2-6 side 倉図芯 奮う心

 芯が学校を出ると、そこにはいつも通りに成谷が待っていた。昨日のことがあったために、彼がそこで待ってくれているとは芯は思っていなかった。少し驚き、少し気まずさを覚え、そして大きな嬉しさが湧き上がった。


「よ」

「うん」


 いつも通りの会話にはならず、沈黙が二人の間を流れる。しかし、自然と歩く方向は揃っていた。


 二人は白峯神社へと続く長い階段を上がる。芯はいつも通りに息を切らし、歩みは少しゆっくりになる。それを気遣うように、成谷も速度をゆるめた。


 ほどなくして彼らは境内へとたどり着いた。その先にはいつも通りに子供たちが居て、モモも走り寄ってきた。その雰囲気に芯は心底ほっとする。もしかしたら、もう誰も居ないのではないか、いつもそう思いながら階段を上がっていた。


「今日はスランヴァスキーの谷に着いたところからだよ」


 芯が縁側に腰を下ろすと、隣のユメが昨日の続きを急かしてくる。それもまたいつも通りだった。芯の周りに子供たちが集まり、彼の話にみんなが耳を傾ける。成谷も子供たちの後ろに立って芯の話に聞き入っていた。


 天気は良く、木漏れ日が差し込む境内は周りとは隔絶されているかのような雰囲気を出していた。時間は一定に進んでいくが、芯にとってこの空間での時間はあっという間だった。気づけば日は落ちかかっており、皆を照らす色に暗さが混じり始める。


「芯、今日はこんなもんだろ」


 成谷は自分の腕時計を見て声をかけた。


「えー、まだ大丈夫だよー」


 座っていた子供たちは口々に不満の声を上げる。


「いやもう五時だぞ。母さんに怒られるだろ」

「怖くねえよべつに」

「そういう問題じゃねえ」


 文句を言うマナトを成谷はなんとか言いくるめる。周りの子たちも渋々ながら帰り支度を始めた。


「それじゃ、またねー」


 ユメたちは元気に手を振り、境内を後にした。


「それじゃ、俺たちも帰るか」


 成谷は芯に声をかけた。未だ少しの気まずさは残っていたものの、やはり時間というものは優秀で、一緒にいるだけで彼らの距離を再び近づけてくれていた。


 芯は置いていた鞄を手に取り、成谷と共に帰路に着く。階段へと差し掛かるところで、誰かが上ってくる音が彼らの耳に届いた。白峯神社は有名な訳ではなく、かなり小さい神社のために参拝者はほぼ居ない。芯がここに来ている間、誰かと出くわした事は一度も無かった。


 だからこそ、芯は聞こえてくる音の主を予想してしまう。


(恐らく、この白峯神社に来たことのある人。来る目的のある人。その目的は参拝?そうでなければ……)


「よお、クズ」


 芯の予想通りの相手が眼前に現れる。昨日の帰りに出くわした相手、黒崎と浜井、砂田の三人だった。


「何の用だよ」


 成谷は敵対心をむき出しにして問いかける。


「おいおい。俺らはコイツの話を聞きに来ただけだって。面白い物語をさ」


 黒崎は片方の口角を上げ、気色の悪い笑みを浮かべる。どうみても本心で、芯の話を楽しみにしているようでは無かった。


「お前らに話すような話はねえよ」

「はあ?さっきすれ違ったガキには話してんだろ?なんで俺らは駄目なんだよ」

「純粋に聞く気がねえからだよ」


 成谷が黒崎に強気で返す横で、芯は黙ってそれを聞いていた。自分が言い返せない事に弱さと情けなさを感じながらも、成谷に頼ってしまう。


「あー、分かった分かった。じゃあ、あのガキどもと一緒に聞けばいいんだな?」


 下を向いていた芯の耳にその言葉は大きく響いた。彼にとって、自分の体験を話せる場所はここだけで、そこに黒崎たちが混ざることがどういう意味か直ぐに理解した。芯自身だけの問題ではない。楽しみにしてくれる子供たちにも影響を与える。この白峯神社は楽しい場所にはならなくなる。




「駄目だ」




 一瞬の風が彼らの間を吹きぬける。静かに、一言だけ芯は声をだした。誰も彼が反論してくるとは思わなかったのだろう。後ろで興味無さそうに遠くを見ていた砂田さえもが、芯に視線を向けた。


「は?なんだって?」

「駄目だって言ったんだ。ここはお前たちが来る場所じゃない」


 膨れ上がる怖さや感情を無理矢理に抑え込む。拳は強く握られ、微かに震えていた。


 黒崎は片眉を吊り上げ、芯に一歩近づく。しかし、それを遮るように、成谷が前に躍り出た。


「聞こえただろ?」


 成谷の表情はどこか嬉しそうだった。


「もう一回言ってみろ、クズ!」


 黒崎がポケットに突っ込んでいた左手を芯に伸ばした。しかし、その腕を成谷が掴む。


「言ってやれよ、芯」

「黒崎君たちには話さない」


 成谷に背中を押され、芯は今度こそ前を向いた。黒崎の目をしっかりと見据え、はっきりと拒否を示す。


「てめえ!!」


 掴まれた腕を払いのけ、黒崎は無理矢理に芯の目前へと踏み出す。右腕を上げ、振り下ろそうとする直前、後ろから肩を掴まれた。反射的に動きは止まり、首が後ろを向く。


「落ち着け」


 砂田は黒崎の肩を掴んだままで、目は芯を見ていた。その目は静かで深く、芯には感情を読み取ることが難しかった。


「そんなに聞きたいわけじゃないだろう?」

「……まあ、そうだけどよ」


 黒崎の気は削がれ、固めていた拳を広げて頭を掻いた。


「聞きたいわけじゃない、話す気はない。意見は一致してる」

「でもよお、こいつムカつくぜぇ?」

「浜井の言うとおりだ。単純に、コイツに腹が立つ」


 二人を諫めようとする砂田に対し、黒崎と浜井は反抗的な態度を見せた。それを受けて、砂田は成谷と芯を見据える。


「どうする?」


 成谷は砂田を睨みつけながら、微かに不敵な笑みを浮かべる。


「売ってくれるなら買うぜ?」

「僕は……買いたくはないけど」


 強気な成谷の横で芯はおずおずと小さな声をだした。


「不成立だな。終わりだ。帰るぞ」


 砂田はあっさりと彼らに背を向け、境内から出ようと歩き出した。


「おいおい、ちょっと待てよ砂田」

「なんだ。買ってくれない喧嘩に意味はない」

「はあ…。お前そういう意味分からない所あるよな」

「そう思うのはお前だけだ」

「いや、浜井も分かってねえから。なあ?」


 砂田につられて、黒崎と浜井も同じように芯たちに背を向ける。話し声がだんだんと遠くなり、辺りは再び静けさに包まれた。


「結局なにもせず帰るのかよ」


 やり場のなくなった拳を持て余すかのように、成谷は腕をぐるぐると回す。それとは対照的に芯は心の底からほっとしていた。


「しかしまあ、いいか」


 成谷は隣に立っている芯の背中を軽くたたき、目を合わせると白く健康そうな歯を見せた。


「うん」


 一言発しただけなのに、それがずいぶん久々なことだったかのように芯には思えた。自分の口から出た自分の意志が心地よく、ちょっとした達成感をひそかに感じていた。


「でもなあ、やっぱあそこで買わないって選択はどうなのよ」

「だって喧嘩なんて勝てないし」

「いやいや、勝てるって」


 成谷は少し意地の悪い笑みを浮かべながらも、どこか楽しそうな、満足した表情をしていた。それは芯も同様で、帰路につく二人の足取りは軽く、ともすればスキップさえしてしまいそうだった。


 夕日は落ち、辺りが暗闇に包まれ、いつもと同じ時間で一日が終わった。

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