2-10 side 倉図芯 掴めた転機は廃墟にて
「なんでそこまでしてやるんだ?」
「話しても分からないだろ」
「まあな、興味もないわ」
黒崎は成谷の眼前まで距離を縮め、右腕をグッと背中の後ろ側まで引いた。捻った腰がまるでコマように素早く回転し、それと同時に拳が成谷の左頬を襲う。鈍い音が部屋中に響き渡った。成谷は全く抵抗する素振りを見せず、衝撃に身を任せたかのように後ろに倒れ込んだ。
バンッッ
芯は勢いよく部屋の中に飛び込んだ。黒崎と成谷、彼らの少し後ろ側にいた浜井と砂田が芯に注目する。
「何してんだ!!」
反響して帰ってくる声は自分から出た物とは思えなかった。どこかこの場面を俯瞰で見ているような奇妙な感覚で、衝動的に動いている自分を不思議にも思っていた。
芯は倒れ込んだ成谷と黒崎の間に体を滑り込ませる。
「何をしているんだ」
黒崎の目を真正面から見据え、もう一度聞きなおした。その形相は芯が今までみせたことの無いもので、黒崎は少し気おされてしまう。
「い、いや。コイツが……」
「ふざけるなよ!成谷が何したっていうんだ!!お前らはいつもこんな事ばかり……。何が楽しい!?どこが面白いんだよ!?」
声が鋭く反響し、この場に居る全員の耳に突き刺さる。その声で我に返ったように、黒崎は自分の右足が一歩後ろに下がっていることに気が付いた。彼の中で怒りが沸々と込み上げてくる。
「うるせえんだよクズ!」
感情に任せて黒崎は芯に襲い掛かる。目は吊り上がり、視界は狭くなっていた。
芯の顔は正面を向き、両の目が黒崎の動きを捉えていた。
右足が大きく踏み出される。腕が引かれると同時に腰が捻る。左足の親指に体重が乗った。軌道が読める。来る。
(こんなものを僕は恐れていたのか)
芯は潜り込むように体を前に入れ込み、右の拳を相手に合わせた。鈍い音とともに、気持ちの悪い感触が腕に伝わる。
黒崎の視界が一瞬だけ暗闇に落ちた。しかし、すぐに彼の脳は回復し目から流れる情報を正確に処理し始める。視界に映る無機質な天井が占める割合が増えることで、重心が大きく後方に移動していることを感じた。このままでは倒れ込んでしまう。
黒崎は右足で大きく踏ん張り、無理矢理に体のバランスを保つ。腰をひどく落とし、自分よりも身長の低い芯の下側から突進するような勢いで近づいた。
(軽かったのか)
芯は未だ冷静に状況を見ていた。
(魔法世界で得られた記憶による経験値はあっても、ついた筋力は無かったことになっていたことを忘れていた。黒崎は下から襲ってきている。それなら、よく見て、振り下ろせばいいだけだ。重力が加わる分、多少は威力が加算されるはず)
手の親指に力をこめ、拳を固くした。腕の筋肉が張っているのが分かる。そのまま黒崎の顔面に向かって振り下ろそうとしたが、それは叶わなかった。誰かに肩を抑えられていた。反射的に脳が警戒信号を発する。しかし、黒崎の腕も飛び込んでこない事に気づく。
目の前で腕を引いていた黒崎もまた、砂田によって肩を抑えられていた。そこでやっと芯は振り返る。
「やめとけ」
成谷が手に力を込め、芯の肩を無理矢理に引き寄せていた。口内が切れているのだろう、彼の口の端からは少しだけ血の色が見えていた。
芯と黒崎は感情に水を差されたかのように、冷静になり好戦的な態度を収める。
「なんで止めた」
黒崎の怒りの対象は変わり、砂田へと詰め寄る。
「お前は成谷を一発殴った。そして倉図に殴られた。おあいこだろう?」
「そんなわけあるか!条件が違えだろうが!」
砂田の胸倉をつかみ、力を込めて引き寄せる。黒崎の視界には砂田しか映っていないほどに接近していた。
「クズに絡まない代わりに笹井を殴っていいんだろ」
「それは、あいつが一方的に出した条件だ。倉図は知らない」
「知らなければ、おあいこになるのかよ」
「倉図からすればそうだろう」
「俺からしたら違えんだよ!!」
怒りの矛先は目の前にいる砂田へと向けられた。右の拳が鋭く砂田の左頬へと飛んでいく。誰もが直撃を予感していたが、その直前に砂田は左手の平で彼の拳を捉えた。それと同時に、黒崎の体重を預けていた右足を払うと腕をひねり上げ、あっと言う間にコンクリートの床に押さえつけた。
「まあ、冷静になれよ。お前の見解も正しい」
黒崎は痛みに顔を歪めながらも、砂田を目の端で睨みつける。
「ああ?じゃあ、止めんなよ」
「正しいが、倉図にも言い分があるってことだ。なあ?」
茫然と状況を眺めていた芯は、急に話を振られてはっとする。
「そ、そうだ。黒崎君が先に殴ってきたんだろ」
「あいつが殴っていいって言ったんだよお」
後ろでおびえるように見ていただけの浜井が成谷を指さす。芯は振り返り、彼の顔をまじまじと見た。成谷は少し気まずそうな顔で言う。
「浜井の言う通りだ。俺が良いって言った」
「……なんで?」
砂田が解放したのだろう、黒崎は立ち上がり体に着いた土やほこりを叩き落としていた
。
「その代わりにお前に手を出すなって条件だ」
芯はもう一度成谷を見た。彼は何も言わず、ただ視線を落としていた。
「それで、今週はずっと来なかったのか」
その言葉は独り言だったのか、成谷に問うたのかは誰にも分からなかった。しかし、どちらにしてもそれに対する答えを成谷は言葉にできなかった。
芯は改めて黒崎を睨んだ。溢れ出る怒りに身を任せるように拳を強く握り締めた。
「成谷に手を出すな」
「条件はお前を殴って良いってか?」
黒崎は口元を軽く歪め、鼻で笑った。
「違う」
芯は黒崎、浜井、砂田と順番に見つめ、言い切る。
「それじゃあ何も変わらない。成谷にも僕にももう関わるな。これは別に代替案じゃない。お前らに対する反抗だ」
なぜか恐怖心は無かった。怒りが煮えたぎっていたせいかもしれない。芯の中では強い意志が生まれ、今ならば相手が誰であれ、立ち向かえる気がした。
「そうだな。芯の言う通りだ。俺が間違っていた。これ以上、俺か芯に手を出したら許さん」
後ろにいた成谷は芯の隣へと一歩踏み出した。
「どの口が言ってんだ?」
黒崎が詰め寄ってくる。現状としては二対三で不利であったが、それでも引く気はなかった。
「僕と成谷が言ってんだ」
「上等だよ」
芯は拳を固める。相手の一挙手一投足を見逃さない様に注意した。勝負において先を取ることがいかに重要か理解していた。
今度は砂田も止める様子はないようで、黒崎の横へと並ぶ。やるならば参戦する気のようだった。それとは反対に、浜井は少し後ろで立ったままで、喧嘩には加わりたくないと身を引いていた。
お互いが一メートルも離れていない距離に立つ。空気が張りつめ、小さな身動き一つがきっかけになる事が分かる。それほど長い時間ではなかった。恐らくはたった数秒の間であったが、芯と黒崎の目が合い、砂田と成谷の目が合っている間の体感時間は嘘のように長かった。身じろいだのは浜井だった。緊張感に耐えられなかったのか、少しだけ足を動かした。ジャリッ、という靴裏と砂の擦れる音が合図になった。
黒崎が真っ先に動き、右腕を芯へと振り切る。しかし、芯はそれに対しダッキングするように懐に入り込んだ。黒崎の真下から見上げる。左拳を顎に向けて振り上げようとする直前、額に大きな痛みが走った。後ろにのけ反ってから、自分が頭突きをされたのだと分かる。
首に力を入れ、正面を向く。成谷が動いているのが見えた。砂田を蹴り飛ばし、距離を空けると黒崎の顔面に一発お見舞いした。勢いに押され黒崎は尻餅をついてしまう。それに追い打ちをかけるように成谷は一歩踏み出したが、いつの間にか砂田が距離を戻していた。
意識が黒崎に向いていた一瞬の差が影響した。砂田に戻した視線はしっかりと相手を捉えていたが、気が付けば彼の重心が揺れた。警戒していたのが砂田の上半身だけだったのが問題だった。砂田は目線を一切動かさずに、足払いをかけていた。
前に倒れ込んだ成谷の腹を砂田は蹴り上げる。鈍く響く音とともに、成谷が転がった。
「ぐっ」
苦しそうなうめき声を漏らす。痛みに耐えているのか、顔が歪み、右手で腹を抑えていた。そんな様子にかまわず、黒崎が立ち上がり砂田と共に近づいてくる。
「思ったよりは、やるな」
黒崎は口の中にたまった血を吐いて捨てた。
「そっちもね」
そんな一言がスムーズに自分の口から出たことに芯は驚いた。今までは黒崎らの恐怖心に心臓がわし掴みにされ言葉一つ放つことが困難なはずだった。
横で成谷がゆっくりと立ち上がった。未だ苦しそうな表情は続いていたが、戦闘意欲は消えていない様だった。
砂田が首を鳴らし、近づいてくる。先ほどと位置がいつの間にか入れ替わり、芯と砂田、成谷と黒崎が相対していた。
今度は真っ先に成谷が動いた。まだ回復していないであろう成谷の様子から、油断していた黒崎に体ごとぶつかる。それを尻目に砂田は芯へとさらに近づいた。腕が届く距離に入った瞬間、芯は右足を軸に腰を回転させた。
狙ったのは相手の腹。躱すには体全体を動かす必要のあるポイント。この近さではそれは不可能のはずだった。
しかし、芯の狙い通りには事は運ばなかった。砂田は膝を思い切り上げ、伸びてくる腕にぶつける。体の距離は近かったが、斜めの軌道に変えられると芯の腕は伸び切ってしまった。砂田は上げた膝を降ろさずに、器用に左足でバランスを取る。左足の親指に相当な力を込めて、右足を芯の顔面へ叩きつけた。
真後ろへ倒れ込みながら、芯は口の中に広がる血の味を感じていた。視界の隅で成谷の姿をチラと捉える。黒崎の左頬に綺麗な一撃を入れる光景が目に入ってきた。
(ここまでで大方の強さの序列は分かった気がする。一番僕が弱く黒崎と成谷がほぼ同列。砂田が一番強い。相手の動きを指一本まで情報処理している。その上で自分の動きは最小限にすることで予測をさせない。これは、多分、勝てない)
でも、それでもいい
勝てない喧嘩だと、冷静に分析する頭の中には絶望のようなマイナスな気持ちは無かった。この喧嘩を買ったこと自体がきっと大きな転機なのだと、大きな意味なのだと芯は感じていた。
「おしまいか?」
砂田の言葉が耳に届き、芯は身を起こした。
痛みが全身を襲っていた。頭を打ったのか、後頭部がぐらぐらする感覚に陥っている。視界も少しぼやけているような気がした。そんな状況でも、芯は少しだけ口角を上げる。
「そんなわけないだろ」
目の前に広がるのは無機質な灰色の天井だった。背中からはどこか心地の良い冷たさが伝わってくる。目は少し腫れ、全身が痛みを上げていた。
近くには成谷も倒れていたが、意識を無くしているというわけではなさそうだった。片膝を立てて床に座っていた黒崎は大きく息を吐いた。
「痛ってえ」
黒崎は口元の血を拭う。頬には痣も浮かび上がっていた。
「今度こそ、おしまいだな」
砂田が改めて問うた。
「うん。負けたよ」
芯は上体だけ起こし、諦めたように呟く。砂田はそれを聞き、端に置いていた自分の鞄を取り上げた。黒崎もまた、彼と同じように鞄を手に取った。
「じゃあ、また学校でな。倉図」
黒崎は最後にそれだけ言い残し、砂田、浜井と一緒に扉から外に出ていった。既に誰の姿も見えない入口を芯は呆気にとられたように見つめ続けた。
「そんなもんだ」
成谷は芯の横顔を見て言った。未だ口をポカンと開けたままの芯に、それ以上の声はかけなかった。痛みが二人の体を襲っていたが、それ以上に彼らの中には得もいえぬ高揚感があった。成谷は静かに笑い、それにつられて芯も笑う。小さな、それでも楽しそうな声が廃墟と化していた空間に響き渡った。
成谷が先に立ち上がり、伸びをした。体が軋むように痛みも走るが、気持ちよさの方が大きかった。
「帰るか」
「そうだね」
彼らは廃墟ビルから外に出た。路地に差し込む光が暖かく、疲れ果てている彼らにエネルギーを与える。
「あのさ」
芯は隣を歩く成谷に声をかけた。
「もうこんなの止めてよ」
「……あぁ。悪かった。もうしない」
成谷は気を落としたように呟いた。
「僕もごめん。ありがとう」
少し照れくさそうに前を向きながら芯は言った。成谷はその声でホッと胸を撫でおろし、彼もまた視線を前に戻した。
「そういえばさ、白峯神社での話はどこまでいったんだ?」
「結構進んでさ、多分あと一週間くらいで最後になっちゃうかも。今週分の話しようか?」
「そんなに行ったのか。間に合って良かった。そうだな、聞かせて貰おうかね」
彼らは帰りの道中、魔法世界での話をし続けた。さっきまでの体の痛みや疲れはどこか遠くへ飛んで行ったかのように、感覚は厳選され、楽しさが心の中を支配していった。
「それじゃあ、また明日な」
「うん」
二人は別れ、それぞれの道を一人で歩く。その時の表情は先ほどまでのように笑顔ではない。芯と成谷のどちらもが、一人で前を見ていた。
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