3-6 異世界帰還

「……、どう思う?マーチ」


 三人は輪になって地べたに座り込んでいた。砂田が石で図を描きながらの説明を終えたところだった。その間、成谷とマーチは一切口を挟むことなく聞いていた。


死体蘇生ハーバード監禁図書ビブリテイカを読まないと確認できないけれど。可能性は……確かにあるわ」


 マーチは手を口元に当て、地面に描かれたままの説明図を睨み付けていた。


(確かに理屈は通る。死体蘇生ハーバードの原理も説明できる。でも……)


「しかし、監禁図書ビブリテイカ三冊か……」


 成谷は胡坐の上で組んでいた腕に力が入る。一冊すら入手が禁止されているにも関わらず、それを三冊手に入れなければ砂田の案は実現しなかった。マーチが危惧している点もそこだった。それは図書館ビブリマンションに三度侵入し、無書館員ビリニア三人と戦わなければいけないことを示していた。


「きついのか?」

「当たり前だ。世界が禁止した魔術の管理をしてる奴を相手にしないといけないんだぞ」

「そいつらは俺や倉図より強いのか?」


 砂田はニヤリと笑って成谷を見た。


「何言ってるのよ。当たり前」

「はははははははっっ」


 マーチの言葉は成谷の笑い声によって途中で掻き消された。


「いや、そうだな。その通りだ」


 身の程知らずとも取れる砂田の言葉に、思わず成谷はにやけてしまう。マーチは訳が分からないというように、片眉を吊り上げていた。


「だってな、監禁図書ビブリテイカを利用するこんな魔術を思いつく奴が向こうにいるか?」

「……いないわね」

「で、倉図とお前以外で、メイングオラを倒せる奴がいるか?」

「いるかもしれないじゃない」

「いねえよ」


 成谷は笑った。その顔はどこか自信に満ち溢れているようにも見えた。それは本心なのか、虚栄心なのかは本人にしか分からない。それでも、声ははっきりと二人に響いた。


「砂田と倉図は強い。この俺が負けるなんてこの二人だけで十分だ。もう負けない」

「何その無茶苦茶な話し」


 成谷の言葉にマーチは呆れた。しかし、それと同時に思わず少し笑ってしまった。ただの言霊だろうということも分かっていた。それでも、成谷のその思いは伝染し、感化されてしまう。あのメイングオラを倉図とマーチは打ち破ったのだと。圧倒的勢力だと言われていたベルヘイヤとの闘いに勝ったのだと。それならば、監禁図書ビブリテイカを入手することだって不可能ではないのではないかと。


 何一つ根拠は無い。それでも自信というものは結果に大きく影響を与える。ましてや、気持ちが魔術に直結する魔法世界では、自身の感情コントロールは非常に重要だった。


 三人は顔を見合わせ、悪戯に笑った。先の事はいつだって分からない。だからこそ、彼らは確信をもつことにした。全て上手くいくと。


「それで、出発は明日の夜でいいかしら?」


 マーチは成谷に向かって尋ねる。


「馬鹿か。行けるなら今すぐいけ」


 砂田が横からすぐさま言葉を挟んだ。


「成谷は猶予ないだろ。警察にでも居場所がばれたらお終いだ。明日再びここに集合できる保証はない」

「確かに……そうね」


 砂田の意見は正論で、少しでも早く帰れるなら帰るべきだった。マーチは少し考え込み、砂田を見た。


「分かった、今から帰るわ。でも砂田。お願いがあるんだけど」

「なんだ?」

「こっちの世界でお世話になった人がいるのよ。もう会えない代わりに手紙を渡してほしいの」


 マーチが気にかけていたのは佐知の事だった。こっちの世界に来て親切にしてもらった。彼女が居なければ、マーチはこの世界で上手くやっていけなかっただろう。最後にお礼を言いたかった。


「別に構わないが、意味ないだろう。そんなことしても」

「そんなことないわ。言ったでしょ。気持ちが大事なのよ」


 そう断言され、砂田にはそれ以上反論する意志も無かった。マーチが縁側で蹲り、手紙を書いている間、砂田と成谷もまた縁側に座り待っていた。


「成谷、向こうはどんな世界なんだ?」


 砂田は両腕を後ろで突っ張り、上半身を斜めにして夜空を見ていた。


「どんな世界……かあ。国同士はピリピリしてる。いつ戦いが起きてもおかしくない雰囲気だな。でも、その代わりか仲間同士の想いは厚かった。色々とこっちとはやっぱり違う。隣に死が立っている世界だよ」

「へえ。いきなりそんな所に放り込まれてよくやっていけたな」

「運が良くてな。ゲルセインっていう爺さんに助けてもらった。まあ、向こうは俺を体よく利用してただけなんだけど。でもそのおかげで、生きながらえた」

「魔法はそのゲルセインって奴から教えてもらったのか」

「そうだ。あいつに拾われなかったら即死んでたね」


 成谷もまた空を見上げ、過去を思い出していた。彼が初めに降り立った場所はベルヘイヤだった。時期当主選考の真っただ中で、危うくすぐに命を落とすところだった。しかし、ゲルセインが目を付けてくれた。それは突如として現れた成谷を利用しようとしたにすぎない。それでも、彼にとっては幸運だった。そして、ベルヘイヤにとっても幸運だった。結果的に成谷が当主となり、国は活気づき、力を高めることが出来たのだから。


「お前はどんな魔法が使えたんだ?」


 砂田は物思いにふける成谷を横目に質問を投げかけた。


「まあ割となんでも使えたな」

「便利だな本当。何か一つ教えてくれよ」

「ここで知ってもしょうがないだろ」


 成谷は小さく笑った。


「もしかすると、俺も突然向こうに行く日が来るかもしれないだろう」


 砂田も悪戯に笑う。


「炎、天、凝、縮、焼、払、源、酸、炎上フレイム

「炎の魔法か?完全に痛いセリフだな」

「うるせえな。これで出るんだよ」

「……それ、向こうの言葉なのか?」


 ふと疑問に思ったことを砂田は口にした。


「ん?言葉は言語集約ディーワニスリグって魔法でなんとかなる」

「いや、そういう意味じゃなくてだな……」


 成谷の返答に砂田が訂正を入れようとした時だった。彼の隣で蹲り、手紙を書いていたマーチがペンを置き起き上がった。


「よし、出来たわ。はい砂田」


 差し出された手紙を砂田は受け取った。


「住所も書いておいたから。頼んだわ」

「ああ。分かった」


 マーチは縁側から降り立ち、成谷と砂田を見る。


「やることは終わったわ」

「俺もいつでもいい」


 そう言いながら、成谷も立ち上がる。砂田だけは手紙を片手に座ったままで彼らを見ていた。


「すぐ行けるものなのか」

「えぇ。このミサンガに念じれば移動するわ」


 マーチは自分の小指を見た。こちらの世界に来る前に作り上げた魔法。帰りも上手くいく保証こそ無かったが、この世界に来れたことからも失敗は無いという確信があった。


「そういえばマーチ。俺が向こうで過ごした時間はこっちでは過ぎて無かったんだが、今向こうに戻ったら時間は大丈夫なのか?」


 成谷はこれからの移動に疑心暗鬼になりながら、マーチに尋ねる。


「確かに時間のズレは想定外だったわ。でもきっと大丈夫。ルルに繋がりの先を託しているから、ルルの時間を軸にして辿り着くはずよ。それに、私が作り上げた魔術だしね」


 自信満々にマーチは言ってのけた。不安がゼロという訳ではない。しかし、費やした時間と努力はそう言い切れるほどだった。


「そうか。お前がそういうなら大丈夫なんだろうな」


 どっちにしてもここで尻込みをする選択肢は彼らには無かった。全てをやり直すために、前にしか道は無かった。


「成谷」


 マーチは左手を伸ばした。成谷はその手を取り、強く握った。望んでいない現状は自分の選択のせいだとそれぞれが思っていた。今度こそは間違えないために、全てをやり直すと、そう強く心に決めた。


「おい」


 未だ縁側に腰を下ろした状態で、砂田は声を上げた。


「帰ってきたらすべて話せよ」

「別に良いけどよ。信じるか?」

「これだけの情報でももう信じてるんだぞ。当たり前だ」


 体験しない人からすれば冗談だとしか思えない状況の中で、砂田の声に冗談のような響きは含まれていなかった。彼は真っ直ぐに成谷を見つめていた。


 思わず、成谷は笑みが零れてしまった。


「分かったよ」


 そう言って、砂田から視線を外した。


「準備はいい?」

「大丈夫だ」


 握ったお互いの手から力強い決心が感じられた。


 絶対に成功させる。全てを。


 かつて敵対していた二人の想いは一つになっていた。


 マーチは大きく深呼吸をした。鼓動を落ち着かせ、冷静になる。淀みの無く、はっきりとした声で魔法を唱えた。


移動する世界シュワルニカ・ターニドリ


 左手の小指に結ばれたミサンガから光が発せられた。それは瞬く間に大きくなり、マーチと成谷を包みこむ。縁側から見ていた砂田は次第に彼女らの姿が見えなくなっていく。


「ありがとう、砂田」

「砂田、行ってくる」


 二人の言葉が微かに聞こえた気がした。目を細めても眩しく感じるほど光が強くなり、その次の瞬間には弾けるようにしてその光は消えた。


「本当にいなくなったな」


 砂田はそうぽつりと独り言をこぼした。予想はしていたものの、彼が初めて目の当たりにする魔法という嘘みたいな現象は、やはり彼を驚かせる。砂田はしばらくの間座ったままで立ち上がる気になれなかった。


 ふと、マーチから受け取った手紙の宛先を見る。


「見渡佐知……。伯母さんかよ」


 砂田は思わず苦笑した。世界は案外狭い。前々から思っていた事だった。魔法世界の人間がこうして親戚と繋がっていたりする。狭い割には、何も知らないものだと彼は思った。


 両手を頭の後ろで組み、ゴロンと寝そべった。まるでついさっきまでの事が嘘かのように、風は穏やかで、夜は静かだった。


 砂田は大きな欠伸を一つした。その音は誰の耳にも届かず、空気の中へ溶け込んでいった。

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