4-3 仲間

 成谷は上空から急速に落下していた。目の前に迫りくる砂丘を認識し、空中で体の態勢を整える。右手の平を地面へ向けて、言葉を放つ。


抵抗空間ハーマルフィルム


 速度は徐々に低下していき、成谷の足はゆっくりと地に着いた。ふうと息を吐き、空を見上げた。彼は目的地に向けて投指向擲ベクトラインを使用し、自分自身の体を放り投げることで、ここまで移動した。久しぶりに使う魔法は思ったよりも違和感なく発動し、全盛期の劣りを感じる事は無かった。


「さーてと。確かこの辺のはず……」


 成谷は砂からところどころ顔を出す大きな岩山を覗いて回った。三つ目の岩の裏に回ると、やや不自然な四角形のくぼみがあるのを見つけた。


「あった。これだ」


 ここが入口だった。七つある図書館ビブリマンションの位置は基本的に隠されていない。その理由としては二つあった。公開することで、侵入を試みる者が世間に知れ渡りやすいこと。侵入したところで、無書館員ビリニアに殺されること。


 成谷は岩のくぼみを掌で押した。小さな抵抗を感じると辺りが振動を始め、真下に階段が出現した。階段は長く続いているようで、奥は暗く目で確認することは出来なかった。覚悟を決め、階段へ踏み入れる瞬間、足音を聞いた。


「誰だ!?」


 その音の主は岩陰から姿を現した。黒いフードを目深にかぶり、黒い眼鏡をかけている背の低い男だった。杖をつき、少しだけ背筋が曲がっている。成谷を見るやいなや、口元は嬉しそうに歪んだ。


「っ……」


 成谷は彼を知っていた。しかし、それはメイングオラだった頃の記憶。だから、名前を口には出せなかった。相手は自分のことは分からない。分からないはずだった。


「お久しぶりですのお。メイングオラ様」

「……。なんで分かった?ゲルセイン」


 彼はマートロス・ゲルセイン。成谷がメイングオラとしてベルヘイヤの主だった頃、参謀を務めあげた男だった。


「あなた様は纏う気が違いますから。見た目など関係ありませぬ」

「お前ぐらいだよ。そんなもので人を判断しているのは」


 成谷は呆れたように肩を竦ませた。


「それで、なんで来たんだ?」

「メイングオラ様が再びこの地を踏んだとあらば、付き従わないわけにはいかないでしょう」


 ゲルセインは片膝をつき、成谷の前に頭を垂れた。そうできることが、彼にとって嬉しく誇らしかった。


「俺はもうメイングオラじゃない。成谷だ」

「私にとって、その気を纏うお方はメイングオラ様なのです」


 断固として譲らないゲルセインを前にし、成谷は息を吐いた。これからの戦いにおいて、ゲルセインが味方してくれるなら、それほど心強い事は無かった。しかし、これからの事は彼とマーチの我儘なのだ。ベルヘイヤを巻き込んでもいいものか判断がつかないでいた。


「メイングオラ様」


 ゲルセインは顔を上げ、眉間に皺を寄せて黙る成谷を見た。


「私はあなた様に従いたいのです。それはベルヘイヤとは関係のない、ただの私の意志なのです」


 彼の目は昔と変わらなかった。メイングオラの横にいる時の目と同じだった。意志が強く、メイングオラを信頼する目。それは成谷を安心させ、背中を押した。自分のしていることは間違っていないと無根拠に後押しさせる。


「そうか。ならお前の意志を尊重することにしよう」

「ありがたきお言葉で」


 ゲルセインは立ち上がり、笑みを浮かべた。


「しかし、ゲルセイン。俺が今から何をしようとしているのか分かっているのか?」

監禁図書ビブリテイカを手に入れるのでしょう?」

「ああ。その通りだ。でもその後はどうだ?」

「ここは死者蘇生ハーバードですか。誰かを生き返らせたいと。しかし、その対象者は思い当たりませんな。戦争から月日も経ってしまっていますし。それならば、何か他の使い方でもするのですかな?」


 ゲルセインの推測を聞き、成谷はくっくっと小さく笑う。


「相変わらず正確な組み立て方をするな、お前は」

「そうですかな?いやしかし、これ以上は思いつきません」


 困ったように首を傾け、ゲルセインはお手上げの様子を表現した。


「十分だ。手伝ってくれるか?」

「無論でございます」


 ゲルセインは差し出された右手を手に取った。彼にとって、メイングオラは絶対だった。ベルヘイヤという国を最強と謳われるほどの座までのし上げたのだから。


 成谷とゲルセインは図書館ビブリマンションの入口前に座り込んだ。これから行う計画について詳細に説明する間、ゲルセインは口一つ挟まなかった。全てを聞き終え、口から出た言葉は感嘆の声だった。


「この発想は素晴らしいですねえ。メイングオラ様がお考えになられたので?」

「いや、俺が住んでた世界の知り合いだよ」

「ほっほっ。魔法が使えない世界でこれを思いつくとは。いやはや優秀な方がおられるものです」

「これを成功させるためには監禁図書ビブリテイカが必要なわけだ。そこでゲルセイン、お前には頼みたいことがある」


 成谷は目の前に座る高齢の男を見据えた。それに応えるように、ゲルセインもまた成谷を見る。


「メイングオラ様の頼みとあれば、何でも」


 ゲルセインは自信に満ちた笑みを浮かべた。成谷に付き従うことが人生だとでも言うように、皺の多いその顔は生き生きとしていた。




 先に飛び立った成谷を見送り、マーチは改めて腹を括った。これから無書館員ビリニアと戦わなければならない。それがどれだけ高い壁であるかを理解してしまっている。拳に自然と力が入った。体の筋が硬直していることが分かった。


 まだ図書館ビブリマンションに入ってすらないのに……。


 口を大きく開け、肺を新鮮な空気で満たした。それを空気中に返すと、無駄に入っていた力も一緒に溶け出していった。


「どこに行かれるのですか、マーチ様」


 聞き覚えのある声に彼女は振り向く。綺麗な立ち姿の男がそこには居た。白髪のオールバックが力強い顔立ちを目立たせている。


「何しにきたの、クニック」

「戻ってきたばかりで疲れておいででしょう。一人で出歩くには危険もあるかと」

「大丈夫よ。気にしないで」


 マーチはクニックに背を向けた。彼を無視して先を急ごうとしたものの、再び声を掛けられ、つい足は止まってしまう。


「マーチ様。私もお供いたします」

「……、クニック。もう私はマーチ様じゃないの」


 自分で決断したことのはずだった。それでも、本当にこれが正解なのかと自問自答してしまう。国を捨て、芯を救う一縷の望みを追いかけることが正しい選択だったのか。


「私はライントラフを辞めたわ」


 クニックは当然、そんなことは知る由もなかった。内心、大きな驚きが彼を襲っていた。しかし、それほどの理由があるのだと思いいたる。クニックは飽くまでも冷静に言った


「なるほど。それならば、私がマーチ様に従う理由も無くなったわけですね」

「どういうこと?」

「私があなたをつけようと自由だということです」


 クニックの笑みは朗らかで温かく、その奥に強い決意があることも見て取れた。マーチは諦めたように深くため息を吐いた。


「……迷惑かけるわね」

「いいえ。私の勝手な行動です」


 マーチはこれからの行動、目的、全てをクニックに話した。一緒にこちらの世界に来た成谷がメイングオラだと知った時こそ、驚愕の表情を面に出したものの、クニックは冷静に計画を聞き、頭の中で整理していた。


「なるほど。なかなか高そうな難易度ですね」

「そうよ。死ぬかもしれない」

「どうせ、老い先短い命です。これほど有効に使える未来は無いでしょう」


 ヒロー・クニックは七十代の高齢だった。大概は六十を越えれば第一線を退き、指南役や隠居する者がほとんどだった。しかし、彼は別だった。


「ならば、私が三か所目に行きましょうか?」


 その発言は何も自分の命を捨てに行く発言ではなかった。現ライントラフ副将の自信に満ち満ちた声色を聞き、思わずマーチは頷きそうになる。


「いえ……。確かにクニックなら無書館員ビリニアに勝てる可能性もあるけど。やっぱり、着実に行くべきだと思うわ」


 少しだけマーチは逡巡し、言った。


「クニックには……」


 周りに木々が立ち並ぶ静かなこの場所では、お互いの声は簡単に聞き取れた。それでも、クニックはマーチの発言が間違いであったのではないかと疑ってしまう。


「それは……。そうした方が良いのですか?」

「ええ。私の実力は知っているでしょう?それなら、全て手に入れるためには、クニックに力添えしてもらうのが良いと思うの」


 すぐにクニックは頷けなかった。しかし、マーチの言っていることが的を得ていることも分かった。しぶしぶ、彼は了承した。


「分かりました。マーチ様がそう言うならば」

「ありがとう」


 マーチは心の底から感謝を示す。ライントラフを勝手に辞めた自分に、こんなにも付き従ってくれていることが嬉しく、甘えてしまっていることも分かっていた。だからこそ、絶対に成功させなければならないと、改めて強い感情が生まれ始める。


「よしそれじゃあ、動きましょう」


 マーチは気合を入れるように自分の頬を両手ではたいた。パチンと鋭い音が響くと、それがきっかけになったかのように、二人の顔つきが引き締まる。


「ご無事で。マーチ様」

「あなたもね、クニック」


 二人とも相手を見送ることはしなかった。監禁図書ビブリテイカを手に入れてまた会えることが分かっているかのように、お互いが背を向け、各々の行動を開始する。

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