4-4 VSバロワ・マスロワ
その空間は上下左右ありとあらゆる場所に階段が伸びていた。重力の方向が各箇所で違っているのか、階段の先にある扉もまた自由な角度を持って設置されている。まるでエッシャーの錯視階段を目の当たりにしているようだった。
「識、空、覚、認、昇、
成谷が唱えた呪文によって、彼の感度が上がる。周りをぐるりと見回すと、地下に進む方向に人の気配があるのが分かった。
この呪文を使うと相手の気配を肌で感覚的に察することが出来るようになる。ただし、その感覚はアバウトで、相手が気配を抑えようと意識すれば察知できる感覚は小さくなる。しかし、成谷が今感じた気配は非常に大きく、挑発さえしているように感じた。
「逃げも隠れもしねえ、ってことか」
コツコツと、成谷の靴が階段を叩く音が響く。彼は焦らず、落ち着いて下へ下へと下って行った。魔獣の数匹くらいは襲ってきても良いものだったが、辺りにそのような気配は見受けられず、その分、より正確に相手の居る位置を感じる事ができた。
成谷は身近にあるドアを開けた。だだっ広い空間。物は何一つなく、コンクリートのような灰色一色だった。ぐるりと周りを見渡し、誰もいないことを確認し、扉を閉じた。彼はその行為を何度も繰り返しつつ、感じた気配へと近づいて行く。
まだ相手の位置が遠い事は分かっていた。その上で、あらゆる扉を開けていく。理由としては二つあった。一つは地形情報を手に入れること。彼が多数開けた扉は、様々な大きさの部屋に繋がっていた。しかし共通することとして、物は何一つなかった。
階段を下に降りるにつれ、
二つ目の理由は、相手に彼のこの行動の違和感を、直前まで与えないためだった。
「地、裂、解、理、繋、
地に添えた手のひらを中心に四方八方に亀裂が入った。それはすぐさま断裂を開始し、体重を支えていた足場が崩壊する。
大小さまざまな瓦礫は成谷と共に宙を舞いながら、重力に従い落ちていく。その先は成谷が強大な気配を感じ取っていた部屋だった。
(あいつだ)
落ちていく瓦礫の隙間から、巨大な体躯をした男が立っているのが見えた。纏っている黒服の上からでも筋肉質な体をしているのが分かった。男はまだ成谷に気が付いていないのか、上を仰いでいたが成谷と視線は合っていない。
「鎖、鋭、牢、早、堅、
右手で触れたコンクリート片はみるみる内に鋭い槍へと変形した。成谷は男に狙いを定め、思い切り振りぬく。
風を切る音が鳴った。耳の奥をくすぐるような鋭さを持って、その槍は男を貫いた。その光景を成谷は確かに目で見た。胴体の中心部に槍は突き刺さった。
「不意打ちは戦闘の基本だ。故に、読みやすい」
真後ろから声が届いた。振り向かずとも感覚が訴えていた。目前に死が迫っている。
男の手は成谷の背中に向けられ、彼は呪文を唱えようと口を開く。しかし、成谷の方が早かった。
「
成谷の背中から黒い羽が伸びる。それは男を包むように丸くなった。ここは空中、さらに男が虚を突いたと思い込んだ瞬間だった。逃れる暇もなく、彼の視界は暗闇に包まれる。
「死ね」
成谷は背中から伸びた暗闇を切り離し、握りつぶす動作をする。
ドドドドッ。巨大な卵状の内側で低く音が響いた。
瓦礫が次々と地面に着地していく中、成谷もまた足が地面についた。すぐ後にその卵型の暗闇も地に落ちる。
成谷はゆっくりとそれに近づいた。地面に血が流れ始めているのが見えた。
ズッ。
流れていたはずの血は針のようにとがり、成谷の右腕を貫いていた。
「くっ……そ!!」
成谷は無理矢理に引き抜き、距離を取った。痛みが腕全体を支配していくが、それでもなんとか動かすことはできた。
血は次第に人型のような形を取り、目の前には先ほどの男が現れた。彼もまた左手の平から血を流していた。
「なるほど、相手の後ろを取るのも読まれていたか。これもまた戦闘の基本だからな」
「お前、マスロワだな?」
視界の邪魔にならない短い茶髪は、男の鋭い目つきをさらに凶悪に見せていた。二メートル以上の巨大で筋肉質な体は相対する者を恐怖に駆らせる。彼は
「ああ。お前は?」
「成谷だ」
「そうか、いい動きだったぞ。久々に自分の血を見た」
そう言うと、マスロワは左手首をしならせる。すると、次の瞬間にその手には彼の身長ほどもある大剣が握られていた。
(記録呪文ね)
炎を出す、氷を出す、物を変形させる、出現させる。そういった呪文は何かしらの詠唱を必要とする。しかし、そういった魔法は事前に登録しておくことも可能だった。そうすることで、動作一つで魔法を発現させることが出来る。
「素手でいいのか?」
マスロワは大股で距離をぐんぐんと近づけてくる。
「武器は持たない主義でね」
振りかぶったと思った大剣はすぐさま成谷の目前まで迫る。冷静な体さばきで紙一重の所で避けた。パチンと成谷が指をならす。
「
成谷の手は黒く染まり、体積は十倍ほどにまで巨大化した。右足の親指一点のみを軸に、左足を踏み込む。全体重が乗ったエネルギーは下半身から上半身、そして右腕へと滑るように伝えられた。
ゴッッ!!
完璧な手応え。この一発で終了してもおかしくないと思えるほどだった。しかし、成谷は自分の目を疑ってしまう。マスロワは刀身を盾にし、直撃を防いでいた。さらに、奥の壁に叩きつけたと思えるほどの衝撃は、強靭な下半身によって、四、五メートル先で踏みとどまられていた。
「素晴らしい威力だ」
「それはどうも」
成谷の背中を冷や汗が流れ落ちた。手加減をしたつもりは無い。全身全霊を込めた一撃だった。攻撃のタイミングも良かったはずだった。それなのに、相手は何食わぬ顔で立っている。
「紙、聖、混、名、固、柔、
マスロワの周りの地面から幾つもの長い壁がせり出してくる。成谷はそれらに合図するように右手の平を下へ向けた。
「潰れろ」
数十本もある壁の全てが腰を曲げるようにしてマスロワへと襲いかかった。彼はさして慌てる様子もなく、握っている大剣をゆっくりと構える。
「ふん」
たった三振り。まるで豆腐でも切るかのように、全ての壁を薙ぎ払う。ガラガラと轟音を立ててそれらは崩れ去った。
「これは本命じゃないな?」
先ほどまでそこに居たはずの成谷の姿が見当たらなかった。大小さまざまな瓦礫が四方八方に積み上がり、視界は最悪だった。マスロワはニヤリと楽しそうな笑みを浮かべ、音に神経を集中させる。
コン……。
左後方。フェイク。
コン……。
右前方。フェイク。
コン……。
真後ろ。フェイク。
カタ……。
正面やや右。本命!!!
「
マスロワが持つ大剣の周りの空気が歪んだ。横一閃。瓦礫は吹き飛ばされ、奥の壁は大きく抉れる。倒れるようにして現れたものは、人型の像。成谷では無かった。
(真上か!!!)
「
成谷が操る巨大な黒色の左手は重力に従い、成谷の筋力に従い、それはマスロワを潰しにかかる。
計算し尽された一撃。壁を作り上げると同時に身を隠し、四方の石を動かし音を立てた。ただ落とすだけの音ではマスロワは微動だにしなかった。だから、
成谷の思惑通りの展開だった。
しかし叩きつけた左手に、手応えはなかった。
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