2-8 side 笹井成谷 思惑

 白峯神社で芯の話が終わったあと、成谷は一人帰路についていた。いつもならば、芯と二人で帰っていたが、今日はおばあちゃん家による用事があるからと断っていた。しかし、彼が向かった先はおばあちゃんの家などではなく、ましてや自宅でもなかった。


 成谷は、人通りの多い道がよく見える喫茶店の窓際に座っていた。時刻は十八時。そろそろだろうとテーブルに肘をつきながら向かいのマクドナルドを眺めていると、そこから黒崎と浜井、砂田の三人が出てきた。それを確認すると、成谷はすぐに席を立ち彼らの後をつけた。目で確認できる距離を取りながら、相手には気づかれないように慎重に人ごみにまぎれる。


 十分程歩いたところで、黒崎達は立ち止まった。それに合わせるように後方で成谷も電柱の影に隠れた。少しの会話を交わし、彼らは二手に分かれた。黒崎と浜井は向かって右側に、砂田だけが左へと折れた。彼らの姿が見えなくなると、成谷は岐路まで走り、左右を見渡す。迷うことなく左へと進路をとった。


 砂田は振り返ることなく一定の速度で歩いていた。途中、自動販売機の前で立ち止まり、財布から小銭をだして飲み物を購入する姿が見えた。十数メートルは距離を保ったままで成谷も歩き続ける。T字路に差し掛かると、砂田は右へと進み、姿が見えなくなる。成谷はすぐに駆け出し、壁沿いに背中を押し付ける。ゆっくりと顔だけを端からだし、その先を覗き込んだ。


「なにやっているんだ」


 砂田は曲がり角のすぐそばで立っていた。顔だけを覗かせた成谷と目が合う。


「……なんでわかった?」


 諦めた様に成谷は体を陰からだした。彼の問いに砂田は顎で指し示す。


「あぁ、カーブミラーね。忘れてた」


 T字路に設置された鏡は、事故が起きることの無いように綺麗に磨かれていた。曲面を描くその鏡には砂田と成谷の姿が引き伸ばしたようにして映っていた。


「それで何の用だ?」

「芯に突っかかるのを止めろ」

「突っかかっているのは俺じゃない」

「お前が止めろと言えば止めるだろ」

「俺が言う前に、倉図が止めろと言ったか?」


 成谷が開いた口からは言葉が出てこなかった。学校での様子を彼は知らない。それでも、芯が黙って俯いている姿が頭の中に浮かんでくる。


「……言ってなくても嫌がっていることくらい分かるだろ」


 周りにひと気は無く、二人の言葉はそれほど大きくなかったが、反響しているかのように相手の耳に確実に届いた。砂田は成谷の言葉を聞いても眉一つ動かさず、冷静に言葉を返す。


「分からない」

「はあ?」

「感覚的認知不可症って知ってるか?」


 砂田は先ほど買っていた缶コーヒーのプルタブを開けて口を付けた。ゴクリと喉が鳴った。


「相手の気持ちを察することが出来ない病気だ。はっきりと言葉にして伝えられれば理解できるが、表情や雰囲気から察するなんていう曖昧な感覚の認知ができない」


 彼の目線は成谷から外れ、なんでもない近くの木々へと移った。特に興味を惹かれる物があったわけではないが、音もなく小さく揺れる葉が少しだけ面白く感じられた。


「お前がそれにかかっているのか?」

「そうだとしたら?」


 成谷は出す言葉を探す。一時の間をおいて、言葉を伝えた。


「だったら……。今、伝えただろう。あいつは嫌がっている」


 そういう成谷を尻目に、砂田は呆れた表情をしていた。まるで話が伝わっていないかのようだった。


「お前は、どうしてそこまで倉図に介入するんだ?」

「……友達だからだ」

「答えになっていないな」


 砂田は再び缶コーヒーに口を付けた。一呼吸置き、成谷へと目を向ける。


「知り合って間もないはずだろう?」

「時間は関係ない」


 成谷は強く言い返す。その言葉は自分の胸の中にも言い聞かせるような声色だった。砂田は彼の目の奥を覗き込むかのように顔を近づける。身長差はほとんど無いはずだったが、成谷はまるで見上げているような感覚に陥る。


「本当に?」


 成谷の背中を冷たい汗が流れ落ちた。体温が外に排出され、寒気が全身を覆う。砂田の目線から逃れられず、声を出す事も忘れていた。


「まあ、いい」


 その一言でやっと成谷は呪縛から解放されたかのように、慌てて息を吸い込んだ。


「言葉にしない奴に興味はない。探るのも面倒くさいしな」


 そういうと砂田は成谷の脇を通り、先ほどまでの進行方向とは逆に進んでいく。


「どこ行くんだよ」

「帰るに決まっているだろ」


 砂田は歩きながら左のポケットに手を突っ込み開けていない缶コーヒーを取り出した。それは彼の手から離れ空中で弧を描く。吸い込まれるようにして成谷の手元へと穏やかに着地した。


「尾行ならもっと上手くやれ」


(帰り道そっちかよ。というか、自動販売機のところでもう気が付いていたのか)


 成谷は苦い表情を浮かべる。手元に投げ込まれた缶が、まるで自分をあざ笑っているかのように思えた。


「それと、感覚的認知不可症なんて病気はないからな」


 ニヤリと不敵な笑みを成谷に一瞬だけ向けると、砂田はすぐに前を向きそれ以降振り返ることは無かった。遠くなる彼の後ろ姿を眺めながら成谷はただただ呆気にとられるしかなかった。


(終始あいつの掌の上かよ、くそ)


 成谷は小さく舌打ちをした。日はすでに暮れかかっており、辺りが暗闇に飲まれ始める。太陽が今日の仕事を終えるのと交代するように、月が夜勤を始めようとしていた。成谷はその仕事ぶりを眺めながらため息をつく。


(どうして介入するかだって……?)


 成谷の目はどこにも焦点が合っていなかった。ただ虚空を睨み付けるようにして憎しみがこもった激しい感情を発散していた。



(あいつを懐柔するのが難しいなら、芯に強さを持ってもらうしかないか……)

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