2-13 side 倉図芯 ぼくのせい

 芯の周りに集まる子供たちは今までにないくらいに真剣な眼差しを彼に向けていた。いつも楽しそうに笑うことの多いユメでさえ、息を詰まらせたような表情をしている。


「それで、やっとのことで僕とマーチは扉の前までたどり着いたんだ」


 ゴクリと誰かが喉を鳴らす音がした。十分な間を置き、再び芯は話し出す。


「当然、体もボロボロだし体力も削られてた。魔法の源である源素のストックも心許ない量だったんだ。それでも、目の前の扉を開けないなんて選択肢は僕らには無かった」


 白峯神社の中には様々な音があった。風が葉を揺らす音、鳥がささやく音、子供たちの足が砂を鳴らす音、座っている縁側が軋む音もあった。しかし、彼らの耳に届く音は皆無だった。たった一人の声を覗けば。


「だから、その重い扉を開いた」


 芯は辺りを見回した。全員が彼の次の言葉に注目して静まり返っていることを確認し、ゆっくりと息を吸い、間を置いた。そして、口を開く。


「……ということで、今日はここまで」

「えええええええええええ」


 沈黙から一転、白峯神社は阿鼻叫喚に包まれる。次々に聞いていた子供たちは立ち上がり、芯に詰め寄った。


「まあまあ、時間も時間だし、次で最終回になるからさ」


 少し困った顔をしながら、芯は嬉しそうでもあった。口々に文句を言う子供たちが落ち着くのに軽く三十分程もかかってしまった。


「じゃあお前ら。今日は解散だ。次回を楽しみにしとけ」

「ちっ。仕方ねえなー」


 子供たちの後ろで立っていた成谷が帰りを促した。マナトは未だ不服そうな顔をしていたが、成谷の言葉で諦めたのか他の子たちと一緒に先に帰っていった。


 白峯神社にはいつも通りに芯と成谷だけが残った。いつもよりも少し時間帯は遅くなり、十八時はとうに回ってしまっている。日はまだ見えていたが、辺りの温かいオレンジ色は早くも影を帯び始めていた。


「芯、次で終わりか?」

「そうだね。もう最後の敵まで話しちゃったし」

「そうか」


 成谷はどこか一人別の場所に立っているかのように、静かで悲しそうな表情をしていた。


「でもほら、別に話が終わってもここに集まろうよ。何をするかは分からないけどさ」

「……ああ。そうだな」


 芯が励ますように声をかけると、成谷は笑顔を彼に向けた。しかしそこには何故か、影が潜んでいるように見えた。


 二人は白峯神社を出る。階段を降り、歩を進めると次第に人の数は増えていく。街元通りまで近づいて行くと、周りの誰もが五月蠅いほどの言葉を交わしていた。しかし、そんな雑踏の中で、彼ら二人は言葉少なだった。


「あのさ」


 成谷は前を向いたまま、独り言のように小さく呟く。


「なに?」

「ちょっと、話があるんだ。時間いいか?」

「うん。大丈夫だよ。どこか喫茶店でも入る?」


 人が往来する端で少し立ち止まり、成谷は首を振った。


「いや……人が居ないところがいい。ちょっときてくれるか」


 そういうと芯を先導するように、成谷は足早になる。街元通りから外れると、人はだんだんと少なくなり、静けさも増していった。


「ここでいいか……」


 成谷は立ち止まり、目の前にそびえ立つ廃ビルを見上げた。ここはつい先日、黒崎たち相手に喧嘩をした場所だった。


 先に成谷が中に入っていった。それにつられるようにして芯も足を踏み入れる。ビルの中は相変わらず雑多で、明かりも付いていない。日が差し込まず、二、三度は下がる気温が彼の肌に非日常な感覚をもたらした。


 二階に上がり、目の前の扉を上げる。ギィィと軋んだ音を響かせると目の前に殺風景な空間が広がった。


 芯からは成谷の背中しか見えなかった。声をかけようかと思ったが、言葉が喉を通る直前にそれを止めた。なにか成谷が思いつめていることは感じていた。だからこそ、成谷から話し始めるまで待つべきだと思った。


 成谷はゆっくりと芯を振り返った。いつの間にか、その顔に悲しさは消えており何か決意を固めたかのような強い表情をしていた。息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐いた。


「なあ、芯。今まで話してきた内容って本当なんだろ?」

「え?まあ、そうだけど、信じる必要は無いよ。物語として楽しんでくれるだけで嬉しいからさ」

「それで、次で最後の敵を倒して終わりなんだな?」

「そうなるね」

「そうか」


 成谷は顔を伏せた。芯には彼が何を思っているか分からないでいた。黙っていると、成谷はゆっくりと芯に近づいてくる。


「成谷……。どうかした?」


 芯は彼の顔を覗き込んだ。距離が近かったおかげで表情を確認することができたが、そこから感情を読み取ることは出来なかった。


「成谷……?」


 さらに芯が問いかけると、彼のお腹に鋭い痛みが走った。何が起きたか分からず、視線を下げる。そこには真っ直ぐに大きなナイフが突き刺さっていた。赤黒い血が流れ落ちている。内臓を傷つけたのか、逆流した分の血が口からも出てきた。痛みが全身を襲っていたが、出血量が増すにつれその痛みは逆に和らぎ、頭の中に靄がかかったようにはっきりしなくなる。足の踏ん張りが徐々に機能しなくなり、芯は仰向けに倒れた。


「な……んで……」


 絞り出すような声が喉を震わせる。成谷は歯を食いしばったままで、息を荒げていた。


「やった……。ついにだ……」


 成谷の焦点はどこかここの空間とは違う場所にあった。震えている自分の手を握り締める。


「お前が……。お前のせいだからな……」


 人が変わったように、成谷の声は震えていた。


「ぼくの……せい……?」


 芯の声は既に消え入りそうなほどに小さくなっていた。痛みは消え、視界もぼやけている。聞こえてくる成谷の声もどこか遠くの方から届いているような奇妙な感覚だった。働かない頭の中で成谷の言葉が反響する。



 ぼくのせい。



 芯に思い当たる節は全くなかった。成谷と知り合ってからさほど時間もたっていない。一ヵ月程度のはずだ。その間、仲良くしていた。先日だって、芯のために成谷は体を張ってくれていた。なのに、今、彼は殺意にまみれていた。


「そうだ。お前が……。自業自得なんだ……」


 自業自得。芯に自覚は無かった。それでも、きっと、成谷がそう言うのなら、そうなのだろう。なぜか彼はそう思った。きっと自分の考えが及んでいないところで、何かしてしまっていたのだろう。それが分からない事が悲しくて仕方がなかった。



 芯の目じりから冷たい涙が流れ落ちた。



 あぁ、せっかく、友達が出来たのに。



 命の終わりが目の前まで迫っていることが芯にも分かった。走馬燈のように思い起こされるのは笑う成谷の姿、そして魔法世界で一緒に戦ったマーチだった。


 きっと、芯なら大丈夫だよ。


 マーチの言葉とどこか自信満々な笑い顔が思い起こされる。


(ごめん。上手くいかなかったみたいだ。最後に、もう一度会いたかった)


 芯の瞼がゆっくりと閉じられていく。それを押し返す力は既に残っていなかった。


 成谷は大きく息を吐いた。興奮で震えていたからだが収まってくる。心臓の鼓動も落ち着き始め、頭の中が冷静になってきていた。芽生え始める感情を無理矢理に抑え込み、これで良いんだと言い聞かせていた。


 地面に根付いた足を無理矢理に動かし、成谷は扉へと向かう。すると、誰かが階段を上がってくる音がした。ヤバイ。頭の中でそう警告が鳴ったが、判断を行動に移す時間は無かった。目の前に一人の女性が現れる。肩にかかる綺麗な黒髪が特徴的で、整った顔立ちに乗っている丸く大きな両目が可愛らしさも演出していた。


「え……何……これ」


 彼女は目の前の光景が信じられないかのような形相をしていた。足は動かず、目線は倒れている芯へと向けられたままで止まっていた。


 しかし、動けないままでいたのは彼女だけではなかった。成谷は突如として現れた女性の顔から目線が外せないでいた。その顔に見覚えがあった。そっくりそのまま記憶と一致したわけではない。しかし、それでも似すぎていた。


「そん、そんなバカな……」


 成谷は一歩だけ後ずさる。目の前の情報を脳が冷静に処理しきれないでいた。慌てるようにして彼は出口へと走り出した。邪魔だった彼女を押しのけるようにして部屋から飛び出していった。


「きゃっ」


 彼女は勢いに負けるようにたたらを踏んだ。しかし、それでも倒れている芯から目が離せなかった。


「し、芯……?」


 彼女は恐々とした様子で少しずつ、少しずつ近づいて行く。横まで来ると膝を付き、顔を覗き込んだ。


「芯!!!!!」


 先ほどのような自信のない声色では無かった。強く、はっきりと呼びかける声だった。しかし、芯の目は既に閉じられ、開くことは無かった。床に広がる血の色が彼女に現実を突き付ける。悲しみが彼女の胸の内を瞬く間に支配していき、その感情は外へと排出されていく。静かに頬を流れる涙が床に滴り、血の色と混ざり合っていた。

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