2-5 side 倉図芯 自覚する弱さ

「マーチが使ってくれた筋力増加魔法のおかげで、その壁を乗り越えられたんだよ」

「ジャンプで飛び越えたってこと?」

「そうそう」


 芯の周りにはユメだけでなく、数人の子供たちが集まっていた。ユメは芯から聞いた物語を学校で話し続けていた。その結果、ついに興味を持つ子たちが現れ、何人かが白峯神社に足を運ぶようになっていた。


「すげえ!だって壁だろ?高いんだろ?」


 芯の話を食い入るように聞いていたマナトが声を上げた。


「そうだよ。僕の身長の数倍あるね。梯子でも使わないと普通は無理だ」

「かっけえー。俺も飛んでみたい」


 マナトは憧れるように目を光らせ、自分が飛ぶ姿を想像していた。


「じゃ、今日はこの辺にしとこうか」


 芯は立ち上がり、軽くお尻をはたいた。


「えー!まだ兄貴が来てないよ!」


 はつらつとした、丸く元気な目を不満そうに吊り上げマナトは声を上げた。兄貴呼びとは大人びた子だな、と芯は思う。それでも、元気で生き生きとした目をしているマナトだからこそ違和感を感じることは無かった。


「マナト君、お兄ちゃん居たっけ?」


 ユメは膝の上のモモを撫でながら、質問を投げた。


「近所に住んでる兄貴さ。なんか今日は迎えに来てやるとかって言ってた」

「そうなんだ。じゃあ、もう少しだけ話そうかな……」


 そういって芯が再び腰を下ろそうとすると、白峯神社の入り口から、地面を鳴らす音が響いてきた。芯とその周りに集まっていた子供たちも自然とその音の元へと首を向ける。


 制服を着た一人の男が学校指定であろう黒いカバンを片手に歩いてきていた。短髪で整った顔立ちの男だった。背は倉図よりもやや高めで同い年くらいであろうことが予測できたが、制服の違いから同じ学校ではないことが彼には分かった。


「よう、マナト。来てやったぞ」

「兄貴!」


 マナトはすぐに立ち上がり、彼のもとへと走り寄った。


「話はコイツから聞かせてもらってます。マナトの家の近くに住んでる、笹井成谷ささいなりやです」


 成谷は礼儀正しく名乗り、軽く会釈をした。


「えっと、倉図芯です」


 いつも小学生相手に話をしていたせいか、突如として現れた同年代の成谷に彼は少しだけ緊張してしまう。


「楽しいお話をいつも聞かせてくれているようで。俺と会うと最近はその話ばかりなんですよ」


 成谷はまるで自分もその話を楽しみにしているかのような朗らかな笑みを浮かべた。整った顔がくしゃりと崩れ、その代わりに人を引き付ける雰囲気が増す表情だった。芯はその顔に安心感を覚える。この人は黒崎たちとは違うのだろうと直感的に感じていた。


「制服ってことは君も高校生?」

「あ、はい。坂鳴高校の三年生です」

「そうか!俺も三年。須々ノ原すすのはら高校だけど」


 成谷は同い年と聞いてすぐに嬉しそうな表情を浮かべる。先ほどまで使っていた敬語もつい無くなってしまっていた。


「あ、急に馴れ馴れしくなってすみません」


 その自分の言葉をすぐ反省し、彼は謝罪する。


「いや、いいですよ。……いいよ。同い年みたいだし」


 芯もまた、言葉使いに少し悩んだが相手の馴れ馴れしさに乗っかることにした。


「そう?じゃあ、それなら……。よろしく、芯」


 芯の言葉を成谷は意識的に真に受ける。相手との壁を無理やりにでも取り払うことが距離を詰める最初の方法だと理解していたからだった。


「うん。よろしく、笹井」

「笹井?」

「……成谷」

「おう」


 芯はこっちの世界で下の名前を呼べるほど仲の良い相手はいなかった。始めて呼ぶ相手の名前に少しだけ照れをもってしまう。しかしそれ以上に、湧き上がる感情は楽しく、これから成谷とは良い関係になることを、彼の根拠のない直感が訴えていた。




 授業が終わり、成谷が校門へと歩を進めるとその先には坂鳴高校の制服とは違う服装の男が立っていた。


「よー、芯。早く行こうぜ」


 いつの間にか芯が白峯神社に向かうときには成谷が迎えに来ることが普通になっていた。二人して子供たちが待っているであろう場所へと向かう。


「成谷は何か部活とか入ってないの?」

「んー……。バスケ部入っていたけどな。この前辞めた」


 成谷はどこを見るでもなく、目線を宙に浮かせながら返事をした。


「え、そうなの?どうして?」


 その質問に彼は少しだけ間を空け、チラリと芯を見た。悪意のない表情を見て、成谷は再び前を向いた。


「まあ、ちょっとな」

「……、そっか。ごめん」


 反射的に聞いてしまった質問に芯は後悔する。わざわざ一度入っていた場所を手放したくらいだ。何かそう簡単ではない理由があったに決まっているだろう。


「……おう」


 成谷の目は映る風景のどこを捉えることもなく、ここには無い別の場所を見ているかのようだった。それでも歩みは芯に並び、目的地へと近づいてく。少しずつ人ごみは小さくなり、白峯神社へと続く階段の元へ着くころには辺りは静けさに包まれていた。


「意外とこの階段しんどいんだよなあ」


 泣き言を漏らす芯を横目に成谷は悠々と階段を上がっていく。


「このくらいで文句言うなよ」

「そりゃ成谷は運動出来るタイプなんだろうけどさ」


 上がる息を何とか抑えながら、芯は成谷に遅れまいと足を止めない。


「芯もだろ」

「いや、僕は全然だめだよ」

「そんなことねえって」


 そんな言い合いを続けている内に、二人とも最後の段に足をかける。首筋が少しだけ汗ばみ、それに気持ち悪さを感じながらも境内への奥へと足を踏み入れた。


 ガランガランと本坪鈴の音が鳴り響く。既に集まっていた子供たちが遊んでいたせいだった。彼らは並んで歩いてくる芯と成谷を目にとめると声を上げる。


「あー、きたきたー」


 真っ先にマナトが走って近づいてくる。しかし、いつの間にかモモの方が先に芯の足元に辿り着いていた。いつもと同じように一度目が合うと直ぐに背を向け、早く来いとせかしてくる。


 ユメは縁側に座ったままで笑顔を芯たちに向けていた。その膝にモモは飛び乗る。彼女もまたいつも通りに小さな手のひらで頭を撫でてやっていた。


「おまたせ」

「早く早く」


 彼女は開いていた左手でポンポンと床をたたく。それに従うように芯は腰を下ろした。


「えっと、カンフォルーゼの街に辿り着いたところまでだったね」


 芯が話を始めると周りの子供たちはいっせいに口をつぐみ、耳を傾ける。時折、息を飲み、また時には声を上げて興奮した。その純粋な反応が芯にはとても嬉しく、心が浮き上がり、時間の間隔が狂い始める。




「今日はこんなもんだろ」


 夢中で話していた芯と、夢中で聞いていた子供たちに、後ろから成谷は声をかけた。我に返るように芯は腕時計を確認すると、時計の針は十七時半を示していた。高校生の二人にとっては遅いとは言えない時間帯だが、話を聞いている小学生には親に怒られる可能性が出てくる頃合いだった。


「そうだね。終わりにしよう」


 毎度のごとく口々に文句を言いだす子供たちを宥め、なんとか帰りを促した。


「じゃあ、また明日ねー」


 入口付近で振り返り、ユメは芯たちに手を振った。彼もまたそれに合わせるように手を振り返すと、満足したような笑顔で彼女は階段を下りていく。それのすぐ後ろにはモモがゆっくりとマイペースに歩いていた。


「成谷はいいの?マナト君と一緒に帰らなくて」

「いいだろ。あいつも友達と帰ってるし」


 立っていた成谷は縁側に自分の鞄を置き、その隣に座った。芯もまた彼に歩み寄り、同じようにして隣に腰を下ろす。


「しかし、よくできた話だよなあ。作家の才能あるよ」

「そんなことないよ」


 芯は少しだけ目線を落とし、正直に返す。自分が考えた話ではない。ただ、体験を話しているだけだ。誰もそれを信じないだけで。


「なんでもかんでも魔法でどうにかできないっていうのが良いよな。ちゃんとその世界の中で原理があるのが良い」

「結構不自由だよ」

「俺たちだって動いたら体力減るんだから、そういう設定は必要だろうよ」


 成谷はふと思いついたように言葉を口にした。


「火を出したりするの、は対象の酸素濃度と源素の消費ってのは分かったけどさ。ゲームでよくあるようなテレポートとかの原理はどう考えてんだ?」


 芯はマーチが話していたことを思い出す。彼は魔法の原理を理解することが苦手で、テレポートももちろん使用できなかった。代わりにいつも近くに居てくれたマーチがたまに魔法の説明をして、彼に使用してくれていた。


「えっと、たしか人をデータとして見て空気中にある源素に移すんだよ。その後に目的の場所に張り付けて構成すればいい」

「コンピュータの切り取りと張り付けみたいなものか」

「そうそう」


 芯の拙い説明だけで、成谷は直ぐに理解した。


「それだと自分の目の届く範囲しか行けないことにならないか?」

「その通りだよ。どこか遠くの知らない場所にはテレポートは使えない」

「めんどくさい設定」

「そう言われても」


 たとえ作り話だと思われていても、自分の話を熱心に聞いてくれるだけで芯は嬉しく感じていた。この神社の中でだけは自分の話は馬鹿にされず、楽しみにされている。彼はこの場所こそが自分の居場所だと感じるようになっていた。


「じゃあ俺たちも帰りますか」


 成谷は両腕を空へと向け、ぐぐっと背筋を伸ばした。芯もまた立ち上がり、成谷と一緒に白峯神社を後にする。


 静けさの漂う階段を二人が降りると、芯にとって聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。


「おおっ。ホントにいたぞ」


 芯と成谷は声のした方を向いた。芯は向かずともそこに誰が居るのかはもう分かっていた。


「クズー。何やってんだよ、こんなところで」


 黒崎はにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべながら二人に近づいてくる。その後ろにはいつも通り浜井と砂田もいた。


「もしかして、噂はほんとか?」

「噂ってなんだよ」


 成谷は嫌悪を顔に出しながら、黒崎の質問に質問で返した。芯にもその噂とやらが何のことを指しているのか直ぐには分からなかった。


「白峯神社で嘘の話を垂れ流す奴が居るって聞いたんだよ。もしかするとクズが国を救った話でもしてるのかと思ってな。というか、お前誰?もしかしてクズの友達だったりするの?」


 黒崎は成谷にもバカにするような笑みを向け始める。


「クズっていうのが誰のことを言ってんのか知らねえけど、俺は芯の友達の成谷だけど?」


「マジで?こんな奴と友達とか見る目ねえなあ。悪いことは言わねえから、止めときな」


 黒崎は説得するように自分の手を成谷の肩にポンと置く。しかし、彼は汚い物を見る目つきでその手を払いのけた。


「自分の見る目の無さを自覚できずに人を見下すのは滑稽だぞ」

「さすが国を救ったことのある奴の友達は強気だなあ」


 成谷と黒崎が一触即発の雰囲気を作り出している横で、芯は下を向きただじっとしているだけだった。黒崎達を前にすると怖さが体を包み、足と喉が機能しなくなった。


「おい、芯も何か言い返してやれよ。こんなカスに黙っているだけかよ」


 成谷は溜まる怒りを消化しようと芯に声をかける。しかし、それでも彼は下を向いたままで顔を隠していた。


「な?コイツはこんな奴なんだよ。気持ちの悪い妄想の中でしか生きられないクズなんだよな」


 黒崎はポケットに手を突っ込んだまま、芯へと顔を近づける。しかし彼は黒崎の顔を直視できなかった。


「お前が芯の何を知ってんだよ」


 何も言わない芯の隣で成谷は怒りに満ちた目を黒崎へと向ける。


「国を救ったクズってことなら知ってるけど?」


 黒崎もまた一歩も引かずに成谷を睨み返す。周りの静けさとは裏腹に二人の間には激しい感情がぶつかっていた。どちらかが手を出してもおかしくない空気が広がり、芯も浜井もじっとしているしかない状況の中で、我関せずといった声を砂田が上げる。


「用事は終わりか?黒崎」


 二人は抜きかけた手のやり場に困った様子で、砂田を見る。


「お前が噂を確認しに行こうぜって言いだしたんだろ」


 自分の鞄を左肩にかつぎながら砂田は首を傾げた。


「い、いや、まあそうだけどよ。コイツが突っかかってくるからさ」


 先ほどまでの一触即発だった雰囲気はあたかも嘘のように消え去っていた。


「だからなんだ?どうでもいいだろ、帰ろうぜ」


 砂田は顎を軽く上げ、元来た道を示した。


「なんだ?終わりにすんのか?」


 成谷は矛先を砂田に向け、宙に浮いてしまっていた鬱憤を挑発としてぶつける。それに応えるかのように、砂田はゆっくりと目線を成谷へと移した。


「何か問題でもあるのか?」


 芯は横から砂田を見た。彼の視線は芯に向けられていたわけではなかったが、それでも全身が硬直するのを止められなかった。先ほどの黒崎や成谷とは違った種類の怖さだった。非常に静かで冷たく、相手を畏怖させる目をしていた。


 何も答えない成谷を了承したと見たのか、砂田は踵を返し歩き出した。黒崎と浜井もそれに連れられるように後を追う。拘束していた縄が溶けたかのように緊張が解け、芯は少しだけホッとする。


「……なんで何も言い返さねえんだよ」


 成谷の言葉は怒りよりも悲しみに満ちていた。それを感じ取ったからこそ芯は返す言葉に詰まる。


「お前はクズなんて呼ばれていい奴じゃないだろ」

「……僕さ、あいつらに苛められてて。どうしても……抵抗する勇気が出ないんだよ、弱いから」


 言い訳。自分を正当化するための逃げ口上だった。


 弱いから。


 弱いから仕方がない。そう自分に言い聞かせることで、芯は現状を無理矢理に受け入れていた。抵抗することで、見えてこない展開を迎えることが彼にとっては恐怖で、今を耐えればいいという現状維持を選択してしまっていた。


「芯は強いだろうが」


 成谷の拳は強く握られ、悲しみと怒りが綯い交ぜになった奇妙な声色だった。その言葉に芯は少し顔を上げる。しかし、返事をすることは出来なかった。


「ちっ」


 成谷は芯の様子にやるせなさを感じる。自分勝手な憤りを誰に向けてよいか分からず、彼へ背を向けた。


「帰るわ」


 そう一言だけ残し、成谷は去った。


 その場には芯だけが佇んでいた。風が緩やかに流れ、静けさだけが彼を包んだ。彼は顔を上げられないまま、ただ歯を食いしばった。

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