4-6 VSカハル・リール

 入口の扉を開けると、一直線の廊下があった。物音は一切せず、奥に一枚の扉があった。響く自分の足音を心音に合わせながら歩くと、緊張は多少和らいだ。


「さてと、正念場ね」


 一枚の扉を前に、マーチは一度目を瞑った。意識を自分の中心に集めると、外の情報が遮断されていき、集中力が増した。これが彼女の精神統一法だった。呼吸は落ち着き、自然体へ状態を戻していった。


 ゆっくりと目を開き、ドアノブへと手をかけた。


「よお。待ってたぜ」


 広がる草原の中に一人の長身の男が立っていた。上半身は裸で胸に大きな傷があった。袴をはき、両端に刃のついた槍を持っている。細身で髪は非常に長く、整った顔立ちが鋭い目つきを際立たせていた。


「外に繋げたのね」

「ああ。広い場所の方が楽しいだろ?」


 マーチは辺りを見回した。部屋に入ったと思っていたが、ここは外だった。星や月の明かりが綺麗だった。


監禁図書ビブリテイカはどこにあるの?」

「まあ、ここに来るってことはそれが目当てだよなあ」


 男は袴の内側に手を突っ込み、一つの鍵を取り出した。


「今入って来た扉にこれを刺せば、手に入るぜ」

「親切に教えてくれるのね」

「隠す必要ねえだろ。俺が死んだ後の事なんて知ったこっちゃねえ。好きにしろ。ま、負けるわけねえけどな」


 彼は不敵な笑みを浮かべた。


「あなた、名前は?」

「カハル・リールだ。お前はファルシルアン・マーチだろ?知ってるぜ。ライントラフ戦隊長」

「まだ、連絡届いてないのかしら?私はもう放浪者シルシスタンスよ」

「そうなのか?いい度胸じゃねえか。まあ別にどうでも良い。お前がここで死ぬことに変わりない」


 リールは腰を小さく落とし、双頭槍を構える。それを見て、マーチも杖を構え臨戦態勢に入った。


「繰り出す足に動き出すは風景を抑えたる力を予想する死に際の夢、踏み締める距離カルガルナランタ


 呪文を呟くとリールは右足で地面を蹴り、前へと推進する。一歩前に出ただけのはずだったが、一瞬にして距離は詰められ、双頭槍の攻撃範囲へと侵入した。


見えない壁パラレリアント


 リールの突きはマーチの数十センチ手前で止まる。うっすらと透明な膜が張られているのが月の反射で分かった。リールはその場で右足を踏み込み力を込めたが、衝撃音と振動が拡散するだけで、ヒビ一つ入る様子は無かった。


「うらあああああああああああ!!!!!」


 目にも止まらぬ速さの連撃が繰り出された。その一発一発は非常に重く、見えない壁パラレリアント越しでもすさまじい覇気と振動が伝わって来た。


 キシッ……。壁の一部が小さく悲鳴を上げた。リールの攻撃は一か所に狙いを定めていた。そのために、マーチの魔法にも限界が見え始める。


「空間が謳われる、吹きすさぶ流れ、風切りの剣マスカリードフィネル


 耳を奪われるほどの音とともに、突きを繰り出し続けているリールに空気の刃が襲い掛かる。それは凶悪なかまいたちの様なものだった。次第にリールの腕や足、全身に切り傷が増え、血が流れ始める。


 しかし、彼は構わず目の前の透明な壁への攻撃を続けていた。いや、正確には構わなかった訳ではない。斬撃の位置、深さを予測し、多少の体裁きでダメージを最小限に抑えた。そのおかげで、致命的ダメージを貰うことなく、ついに、見えない壁パラレリアントを破る。


 思わず、リールに笑みが零れた。


「見えたああああ!!!!」


 壁に空いた小さな穴を正確に突いた。その速度はこれまでの攻撃の中でも最高速で、呪文を唱える隙すらも無いほどだった。


 しかし、人を貫いた感触は無かった。


(馬鹿な。魔法を使うタイミングなんて……。いや、風切りの剣マスカリードフィネルの時か!あれはただの攻撃でなく、風の音で耳を奪う役割だったか!)


 彼の視界の端に何かが映った。それは多大な殺気を持っていた。反射的にリールは横っ飛びで転がる。先ほどの場所に目を向けると、氷でできた剣がそこには突き刺さっていた。その柄を握っているのは、巨大な人魚だった。そして、その人魚もまた氷で形作られていた。


 危機を回避したと思ったのもつかの間、後ろからの気配にリールは振り向き、槍刃で襲い掛かって来た氷剣を受け止めた。


「ちっ。もう一匹か、めんどくせえ」


 リールの周りには氷の人魚が二体出現していた。そのどちらもが、彼に襲い掛かり、これはマーチの魔法によって作られたものだと直ぐに分かった。


(あいつは?)


 辺りを見回す。その間にも人魚は襲い掛かってくる。後ろに大きくバックして距離をとることで、視界を広げた。彼女は二体の人魚の上空に浮かんでいた。


「さっさと倒れてちょうだい」


 マーチが右手に持つ杖を振ると、それに呼応するかのように人魚が再びリールへと襲い掛かる。


 一体目の氷剣を槍でいなし、二体目の横振りは飛んで躱した。二体同時に襲いかかってくるといっても、所詮は魔法で動かされた物体。攻撃の細かい動きやキレは、リールより圧倒的に劣っていた。


 彼は双頭槍を体の周りで回転させた。二体の攻撃の合間を抜きながら、上半身と下半身を二等分させる。ガラガラと氷の砕け散る音が響いた。


 そしてそのまま彼は空中を闊歩する。踏み締める距離カルガルナランタはただスピードを上げるだけでなく、空中でも地面を踏むように歩くことを可能にする魔法だった。しかし、それは空中でのバランス感覚を保つことが可能な、熟練者であるリールならではの魔法だった。


吐き出す炎天マージシウトーレ


 マーチが前に出した杖の周りに魔法陣が描かれた。その中心から炎が発射され、リールを襲う。


全てを襲う槍ダウラムセルフ


 リールは距離を詰めながら双頭槍を振るう。実態のないはずの炎ですら、この魔法によって弾き飛ばしてしまった。


強化ガルフム


 彼の持つ双頭槍の刃部分がより強固になったのが見て取れた。刃の大きさだけでなく、その武器が放つ禍々しさが増す。リールは自分の射程距離に踏み込んだ。


 マーチは先ほどと同じバリアを張った。しかし、その強度はもう通用しない。リールの突き一発でヒビが入る。間髪入れずに踏み込まれた二発目によって、早くもそのバリアは破られた。


「終わりだ!」


 左足の踏ん張りから始まり、腰の回転によって威力が腕へと伝達される。踏み込んだ右足は勢いを加速させ、それら全てが右手の先に延びる槍の先端へと集中した。


「その程度?」


 先ほどよりも数段早く、威力のある攻撃は止められた。マーチは目の前一面に広げていた膜の範囲を凝縮させ、直径十センチにも満たない小さな円を作っていた。防御箇所が狭まる分だけ防げる威力も増大する。しかし当然、相手の攻撃位置を正確に予測する必要があった。


(おいおい!マジかよ!)


 槍の基本的な攻撃法は突きである。つまり、攻撃回数が剣とは段違いに多い。この数秒の間に何十もの攻撃を繰り出した。それなのに、マーチの体に届いた回数はゼロ。


 リールが歯を食いしばり、次の一撃に全霊を込めようとした瞬間、背後から氷剣が襲い掛かる。意地になってしまったのが彼の失敗だった。反応の速さによって、致命傷は避けたものの、横腹に大きな傷口が開き血と痛みがあふれ出した。


「さっき壊したハズ……」


 目の前には先ほどの人魚が二体、マーチを守るように蘇っていた。


「氷で出来てるのよ?死ぬなんて概念があるわけないじゃない」


 マーチの言った事は半分正しく、半分はハッタリだった。氷で出来ている以上、どれだけ壊しても蘇ることは可能だった。ただ、復活には源素を必要とする。魔法発動時に込めた源素が尽きれば、再び呪文を使わなければ蘇る事は無かった。


 しかし、この発言は相手を精神的に追い詰める。カハル・リールで無かったならば。


「おもしれえ……」


 カハル・リールは命の殺り取りに生きがいを見出していた。彼は放浪者シルシスタンス出身であり、小さい頃から戦闘の中に自分の命を置いていた。命からがら生き延びるたびに、彼は生を実感し、成長し大きくなってからも強者と戦うことを目的に人生を謳歌していた。

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