4-7 手のひらの上から、落ちた
リールが役職に就いてからというもの、彼の想像よりも遥かに強敵の出現は少なかった。大抵は自暴自棄の
リールは改めて双頭槍を構える。集中力が極限にまで高められ、彼の持つ五感の全てが鋭くなっていた。
「繋がる点と点、広がり伸びる線、
マーチの杖から光の線が現れた。それは彼女の周りを漂い、浮遊を始める。そして、彼女を守るように張り付いていた人魚は、マーチの指示に従い動き出した。
二体同時にリールへと剣を向ける。しかし、その程度の攻撃で今のリールは止められなかった。双頭槍を器用に回転させ、その遠心力で人魚を二体同時に切り刻んだ。その流れのままでマーチとの距離を一瞬にして詰める。
先ほどと同じような突き、ではなかった。途中でその動きを止め、添えた左手を中心に手前に回転させる。そうすることで、マーチの真下から刃が襲い掛かる形となった。
予測できない攻撃の変容は、この武器を使い慣れたリールにのみ出来るものだった。マーチの凝縮させた
しかしそれでも、リールの双頭槍は未だ彼女には届かなかった。光輝く紐が横に張られ、槍の刃はそれに絡め止められた。
「力技は私には届かないわよ」
双頭槍を止めた紐をマーチは伸ばし続ける。刃から柄へ、リールの手に向かってどんどんと侵食を始めた。
「ちっ」
リールは再び双頭槍を回転させ、紐に絡まれていない方の刃でマーチへと攻撃を仕掛ける。しかし、攻撃手段の片方を封印されれば、攻撃箇所の予測は容易になった。そうなれば、当然、
そして、そうこうしているとまた二体の人魚が復活を始めていた。リールは視界の端でそれを捉えていた。人魚が迫り、相も変わらずリールへと剣を振り上げる。
「
人魚が振るった剣は空を切った。マーチの目の前にいたはずのリールは一瞬によって姿を消す。
移動先はマーチの背後だった。相手の視界外へ移動するのは戦闘のセオリーであるゆえに、マーチもまたすぐにその位置に気が付く。ただ、その一瞬の時間差をリールは欲していた。
再び槍の刃がマーチに襲い掛かる。
そのハズ、という先入観がマーチの動きを鈍らせた。
背中を深く抉られた。蛇口をひねったかのように血があふれ出しているのが分かった。全身を硬直させるような痛みが襲い、彼女は空中で体制を保っていられなくなる。
人魚の制御魔法は解け、形を崩し氷雨のように降り落ちる。それらに付き従うようにマーチも落下していった。意識はまだあった。奥歯を食いしばり、地面との直撃前に
「っ……!はぁ、はぁ!」
息が上がり、痛みから来る熱が全身を駆け巡る。背中の感覚はどこか他人のもののようにボヤケ始めていた。
空中から槍が飛んで来た。紙一重でそれを避けるが、すぐにリール自身がマーチに襲いかかってる。先ほどまで一本だった双頭槍は今、片手に一本ずつ計二本握られていた。
(その武器は出し入れ自由ってわけね)
マーチの考えは正解だった。リールが扱う双頭槍は専用武器であるものの、魔法で形づくられたもので、消すも現すも自由自在に出来た。それ故に、紐で絡み取られていた双頭槍を一度解除することで、先ほどの攻撃を可能にした。
二本に増えた双頭槍は器用にあらゆる方向からマーチに襲い掛かった。単純にその手数は二倍で、その割に威力はさほど落ちていないことがリールの強さを物語っていた。
杖で刃をいなしたと思えば、次の瞬間には反対方向から刃が切り刻んでくる。致命傷はギリギリのところで躱していたものの、顔や腕、胴体や足、全身あらゆる箇所から血が流れ始める。
額から流れた血が目に入り込んだ。マーチ思わず目を細め、空いていた左手で拭ってしまう。狭まった視界の中で、相手の動作の認知にもブレが生じてしまった。
リールの突きがマーチの右前腕を貫いた。杖を掴んでいた指から力が抜けていく。彼女の魔法は杖を介在させることで魔力や正確さの増加を図っていた。しかし、今それを手放してしまった。
リールは突きさした槍を抜かなかった。そのままの状態を保ち、右手の動きを封じる。もう一本の双頭槍でマーチの首筋を狙った。
「
マーチはぽつりと一言、呪文を唱えた。詠唱すらない呪文だった。
「なっ……?!なんで動かねえ!!」
リールの向けた刃はマーチへと届く僅か数十センチ手前で止まった。槍だけではなかった。腕を動かす事、足を動かす事、首を動かす事、あらゆる自由が奪われていた。
マーチは悲痛な表情を浮かべながら、右腕を槍から抜いた。落としていた杖を拾い、
「
「
襲い掛かる危機感から、反射的にリールは防御魔法を唱えた。二本の双頭槍は消え、彼の皮膚硬度を上げる事だけに力の全てが注がれる。
彼の判断は正解だった。リールの全身から大量の切り傷が発生する。血が多少流れ出すものの、防御魔法を使用していなければ、大量出血どころか五体満足では無かったであろうことが容易に想像出来た。
彼女の判断は失敗だった。油断していた、というにはあまりにも些細な事だった。動きを封じたことから来る無意識の慢心だったのかもしれない。失敗の一つ目は自分の応急処置を優先させたこと。この数秒の間でリールは辺りに目を配り、現状を把握する時間を得ることが出来た。二つ目の失敗は
「出ろ」
リールの指先に五十センチほどの小さな双頭槍が出現した。彼は器用に指先だけでそれを動かし、周りの空間を切り裂く。次第にリールの全身は自由になっていった。
「最初からこの罠を想定していたのか?」
「……そうよ」
マーチは苦虫を噛み潰したような表情になる。
彼女の
実際は、
全てマーチの掌の上で進んでいた。しかし、リールのとっさの判断力、防御力の計算違いが結果に大きく影響してしまった。
リールは再び二本の双頭槍を手にする。
「くくくっ。流石に今のはゾクゾクしたぜ。さあ、続きといこうかあ!」
口角が耳元まで上がり切っていた。リールにダメージが無い訳ではない。全身から血は流れ、脇腹には深い傷があった。それにも関わらず、回復魔法を唱える様子は微塵も無かった。
(コイツ……。今までよりスピードが上がってない?)
リールの槍は凄まじい程の手数でマーチに襲いかかった。右首筋への刃を防いだ次の瞬間には、左わき腹が狙われる。バックステップで距離をとっても、リーチの長い双頭槍から逃れるには難しかった。
マーチの動きが悪かったわけではない。背中の痛みが響く中でも、目は相手を捉え、正確な回避行動をとっていた。しかし、リールの動きがただただ上手だった。
マーチの頬から、肩から、腕から、足から血が出始める。じわじわとダメージが蓄積していった。それよりも彼女にとって、絶望的だったのは逆転の手が見つからなかったことだった。マーチは攻撃主体の魔術者ではない。防御魔法が得意で、基本的には味方のサポートに徹していた。
しかし当然、ここにはマーチとリールの二人しかいない。そうなれば、一度手放した場の流れがリールへと移るのは明白でもあった。
リールは前へ前へと攻め続ける。対照的にマーチは後ろへ下がり続けるしかなかった。なんとか逆転の糸を探ろうとするも、目の前の対処で手一杯になる。それほどに、リールの攻撃は早く重かった。
マーチの持つ杖が薙ぎ払われた。手は離さなかったものの、胴体ががら空きになる。
「これまでだな」
リールは心底残念そうにぽつりと漏らした。右肩を引き、筋肉が引き締まるのが彼女にも分かった。これはマズイ。そう思ったものの、
槍が突撃するかと思われた瞬間、リールは彼女の目の前から消えた。
マーチは咄嗟に振り返る。しかし、そこにも彼の姿はなかった。
それなら残るは、上。
走馬燈かのように、彼女の目には動きがスローに見えた。空中でリールが右手を突き出し、回転を加え、刃が襲い掛かってくる。
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