3-5 張ってしまった意地
成谷の目は強く、鋭く、深かった。そこには強い意志が表明されているようで、思わず砂田も身構える。
「この前、喧嘩して分かっただろう。お前がこの世界で俺に勝てるか?」
「勝てれば教えてくれるんだな?」
「俺が膝をついたら教えてやろう」
先日の廃墟での喧嘩で、砂田は成谷との力の差を把握している。自分の方が強いという確信があった。しかし、だからと言って成谷を舐めている訳ではない。結果的に、向こうの世界に行くためにはマーチを納得させる必要があった。それならば、成谷との圧倒的な実力差を見せつけることで無理矢理に認めさせるつもりだった。
「二言はねえな」
成谷は左足の親指に体重を乗せ、体を前へ送る。目前に迫った砂田の顔面に右手を送りだした。先を取ったはずだった。しかし、手応えが返ってくるはずの右拳は空を切り、その数cm奥に砂田はいた。
彼が取った行動はただ上体を後ろに逸らしただけだった。成谷のリーチを把握し、タイミングも観察できていれば砂田にとってさほど難しい事ではなかった。左手の甲を伸びてきた右腕に押し当て、払う。既にお互いの距離は詰める必要も無いほどに近かった。砂田は右膝を小さく曲げ、その場で地面を踏み込むと同時に右腕を成谷の腹に向かって振りぬいた。
ゴッ、という鈍い音が鳴る。この一発で終わりのつもりだった。
砂田が判断していた成谷との実力差は概ね正しかった。観察力、判断力は砂田に軍配が上がっていた。ただ、彼にとっての想定外があるとすれば、戦いにおける経験値の差。
成谷の体の中で衝撃が反響した。吐き気が全身を襲う、その前に彼は動き出した。左足を大きく前に出し、砂田の胸倉を掴むと同時に左頬に向かって拳を振り下ろした。
成谷が判断していた砂田との実力差は概ね正しかった。体力、経験値は成谷に軍配が上がっていた。ただ、彼にとっての想定外があるとすれば、圧倒的な判断力。
思わず砂田は左足で成谷を蹴り、距離を取る。たたらを踏みながら、体のバランスを取った。内頬が切れたのだろう、口の中に溜まった血を地面へ吐いた。
成谷は追い付いてきた吐き気をなんとか抑えながら、自分の右拳を見た。さっきの一発で昏倒させるはずだった。しかし、手応えが浅かった。衝撃緩和のために瞬間的に首を振ったのだと直ぐに分かった。
「化け物かよ」
「こっちのセリフだ」
砂田はすぐに距離を縮め始める。成谷は未だ吐き気に襲われていた。しかし、それで動けないほど彼の体はやわではない。成谷からは動かず、相手が射程に入ってくるのを待った。
一歩。砂田が一歩踏み出そうと足を上げた瞬間を狙い、成谷から動き出した。彼の足の動きはすり足。砂田が地面を踏むために下ろす必要のある、コンマ数秒の差を狙った。
気づけばお互いのリーチの範囲内。砂田の咄嗟の裏拳を成谷は屈んで避け、懐に入り込む。砂田を見上げ、拳を振り上げるだけだった。しかし、それは叶わなかった。
顎に大きな衝撃を受け、成谷の視界はチカチカと明滅を繰り返す。何が起きたのか理解できなかった。それでも、動かなければ追い打ちをかけられて終わり。選択肢は二択。後ろに逃げるか、前に逃げるか。
成谷はすぐさま体ごと前に突っ込んだ。砂田の胸に辿り着き、二分の一に正解したことは分かった。偶然でも入り込めたアドバンテージを逃すほど成谷の判断力は遅くない。右足の踏ん張りを効かせてボディブローを打ち込む。先ほどと違い、衝撃を緩和させるような動きは感じなかった。
腹への衝撃をモロに受け、砂田は一瞬動きが止まる。しかし、まだ倒れるほどのダメージではない。成谷の右足を自分の足で引っ掛け、投げ飛ばした。
「ぐっ」
ダンッ!と、大きな地響きがした。成谷は地面に叩きつけられ、思わずうめき声が漏れる。
数十秒程度の動きの応酬にマーチは目を離せなかった。相手の動きに対する成谷の対応力の早さはやはり魔法世界で戦ってきただけあった。しかし、砂田の判断力はその上をいっていた。
成谷が砂田の裏拳を避け、懐に入り込んだ瞬間、彼が微かに笑っているのを見てマーチは背筋が凍った。まるで、自分の掌の上だとでも言っているようだった。砂田は上げた足を踏み込むことはせず、既に地面についていた左足を軸に腰を捻り、入り込んで来た成谷の顎に膝を当てていた。その結果、成谷は衝撃と痛みに混乱し、今、地面に叩きつけられている。
「諦めろ」
砂田は冷めた目で成谷を見た。大きな差ではない。それでも、僅かに自分の方が勝っていることを砂田は改めて自覚した。
「ちっ」
舌打ちをすると同時に、成谷は両手を地面に突っ張り、体を起こし砂田に向かっていこうとした。しかし、その前に砂田の右足が左肩を襲った。成谷は再び地面に転がってしまう。
次は立ち上がろうとすることすら出来なかった。砂田が右足で成谷の首を踏みにじる。
声すら出せない。嗚咽が閉じ込められる。体重を乗せた右足を振り払うほどの力を込めることが、出来なかった。
一度地面に這いつくばってしまえば、相手に圧倒的アドバンテージを与えることになる。どんな行動にも立ち上がるというモーションが入ってしまうからだ。相手はそれを悠々と防げばいいだけ。こうなった時点で成谷に勝ちの目はほぼ無かった。
「お前の負けだよ」
その言葉は成谷の全身に響き渡った。否定したい思いとは裏腹に、否定できる根拠が見当たらない。視界が揺れ始める。
何一つ上手くいかない。向こうの世界で負け、戻ってきてもその気分に捕らわれたまま。取った行動には後悔しか付きまとわなかった。縋りたくなるような光は、手を伸ばしても遠く遠く離れていく。
ふざけるな。
成谷は両手で砂田の右足首を掴んだ。無理矢理に首から外し、上体を起こしながら足ごと自分の腕を引き寄せる。
砂田にとって予想外ではあった。圧倒的不利な場面でこれほどの力を出すとは思っていなかった。しかしそれでも、彼は慌てることは無かった。未だ自分の有利は変わらず、そもそもの実力でも自分が上手だと理解していたから。
砂田は首から外された右足に全体重をかけた。そのおかげで引っ張られてもバランスを崩すことは無かった。その右足を軸に腰を捻る。左足を回転させ、起き上がろうとした成谷の顔面を思い切り蹴った。
成谷はその衝撃に導かれるように吹っ飛ぶ。しかし、そのおかげで距離も取れた。やっとの思いで立ち上がる。
「諦めねえ」
勝てる気はしなかった。だからと言って終わらせるわけにもいかなかった。何の作戦もなく、無駄に突っ込んでいく。小さな実力差は時間が経つほどに、明確になっていった。
気が付けば、成谷の目は腫れ、口は切れ、あらゆる箇所に打撲や切り傷を負っていた。全身が痛みを訴える。それでも、砂田を睨んだ。
傍から見れば決着はもう着いたようなものだった。満身創痍な成谷に比べ、砂田は無傷とは言えないまでも、まだまだ余力を残していた。再び向かってくる成谷の動きは、砂田に何一つ脅威を感じさせず、ゆうゆうと顔面を思い切り打ちぬいた。
成谷は痛みに耐えながら、覚束ない足元を無理矢理に前へ前へと動かした。意識は切れかけた電球のようにオンとオフを何度も繰り返していた。
「もういいわ」
その声で砂田は成谷から目線を外し、マーチを見た。
「もういい」
マーチはゆっくりと砂田に近づき、彼の顔を見上げた。直前まで喧嘩していたとは思えないほどに、落ち着きと余裕のある表情をしていた。
「俺の勝ちだろう?」
砂田が、ふぅと息を吐いた瞬間だった。成谷との喧嘩が終わった直後ということもあり、珍しくも油断していたのが災いした。
マーチは砂田の足を引っかけ、服を引っ張った。警戒心を解いていた砂田は思わず、片膝と手を地面についてしまう。
「膝、ついたわね?」
マーチは意地悪そうに笑っていた。
「どういうことだ」
「あなたが言ったのよ。膝をついたら教えてくれるって」
砂田は立ち上がり、膝に付いた砂を払う。
「確かに言った。それで?俺を魔法世界に連れて行ってくれるのか?」
「無理ね。定員オーバー」
マーチは肩を竦めながら、成谷をチラリとみた。
「圧倒的に俺が勝っていただろ?」
「ここでの喧嘩の話しなら、そうね」
「向こうの世界なら違うとでも?」
「ええ、その通り」
静かに、マーチは頷いた。
「説明してくれ」
砂田は飽くまでも冷静に尋ねる。納得のいかない表情をしていたが、不満が現れている様子はなかった。ただただ彼にとっての疑問を聞いているだけだった。
「そういうところ」
ため息交じりにマーチは言った。
「見てると、あなたはどんな瞬間も判断が早く正確で確かに強い。それに、極めて冷静」
砂田は言葉を挟まず、黙って聞いていた。
「ほら、今だってそう。成谷との喧嘩だったのに、私が膝をつかせても感情的にならない」
「それに何か問題でもあるのか?」
「大ありよ」
マーチは手を後ろで組み、成谷へと近寄った。彼は左腕を抑えながら、未だ息が上がっていた。
「魔法の強さってのはね、理屈の理解ともう一つ重要な要素があるの」
成谷は膝に両手をついていた。マーチは左腕を引っ張り上げ、肩を貸す。白峯神社の縁側まで連れて行って、座らせた。
「空気中に源素が混じっているということは当然、そこで暮らす人たちの体内にも入り込んでいるわ。それで、その源素はその人の理解の他に、感情にも関与するの」
「気持ちで強くなるっていうのか」
「そういうこと。でも、こっちでもあるでしょう?火事場のバカ力とか、心が体に及ぼす影響。それが向こうではここ以上に顕著なの」
一時の間が流れた。それは砂田が反論を探す時間でもあった。しかし、見つからなかった。彼の性格故に、感情的な反論は出来なかった。ましてや魔法世界を知り得ない砂田にとって、情報としては圧倒的にマーチに分があり、そう言われれば否定のしようがなかった。
砂田は大きなため息を一つ吐いた。
「残念だ」
正直な気持ちだった。魔法世界という空想の世界の可能性は、初めて砂田を興奮させるものだった。あるのならば行ってみたいと思ってしまっていた。しかし、それを否定されて初めて、少し恥ずかしさを覚えた。
「馬鹿みたいに意地を張ってしまった」
「そんなことはない」
ぼそりと自分に言ったつもりの砂田の言葉に、成谷が反応した。
「知らない世界ってのは誰だって馬鹿にするもんだ。でも、あるんだ。知らないだけだ。あるのなら、意地を張っても興味を持っても馬鹿じゃない」
砂田は呆れたような表情で成谷を見た。そして、小さく笑った。
「そうだな」
白峯神社を包む空気は静かで、穏やかだった。砂田は大きく息を吸って、吐いた。味、なんてものは感じなかった。いつも通りの、生命活動に必要な酸素供給の活動というだけだった。
それでも、なぜかいつもより自然と背筋が伸びた気がした。
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