2-14 side ファルシルアン・マーチ 願わなかった再開

「八方塞がりというかなんというか……。そもそも彼の顔知らないからなあ。あの子たちの名前を聞いておくんだったなあ」


 マーチは街元通りに面した喫茶店で外向きの席に座り、頬杖をついていた。高校の前での待ち伏せは頻度が多いと周りの目線が気になり、そもそも自分でも誰を待てばいいのか分からなくなっていた。結局、最初の方式に戻り喫茶店で人通りを眺めるしかなくなっていた。探しているのは芯、そして前にコンビニに来た三人組の高校生だった。


 マーチは目線を外に向けたまま、コップを手に取りストローでコーヒーを吸い上げた。冷たく甘い液体が舌の上を流れ、喉を潤してくる。


 ズズズッ、カラカラ……。


 流れ込むコーヒーが切れ、氷がコップの中で暴れる軽い音が響いた。


「あっ、もう六時半じゃない」


 店内の時計を確認し慌ててマーチは席を立った。空になったコップをカウンターに返し、自動ドアを抜け外に出た。人通りは未だ多く、あらゆる場所での話声が混ざり合い、ざわめきへと姿を変える。


 マーチは人にぶつからない様に気を付けながら人波に合わせ、歩き始めた。すると、遠くの方にチラと見覚えのある姿が視界に入り込んだ。二週間ほど前、後ろ姿に懐かしさを覚えた高校生だった。距離があるために、見える横顔ははっきりとしない。それでも前に感じた雰囲気を感じ取った。


(もしかして、あの子が倉図芯……?)


 何の根拠もないただの直感だったが、このまま無視をして帰る気は起らなかった。人ごみをかき分けながら、彼のいる方へ進む。近づいていくと、どうやら彼は友達と二人で居るようだった。しかし着ている制服は違っており、コンビニに来た三人の誰でもないことが分かった。


 彼ら二人はメインストリートから離れ、姿が見えなくなった。


「ごめんなさい!」


 マーチは人にぶつかりながらも、急いで駆けていった。彼らが進んだ曲がり角までたどり着き、近くの路地に目を向けた。中でもひと気の少ない静かな通りに彼らの姿を見たが、すぐに建物の中へと消えていった。


 マーチは彼らの姿が消えた場所まで進んでいく。その廃墟を目の前にして立ち止まった。そこは明らかに誰も使っていない場所で、こんな場所に何か用事があるとも思えなかった。


「何しに入ったのかしら……」


 不思議に思いながらも、彼女は開けっ放しになっている廃れた扉から一歩中に踏み出した。明かりは無く、足場も悪い。どこを歩いても何かを踏み砕いた。腐った木や割れた食器、枯れた生ごみのようなものまで床に散らばっていた。


 辺りを慎重に歩くと、すぐ近くに階段があった。一階を捜索するか、二階に上がるかで悩んでいると、ドスンっ、と何か重い物が落ちる音が上階から聞こえてきた。一度動きを止め、耳を澄ましてみるがそれ以降、耳に届く音は無かった。意を決し、マーチは階段を上がる。心臓の鼓動が速くなってきているのが自分でも分かった。


 二階に辿り着く前にドアが開いているのが分かった。近づくにつれ、中の様子が少しずつ見えてくる。閑散とした部屋。何も置いていない、まさに廃墟と化したコンクリートの色が目立つ床。気温も低く肌寒さすら襲ってきそうだった。


「え……何……これ」


 思わず声がこぼれる。目に飛び込んできたその場の光景に体が硬直した。あらゆる想定を飛び越えていく状態が生まれていた。


 この廃墟に入っていく二人の高校生の姿を確認したはずだった。しかし、目の前に立っていたのは一人だけ。もう一人は仰向けに倒れていた。大量の血を流しながら。


「そん、そんなバカな……」


 男はマーチから一歩距離を取った。それは意識的にというよりは、恐れおののくような様子だった。するとすぐにハッとした表情に戻り、駆け出した。出口の前に立っていたマーチを突き飛ばすようにして慌ててドアの外へと出ていった。


「きゃっ」


 男に押しのけられ、マーチは足元がもつれる。転びそうになったが、何とか踏みとどまった。しかし、そんなことよりも、目の前に倒れている男から視線が外せなかった。


「し、芯……?」


 マーチは恐々とした様子で少しずつ、少しずつ近づいて行く。横まで来ると膝を付き、彼の顔を覗き込んだ。


「芯!!!!!!」


 懐疑的な思いは姿形もなく弾け飛び、確信へと変わってしまった。今マーチの前に血を流し倒れているのは、まぎれもなく芯だった。芯のお腹には深くナイフが刺さり、そこからあふれ出す赤色の液体は止まることを知らなかった。


 目から涙があふれた。あまりにも信じられない光景に感情が追い付かない。それでも体は反応してしまった。彼女から滴る水分は床に広がる血と混ざりあう。


 最後に会った時の芯ではなかった。その時より体つきはやせ細り、髪もだいぶ長くなっていた。それでも、目の前にして間違えるハズはなかった。彼からにじみ出る優しさ、内に秘めた強さ、雰囲気はマーチにとって唯一無二だった。



 これはもしかして夢ではないだろうか。



 そんな現実逃避に思考が誘導される。しかし、どれだけ待っても覚めることはない。


「なんで、どうして……」


 体が自分の物ではなくなったみたいだった。感情は暗く体内を巡り、肌という肌から排出される。悲しさ、虚しさ、後悔、疑問、あらゆる負の感覚がマーチの脳を支配する。意識は彼女の手を離れていった。ただただこの廃墟を無音が包み込んでいた。





 どのくらい時間がたったのだろう。たった数分だったかもしれない。数時間経っていたと言われても納得できる。それくらいに彼女の感覚が狂っていた。


 マーチは立ち上がり、後ずさりをした。全身がなぜか震えを襲っていた。逃げるように階段を降り、廃墟を出た。


 訳も分からずマーチは走った。何度も人にぶつかったが、そんなことを気にしている余裕は無かった。息が切れ、鼓動は早くなっていった。


「もう……もう帰りたい……」


 足が止まったとき、そこはマーチが初めに倒れていた河原だった。膝が折れ、しゃがみこんでしまう。爽やかな水の音、風にせせらぐ草の音は何一つ変わりがなかった。それなのに、それらすべてが今の彼女には耳障りに感じられる。左手の小指に結んだ二重のミサンガを見た。これが魔法世界に帰る鍵だった。これを使えば、この世界から離れることができた。


「まーちゃん、ここに居たの」


 佐知の声が聞こえた。マーチがこの世界で最初にかけられた声が聞こえた。左手から目を離し、彼女は振り返る。


「大丈夫?どこか怪我しでもしているの?」


 会った時と同じ言葉だった。佐知はマーチの事情を知っている訳ではない。それでも、マーチを心配する気持ちは真実で、それは最初と何一つ変わらなかった。


「佐知……」


 マーチは彼女に飛びついた。佐知は少し驚いたが、黙って抱きかかえる。当然、何があったのかは分からなかった。それでも、何かあったのだろうという事は分かった。


「大丈夫よ」


 何の根拠もない言葉だった。しかし、マーチが一番欲していた言葉だった。彼女は佐知の胸の中で声を上げて泣いた。やっと感覚が戻り、体内の全ての感情を涙にして排出した。


 一晩中ずっと泣き続け、いつの間にかマーチは眠りに落ちていた。深く、静かな眠りだった。


 目が覚めると、マーチの心はちゃんと自分の中に戻ってきていた。彼女は左手のミサンガを見ることはもう、止めていた。

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