さく苦笑した。


「今日はなんと反逆者の多いことか」


 マスロワは瓦礫の下から姿を現した。クニックに吹き飛ばされたものの、大したダメージは無いようだった。


「あれは……バロワ・マスロワですか?」

「ああ。でも、変化する自身マニヘクストロ・マロワを使ってる」

「専用魔法ですか。噂では聞いていましたけど、本当にあるんですね」


 マスロワの姿は最初とは大分違っていた。元々大柄な体躯はさらに巨大化し、身長も三メートル以上はあった。頭からは悪魔のような二本の角が生え、手に持った大剣は二回りほども大きくなっている。その立ち姿はまさに、化け物だった。


「ライントラフのクニックか。老い先短い命をさらに短くしにきたのか」

「お生憎ですが、ここでは死ぬつもりはありません」


 クニックはマスロワと相対し、右手の平を上へ向けた。


取り出す扉の先のミクス・ケルタ


 その声に呼応するかのように、クニックの手には小さないくつかのナイフが出現した。それを器用に指の間に挟む。


「それでは、よろしくお願いします」


 紳士的にクニックは一礼し、ニコリと笑った。右手の指に挟んでいた三本のナイフをマスロワに向かって投げる。


 しかし、マスロワが大剣を一振りするだけで、それらははじけ飛んだ。風圧がクニックまで届いた。


「これは、直撃でもすればひとたまりもありませんね」


 クニックは足に力を込め、部屋中を縦横無尽に飛んだ。マスロワはその動きを冷静に目で捉えている。タンッタンッというようなリズミカルにさえ聞こえる音が響いた。


「そんなスピードで煙に巻けるとでも思っているのか?」


 マスロワが大剣を振る直前、再び三本のナイフが彼を襲った。反射的に大剣の軌道はクニックを狙うのではなく、ナイフへと向けられる。先ほどと同じようにナイフはマスロワに刺さることなく辺りへ転がってしまう。


 未だクニックは飛び回っていた。


(メイングオラのように、飛んだ先で陣を形成している様子も無いようだが……)


 右足と大剣を引き、横一線に薙ぎ払おうとしたときだった。またもや三本のナイフがマスロワを襲った。同じように、大剣でその対処を行う。


 マスロワは辺りへ目を向けると、いつの間にか成谷の姿が見当たらなかった。そこで、やっとクニックの狙いに気が付いた。


(私の初動を封じつつ、メイングオラが本命ということか)


 攻撃の所作、移動の所作、あらゆる彼の行動の直前にナイフは飛んできた。どれもマスロワの肌に辿り着くことは無かったが、行動の出鼻を挫かれるというのは攻撃のタイミングを制圧されるようなものだった。しかし、それが分かっているのなら。


 マスロワの周りには数十本ものナイフが散らばっていた。彼は大剣を構え、切り付ける初動を見せた。予想通りにナイフが飛んでくる。動き出しを一拍遅らせて、小さな足さばきでナイフを避けた。その流れのまま、クニックへと距離を詰める。


 という訳にはいかなかった。マスロワの右足首は地から這い出る黒手に力強く握られていた。


「メイングオラァ!!」

「呼んだか?」


 成谷はいたずらに笑いながら、地面から浮くように姿を現した。彼が腕を振ると、黒手も同じように動き、マスロワを壁に叩きつけた。


「くっそ重てえなあ!!!」


 壁からマスロワを引きはがし、再び叩きつけようとした。しかし、二度目はならなかった。マスロワは地面へ大剣を突き刺し、無理矢理に自分の位置を確保する。


「小賢しい真似を」


 マスロワは膝を曲げ、つま先へ力を溜めた。次の瞬間にそれは解放された。巨大な体ゆえか、力の爆発力は異常なほどで、飛び回るクニックの目前へ一瞬で移動する。飛ばされたナイフは置き去りにされたかのように、先ほどまでマスロワが居た場所に寂しく突き刺さっていた。


 大剣はクニックの体を捉え串刺しにした。しかし、その体は血を流すことなく、代わりに砂になって消えた。


 背中からまた三本のナイフが飛んでくるのを、マスロワは軽く避けた。


「うざったいよなあ。このじわじわと行動が制限されていくような感覚。分かるぜ」


 成谷はマスロワに向かって語りかけた。その間もクニックは周りで飛び回っている。マスロワは無表情のままで、目はクニックを捉えていた。


 (メイングオラも同時に相手する以上、クニックをずっと視野に入れられる訳もない。ならば偽物との入れ替わりも容易だったわけか)


 マスロワは大剣を右肩に担いだ。成谷への目前へと一歩で距離を詰め、左足を強く踏み込んだ。薙ぎ払いで彼の左側を狙う。


 大剣と右の黒手がぶつかった。轟音と振動が部屋を反響する。


防げ揺らめきウインデルエンス


 飛んでくるナイフがマスロワに当たる直前で揺れ、地面に落ちる。呪文を唱えてから、彼を守るようにして風が纏わりついていた。


「どうした?集中力がねえなあ」


 大剣を止めていた黒手が侵食を始めた。マスロワの持つ大剣が徐々に黒に染まってゆく。


「ふん」


 マスロワは大剣を掴まれたその状態のまま振り切った。振りかぶりの無い力技だったが、地力による単純なその攻撃は対処の仕様がない。


 黒手は振りほどかれ、成谷は壁に叩きつけられた。しかし、その姿もまた砂へと変わり、消える。


「どうした?集中力がねえなあ」


 地面から成谷が形作られる。


「どうした?」「集中力がねえなあ」「どうした?」


 それは一体ではなかった。次第に数は増える。そして、成谷だけでも無かった。飛び回るクニックの数も増える。投げられるナイフのスパンも短くなっていた。


 部屋の中心にいるマスロワは小さく息を吐き、膝を低く落とした。鞘など無かったが、抜刀前かのように大剣を腰の位置で構える。


 成谷とクニックは力量差を理解していた。真正面から向かい合えば、二人がかりであろうとマスロワには遠く及ばない。だから策を弄する。遥か上に居るマスロワに届くよう願いながら、手を伸ばす。


 放たれるナイフは風の壁に阻まれ、一本もマスロワには辿り着かない。しかし、そこにはマスロワの意識が向いている。意識が揺れている。集中はできない。


 マスロワの視界の端で一体の成谷が動いた。さらに、その反対でも動く。ナイフが投げられる。風により阻まれる。地面から黒手が這い出てくる。マスロワの両足首を掴む。


 彼の左後ろから殺意が覗いた。


 これは違う。本命は……。右前!


 黒手を鋭い針状に変え、いくつもの成谷を陰にして、襲い掛かってくるのもまた見た目は成谷だった。


 マスロワは抜刀し、向かってきた成谷を一刀両断にする。足首を掴んでいた黒手は簡単に振りほどかれた。さらにそれだけでは終わらなかった。右前もまたフェイクだと分かっていた。狙いは、マスロワにフェイクだと、〈思わせた〉最初の位置。やはり左後方。


 切り裂かれた成谷は砂へと形を変える。マスロワはそのまま腕を開き、左後方まで大剣を持ってくる。足首を掴んでいた黒手はマスロワのパワーの前にほぼ機能していなかった。


 その一周で何体が砂へと変えられたのか。言わばたった一振り。それが一撃必殺と言えるほどのエネルギーを溜め込んだまま、全てを切り裂いていく。




切り裂いたそれらは全部フェイクだった。

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