4-2 決意、行動

「私たちは三か所の図書館ビブリマンションに潜入しないといけないわ。動き出したら迅速にやらないと、一つずつ休憩なんて入れていたら、残りの侵入箇所に警戒が入るでしょうね」

「まあそうだろうな」

「出来る事なら一晩で全て終わらせたいところだけど……。さすがに非現実的かしら」


 マーチは天井を見上げた。久しぶりに戻ってきた自分の部屋は、落ち着かなかった。意気揚々と飛び出した部屋に、何も持って帰れなかったことが原因であることは分かっていた。つい大きなため息が漏れてしまう。


「いや、一晩でやるしかない」

「……どうやって?三連戦はさすがに無謀じゃない?」

「別行動だ」


 成谷はマーチを睨んでいるかのような強い眼で言い放った。


死体蘇生ハーバードは俺が行く、反射壁ハバレリアはお前が行け。その後に合流して、三か所目は二人で行く」

「なるほどね。確かにそれなら二戦で済むけど……」


 戦闘回数は減るものの、その提案は無書館員ビリニアを相手に一人で挑む必要があることを示していた。世界が禁止する魔術、監禁図書ビブリテイカを守るに値すると判断された七人は、最強と謳われる魔法使いだった。それを一対一で打ち破らなければならない。それがどれだけハードルの高いことか、彼らは理解していた。それでも、三つの監禁図書ビブリテイカを得るにはそれが一番現実的な気もした。


 コンコン


 マーチが悩んでいると、ふいに部屋がノックされた。


「はい、どうぞ」


 はっと顔を上げ、ドアへと目を向ける。


「失礼します」


 入ってきたのは鋭い目を持ち、綺麗な赤い長髪の現騎士団長の女性、エルマーニ・クルーシだった。


「マーチ様、お久しぶりです」

「クルーシ、久しぶり。私の居ない間どんなだった?」

「特に何もありません。相変わらず平和な日々が続いています」

「そう、よかった」


 クルーシは成谷へと目線を移した。


「あなたが成谷様ですか」

「ああ。ルルから聞いたのか?」

「えぇ。芯様は体調が悪く後から来るそうですね。その代わりに今回はあなたが来たと」


 彼女は成谷がメイングオラだと気づいていない。しかし、根拠のない不信感がクルーシの中で渦巻いていた。


「何か問題でもあるか?」

「いいえ。ただ、何をしにきたのかと思いまして」


 それは少し喧嘩腰のような物言いだった。声色に含まれる不満は当然成谷にも伝わったが、気にする様子は見せなかった。むしろ、挑発に乗るかのように口の端を釣り上げた。


「用事はもちろんあるさ。なんなら……」

「成谷!!!」


 マーチの声はこの小さな部屋で反響した。彼女の目が成谷の言葉を諫めると、一度瞼を閉じ、ゆっくりとクルーシへ目を向けた。


「私は今から成谷と話しをすることがあるの」

「……わかりました。何かあれば、いつでもお呼びください」


 クルーシはそう言うと、一度礼をして名残惜しそうに出ていった。


「この国の人を巻き込んだら許さない」


 マーチの目は鋭く、迫力に満ち満ちていた。成谷はその目を見て肩を竦める。


「そうは言うけどな。ライントラフのお前が図書館ビブリマンションに潜入する以上、この国だって無関係ではないだろ。だったら開き直って協力を仰げよ」

「これからのことは私とあなたの我儘よ。そんなことは絶対にしない」


 マーチは椅子から立ち上がり、本棚から一冊の本を抜き取った。パラパラとページをめくり、挟んであった一枚の紙を取り出す。


「なんだ、それ」

「退国証よ」


 そう言うとマーチはテーブルに面していた窓を開け、指を二度鳴らした。翼が風を切る音がしたかと思うと、マーチの顔よりも二回りほど大きな鳥がサッシに留まった。鋭い目や爪、巨大な体は鷹のようにも見えたが、その体は美しいほどに真白で、この世界でしか存在していないことが一目で分かる生き物だった。


放浪者シルシスタンスになるのか」

「ええ」


 マーチは手に持っていた一枚の紙を、動きを止めたままの気高き鳥の足首へと巻き付けた。


「よろしくね、コール」


 彼女は、コールと呼ぶ真白の鳥を一撫でした。コールは大きな目を一度だけ細め、嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らす。マーチの手が離れると我に返ったかのように、目を見開き、羽を大きく広げた。コールが羽ばたくと、その風はマーチの髪を小さく揺らす。


「じゃあね」


 彼女の声を理解したのか、空中でコールはもう一度鳴いた。そして、そのまま空高く飛び上がり、すぐに見えなくなった。


「良かったのか?」

「構わないわ」


 放浪者シルシスタンスはどこの国にも所属しない人を指した。友に捨てられ、家族に捨てられ、国に捨てられた少数の人々がそう呼ばれる。一度、放浪者シルシスタンスに落ちてしまえば、一生国に所属することは叶わず、また国が彼ら彼女らに手を差し伸べることも禁じられている。ただただ、どこかの野原を彷徨うことで、必然的にどこかの街の領土を侵害し、迫害され、朽ち果て死にゆく運命と決まっていた。


「これで、もうこの街にはいられないな」

「その代わり、巻き込むこともなくなったわ」


 マーチは机の脇に置いてある自分の身長ほどもある杖を手に持った。それを成谷へと向ける。


身体異常改善マートルヒール


 杖の先からいくつもの小さな光の粒が生まれ、成谷の体へと移動いた。彼の体の痛みがみるみる内に消えていき、砂田との喧嘩で受けていた傷は瞬く間に修復されていく。


「サンキュー」


 成谷は痛みのあった腕を伸び縮みさせ確認した。残っていたダメージは無く、スムーズに体を動かすことが出来た。


「さて、何か準備することでもある?」

「ねえよ」


 そういって成谷は椅子から立ち上がる。両手を上に上げ体全体で伸びをした。久しぶりの魔法世界だったが、元の世界との違いは特に感じられなかった。


「じゃ、尻込みしても仕方が無いし。向かいましょうか」

「そうだな」


 二人は部屋の扉を開けた。想像していた以上に、体や心持ちに変化はなかった。無意識化で既に覚悟は決まっていたのだろう。


 彼らに後に引くという選択肢は残っていなかった。そして当然、失敗するという選択肢も無かった。


部分転移テルレポートまで死ぬなよ?」

「当たり前じゃない。なんなら、二年先輩の私が二冊取ってこようか?」

「言うねえ」


 冗談のような本気のような、そんな会話を彼らは交わした。そして、そのまま誰にも会わず、声をかけず、ライントラフを後にする。



 マーチと成谷の長く、暗く、そして苦しい一晩が幕を開けた。




 マーチらがひっそりと部屋から出て、外に向かうのをクルーシは見ていた。しかし、声はかけられなかった。


 何かありましたら、いつでもお呼びください。


 そう言ったにも関わらず、呼ばなかったということはそういうことなのだ。クルーシには伝えるべきではない。それどころか、誰一人にも伝えるつもりは無い事なのだと、彼女は分かった。そして、そこに強い決意があることも。


 クルーシは階下に降り、ルルの部屋をノックした。


「はーいー」


 呑気な様子で彼女は顔を出した。真剣な表情のクルーシを見て、ルルは首を傾げる。


「クーちゃんどうしたの?」

「ルル。フェルーニを貸して欲しいの」

「フェルちゃん?んー……。うん、いいよ」


 ルルは笑った。それとは対照的なクルーシから、何かを感じ取ったのだろう。理由も聞かなかった。ルルは窓を開け、口笛を吹いた。


 どこからともなく、それは出現した。思わず目を奪われてしまうほどに美しい毛並み。声を忘れてしまうほど鮮やかな橙色をしていた。凛とした鋭いくちばしと佇まいを兼ね備え、その不死鳥フィーニクスはルルへ頬ずりをした。


「フェルちゃん、クーちゃんを手伝ってあげて」


 不死鳥フィーニクスはルルの言葉を理解したのか、小さく一声鳴いた。そして、狭い部屋の中で器用に羽を一振りすると、窓枠からクルーシの肩へと移動した。


「ありがとう、ルル」


 そう言うと、クルーシはルルに背を向ける。扉を開け、外に出る前に一度だけ振り向いた。


「少しだけ、ライントラフを開けるわ。よろしくね」

「いいよー」


 最後の最後まで、彼女らの表情は対照的なままだった。扉が閉まり、クルーシと不死鳥フィーニクスが見えなくなってやっと、ルルは笑顔を消した。


「絶対、少しだけにしてよ」


 彼女の言葉は誰にも聞こえることはなかった。ルルはクルーシが何をしようとしているのか、理解している訳ではない。それでも、何かをしようとしていることは分かった。


 両手は自然と胸の前で組まれ、ルルは強く目を瞑った。何を祈ればいいのか、何に対して祈ればいいのか、そんな曖昧な状態だった。それでも、祈らずにはいられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る