2-9 side 倉図芯 不安は彼の不在
虎高先生に場を目撃されて以降、芯は平穏無事に学校生活を送ることが出来ていた。彼が逃げずとも黒崎たちが突っかかってくるような事は無く、それが芯を安心させ、しかし不安にもさせていた。
そしてもう一つ、芯を不安にさせる要素があった。
芯はいつも通りに下駄箱で靴を履き替え、日の当たる外に出る。様々な生徒が話し声を上げていた。そんな雑踏の中を芯は一人で歩いて行く。校門へと辿りつくと、辺りを見回した。
「どこいくー?」
「買い物いこー」
芯の隣を素通りするように、二人の女子生徒が通った。彼女らはまるで自分たちしか世界にいないかのように、声量を気にすることなく人通りの多い方向へと消えていく。
芯は一人小さなため息をついた。成谷が校門前に現れなくなってから、今日で一週間が経っていた。一度スマホで連絡を取ってみたものの、なんでもないとはぐらかされて終わってしまった。それ以来、自分からは連絡を取れずにいる。しかし、芯は今日こそは待っていてくれるのではないかと校門で辺りを探すのが習慣と化してしまっていた。
十分程待ってみたものの、成谷が姿を現すことは無かった。今日もまた一人で白峯神社へと向かう。
「こんにちは!芯お兄ちゃん!」
ユメは元気よく芯に挨拶をする。笑顔でそれに答えながら芯が彼女の隣に座ると、周りで遊んでいた他の子たちも直ぐに彼の元へと集まってきた。
「それじゃあ、昨日の続きからだね」
自分の記憶を出来るだけ鮮明に思い出しながら、抑揚をつけて話を始める。作り話だと認識されていても、食い入るように耳を傾けてくれる人がいるこの場所は芯にとって大切だった。しかし、心の一かけらを無くしてしまっているかのような、どこか虚無感に似た物足りなさを感じてしまう。成谷と知り合って間もないはずだったが、芯の生活の中で彼の存在は必要なものとして認識されていた。
時間は進み、日が傾き始める。話の折りも切りが良く、芯の語りはここまでとなった。興奮冷めやらぬ子供たちは、駆け出したり横の友達と話し合ったりしている。
「マナト君」
芯はその中の一人に声をかけた。
「成谷は最近どうしてる?」
「兄貴?最近見てないなあ。学校終わって家に行ってもいないんだよ」
マナトは成谷の家の近所に住んでいるだけで、本当の兄弟という訳ではない。しかし、よく遊んでもらっていることから、一人っ子のマナトは自然と成谷のことを兄貴と呼ぶようになっている。
「そう」
芯は少し目線を落とす。たかが一週間と言えばそれまでだが、いつも一緒にいた相手が急に姿を現さなくなると不安の色は隠しきれない。
少しずつ白峯神社にいた子供たちは帰り始め、残るのは芯とユメだけになった。
「ユメちゃんはまだ帰らないの?」
「帰るよ。芯お兄ちゃんは?」
ユメは芯の顔を下から仰ぎ見る。
「うん。僕ももう帰る」
芯は立ち上がり、ズボンについていた埃を手で払った。
「大丈夫?」
唐突にユメは質問した。芯は少しだけ驚いた様子で彼女の顔を見た。その目は静かで綺麗な色をしていた。自分の心がそこに反射して映し出しされてしまうようにさえ思えた。
「なんで?」
「なんか……不安そうに見えたから。成谷お兄ちゃんと何かあったの?最近ここに来ないし」
「大丈夫。ちょっと用事があって来れていないだけだよ」
芯は自分の不安を胸の奥底に押し隠し、人の気持ちを感じる事に長けたユメに伝わらない様に、優しく彼女の頭を撫でた。そっと頬に手を当てる。その温かさは芯の手に伝わり、彼を安心させる。
「一緒に帰ろうか」
そう言って芯は横にあった自分の鞄を手にとる。つられてユメも立ち上がった。歩いて境内を出ると、後ろからモモもついてきていた。二人で歩くその時間だけは、芯の不安はどこか遠くへ飛ばされたかのように消えてしまった。
それでも、家に帰り一人になると考えてしまう。
何かあったのだろうか。
「えっと、ここだよな」
芯は学校が終わると、白峯神社ではなく須々ノ原高校に向かった。今日もまた黒崎らに声を掛けられることは無かった。それどころか、芯が教室を出ようとした時に彼らの姿は見当たらなかった。それが逆に不安の種を与えてはいたが、そのおかげで四時半には須々ノ原高校に着くことができた。
制服を着た幾人もの生徒がぞろぞろと校門から出てくる。芯は端の方で場違いな空気を感じていた。彼もまた制服を着ているものの、高校が違えば服装は変わる。同年齢の人々の中で芯一人だけが目立ってしまうのは当然の事だった。
すれ違う人々の目線を感じながら、芯は尻込みをしていた。声をかけようと口を開きかけるが、目に留まった相手はあっという間に過ぎ去ってしまう。成谷の動向を知るために訪れたはずなのに、気づけばただただ立ち尽くしてしまっていた。
「なにか、御用ですか?」
そんな様子が気になったのか、眼鏡をかけた真面目そうな女の子が芯に声をかけてきた。誰かに声をかけるつもりでいたはずなのに、いざ向こうから話しかけられると用意していた質問は咄嗟には出てこない。
「え、えと。いや、あの」
芯は自然と一歩だけ後ずさりして、つい口ごもってしまう。
(これじゃあ、明らかに不審者じゃないか)
そう思いつつも声は自然と流れてこない。
「坂鳴高校の方ですよね?誰か、お友達でもお探しですか?」
「あ、そ、そうです。笹井成谷って、人なんですけど」
相手から聞きたかったことを質問してくれたおかげで、やっと言葉を出す事ができた。少しだけ冷静になり、相手の姿形が脳へと映し出される。
女性にしては背が高めで160cm以上はあるように見えた。吹き抜ける風が肩にかかる髪を小さく揺らしている。ハキハキとした話し方や、芯に声をかける気の使いようから、顔が広そうだと予想できた。
「笹井くん?知ってますけど……」
期待通りの返答を彼女は返す。しかし、どこかその顔は曇り、それに続く言葉は望んでいないものだった。
「今日は学校来ていないですよ。というより、最近は休みがちです」
「え?」
芯は彼女の言葉を聞き、思わず固まってしまう。坂鳴高校校門に現れなくなったといっても、学校にさえ来ていないとは思っていなかった。
「さすがに理由までは知らないんですけど」
彼女は少し申し訳なさそうにする。
「いや、それだけでも十分です。ありがとう」
お礼を告げると、彼女は小さくお辞儀をして帰っていった。芯はため息をつき、頭を抱える。学校にいないとなると、会うためにはもう家に行くしかない。マナト君に聞けば場所も分かるだろう。しかし、家まで押し掛けるのはいくらなんでもやりすぎではないだろうか。
どちらにしても、このまま須々ノ原高校前に居ても仕方がない。そうは思ったが、念のためにもう一人だけ聞いてみることにした。もしかすると、今の成谷の所在を知っている人だっているかもしれない。
「あの、すみません」
一度、会話に成功したからか今度は案外スムーズに話しかけることができた。背が高く短髪の活発そうな男性で、何か運動部に入っていそうな雰囲気であったがこの時間に帰宅しているのをみると所属していないのだろう。
「はい?」
男子生徒は足を止め、体ごと芯の方を向いてくれた。
「笹井成谷って人を探しているんですけど知ってませんか?」
「あぁ、知ってますよ。仲がいいわけではないですけど」
「学校に来ていないみたいですけど、どこにいるか分かりませんか?」
「んー。学校に居ないってことは家じゃないんですかね。あ、でも……」
男子生徒は顎に手を当てながら、ふと思い出したように目を見開いた。
「確かこの前、他の学校の生徒と居るところをチラッとだけ見たな。そういえば、あなたの制服を着ていたような気がするけど」
芯は自分の服装に目を落とす。坂鳴高校の生徒と一緒にいた……?
「それは……僕じゃない人ですか?」
「顔は確認していないけど、見たのは一昨日だし、今あなたが探しているってことは他の人だったんでしょう。笹井の他に三人いたから自分の高校の生徒を当たってみた方が良いかもしれませんよ」
三人?その人数から思い当たるのは一組しかいなかった。成谷は須々ノ原高校の生徒のために、坂鳴高校の生徒との知り合いは少ないはずだ。そうなると、浮かんでくるのは黒崎、浜井、砂田の三人だった。
「どこで、どこで見ましたか!?」
「え、えっと確か……街元通りから見える裏路地だけど」
芯の勢いに押され、彼は一歩後ずさった。
街元通りは、このあたりの地域で一番店が多い場所だった。若者が遊ぶと言えば、まずそこに集まることが多く、カラオケから飲み屋、服飾店まであらゆるものが揃っている。しかし、その通りの人通りの多さとは裏腹に、一本裏手の道へ移ると喧噪が嘘かのように、静かで廃れた場所になる。人目に付きにくく、裏路地に足をのばす目的がある人などほとんど居ないはずだった。
芯が思案顔を浮かべているのを見て、これ以上長い時間はつかまりたくないと思ったのか、男子生徒は逃げるようにしてその場を後にした。
残った芯は一人校門の前で立ち尽くしていた。先ほどまでと同じように、行き交う生徒は彼に目線を向けていたが、それを気にできるほどの心境ではなくなっていた。
(成谷と黒崎たちが一緒にいた。黒崎たちは僕に関わらなくなってきた。どうして?)
自然と芯の足は動き出していた。ここから街元通りまでは非常に近く、徒歩で十分ほどの距離だった。だんだんと歩く速度は増していき、最終的には駆け足になる。たどり着くころには少し息切れを起こしてしまっていた。
当たりを見回してみるが、成谷や黒崎たちの姿は見つけられない。いたとしても、あまりの人の多さから見つけ出すのは困難であろうと思われた。先ほど聞いた話によれば、姿を目にしたのは通りから一本ずれた裏路地だったことを芯はすぐに思い出す。人ごみをかき分けながら、街元通りを抜けると人はあっという間にまばらになった。さらに路地の方へと足を向けると、まるで世界が変わったかのように喧噪は極端に小さくなる。気のせいか、気温も低下したように感じ、芯は両の掌で腕をさすった。このあたりは、街元通りにあるような明るい店は皆無で、ただの古ぼけたアパートや廃ビルが立ち並んでいるだけだった。なにやら怪しい店もどこかの一室にあるという噂があるが、芯はそれを目撃したことは無かった。
コツコツと自分の靴がコンクリートを鳴らす音が反響する。小さな音のはずだったが、他に聞こえてくる音がないためにやけに響いているように感じた。三十分ほども辺りを見回しながら歩いたものの、成谷の姿は見つけられない。今日は来ていないのだろうかと思った矢先、自分の足音とは違う物音が聞こえた気がした。すぐに振り向いてみたが、そこに人の姿はない。
(気のせいだったか)
前を向き直し、再び歩き出そうとするともう一度音が聞こえた。先ほどよりも大きな音で、どこかの扉を強く締めたような響きだった。
音の方向を見ると、どうやらすぐそばの廃ビルから聞こえてきたようだった。入口のドアは開け放たれており、それが音が漏れた理由だったのだと推測できた。芯はそのビルまで近づき上を見上げる。五階建ての小さなビルで、誰も住んでいないだろうことが一目で分かるほどに、静かな雰囲気を漂わせていた。しかし、そこから見える小さな窓に微かに人影が写っているのが見えた。
入口から首を突っ込み中を覗き込んでみる。天井についている蛍光灯は明かりを放っておらず、外から差し込む光だけが頼りとなっていた。地面には瓦礫や石、ボロボロになっているスニーカーの片方といった生活が見えるものまで落ちていた。一階にはいくつかの扉と階段があった。芯は真っ直ぐに階段へと向かった。手すりは使わず、慎重に階段を上がる。彼が目にした人影は二階の窓からだった。
二階から伸びる廊下は短く、突き当りまでに右と左の二つしか扉は無かった。窓があった方向から考えるに、人がいたのは左手側だと芯は推測する。
開ける前に、耳を当てて中の様子を探る。何かしら話し声が聞こえるようだったが、その内容まで聞き取ることは出来なかった。
ゆっくりと音を立てないように少しだけ扉を開く。隙間から中を覗き込んでみた。見えてきた光景は相対する二人の男だった。
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