2-4 side ファルシルアン・マーチ ニアミス

「五百三十円のお返しです。ありがとうございました」

「まーちゃん仕事覚えるの早いわねえ」

「まだまだ分からない事だらけですよ、里美さん」


 店内にいる客の数もまばらになり、マーチは一息つく。コンビニの仕事は種類が多く、最初こそ手間取ったものの、彼女の飲み込みの早さから既に大方の事はスムーズにこなせるようになっていた。


「それにしても、まーちゃんが来てからお客さんの数が増えた気がするわねえ。可愛いから当然かしらねえ」

「な、なにを言っているんですか」


 ただの軽口だと分かってはいるものの、褒められて悪い気はしなかった。そんな様子を楽しむかのように、里美はにやにやと悪戯な笑みを浮かべた。


「なんですかっ。それに、里美さんこそ綺麗な女性代表って感じですよ」

「あら、もうー。口が上手いわねー」


 里美の口角はさらに上がり、満更でもないようにマーチの肩をバシバシと叩く。彼女はパートで働く女性であり、齢は四十を超えていた。働く時間帯がマーチとよく一緒になることから、店員の中では一番仲良くなっていた。


「あ、まーちゃん。五時よ五時!上がりましょ!」


 里美は店内の時計を確認すると、颯爽とバックルームへと消えていった。マーチは少しだけ苦笑いを浮かべながら彼女の後を追う。


 入れ替わりでシフトに入る人達に挨拶を交わしながら、マーチは帰り支度を整えた。


「お疲れさまでした」


 一声かけて、バックヤードから店内に出る。そのまま外に行こうとした時に、ちょうどレジで会計を終えた一人の高校生の後ろ姿が写り込んだ。彼の右手には袋が下げられ、中には三ツ矢サイダーや缶コーヒーが入っているのが見えた。


 顔は見えなかった。こちらの世界に知り合いなんて芯しかいない。それなのに、彼の小さなその背中はなぜか見覚えがあるようでマーチには懐かしく思えた。


 彼女の方に顔を向けることはなく、彼はお店を出た。それを追うようにマーチもコンビニのドアから外に出る。


 声をかけてみようかと逡巡する。彼が芯と繋がりがある保証なんてない。それでも、後ろ姿から感じる懐かしさはどこか芯を彷彿とさせた。


(もしかすると、弟とか……?芯から兄弟が居るなんて話は聞いた事が無かったが、言わなかっただけかもしれない)


 彼は目の前の横断歩道を渡っていた。その後ろ姿に追い付こうと左足を前に出そうとした瞬間、マーチは肩を叩かれ後ろを振り返る。


「お疲れ様。まあちゃん、また明日ね」


 美里はマーチに挨拶をして、自転車に乗りさっさと帰って行っていった。美里に何か悪気があったわけではない。ただただタイミングが悪かった。マーチが前を向いたとき、彼は横断歩道を渡り切り、信号は既に赤へと変わっていた。目で追い続ける後ろ姿も、次第にその視界から逃げるように建物の奥へと消えていった。


 マーチは少し息を吐く。手がかりだったかもしれない。でも、そうじゃなかったかもしれない。


 残されたマーチは元町通へと歩を進めた。最近ではこの流れが通常となっていた。十七時から十八時の間は、多くの人が街へと流れだす時間帯だった。倉図が大学生であるにせよ、社会人であるにせよ、この時間に外を歩いている可能性が高いと彼女は踏んだ。それならば、多くの人が集まる場所に赴こうとするのは当然の思考だった。


 マーチは元町通りに面した一つの喫茶店に入る。オレンジジュースを一つ注文し、窓際の席に座った。ここから人通りを眺めることが、もはや日課となっていた。ぼーっとしながら、流れる人々の顔に目を向ける。多くが黒髪で、魔法世界の人たちとは違うのだと認識する。だからといって、彼女に不安が生まれることはもう無くなっていた。


 一時間はあっという間だった。今日も特に何の収穫もなく席を立つ。店員に一言お礼を投げ、自宅へと足を向けた。


(なかなか見つからないなあ)


 何一つ進展のないまま時間が過ぎていくことに多少のもどかしさを感じていた。しかし、こちらの世界にきてからまだ二遊間と少ししか経っていない。そんなものだと自分に言い聞かせながら、玄関のドアを開ける。


「おかえりー」


 佐知はキッチンから顔だけ覗かせて声をかけた。


「ただいま」

「浮かない顔ね」

「浮かない顔です」


 マーチはソファーへと倒れ込む。何一つ探す手がかりを掴めず、どうしていいか分からない状態がストレスを増幅させる。


「まあまあ。焦らず焦らず」


 マーチを励ますように佐知は笑顔を作った。いつも通りに食事をテーブルへと並べる。


人を探すには様々な手段がある。警察に聞いてみたり、探偵に依頼したり、チラシを配るという手もあるだろう。しかし、マーチにとってそれはどれも最終手段だった。


あくまでも自分だけの力で。


 芯に黙って来ている以上、事を無駄に荒げたくは無かった。


だから考える。この近辺に芯が居るであろうことは間違い無いはずだった。どのような生活を送っているのか。どの時間帯に行動しているのか。交友関係はどのようなのか。何か一つだけでも手がかりが欲しかった。


「必死になるのも分かるけど、信号はちゃんと見ないとダメよ?」

「信号?」


 食事をしながら佐知は他愛も無い話しをする。


「今日ね、帰りに男の子がぼーっとしながら歩いてたのよ。なんとか止められたけど危なかったんだから」

「その子も何か考えてたのかな」

「そうかもねえ」


 マーチは佐知の作った味噌汁を口にした。口当たりの優しい、ホッとする味だった。先が見えたわけではない。それでも、どこか励まされたような、まだ大丈夫だと背中を押されたようなそんな気分にさせられる。そんな料理だった。


「まだそんなに経ってないもんね。もう少し頑張ってみる」

「そうね。でもまあ……、適度にね」


 佐知の表情は少しだけ寂しそうにも見えた。それはマーチを気遣ってくれていることの証明のようにも見えた。芯を探すことはマーチ自身だけの問題のはずだった。それでも、いつの間にか巻き込んでいるのだと彼女は気づく。倉図芯という名前すら出していない。一緒に探してくれと頼んだわけでもない。それでも、佐知に心配をかけているのだとマーチは思う。


「ありがとう。……、美味しいわね。相変わらず」


 舌に乗る正直な感想だけが言葉に漏れる。詳しい事情は佐知にすら話していない。話せない。それでも、彼女の心配する気持ちは伝わる。伝わってしまう。


 佐知の作った生姜焼きを口に入れる。甘辛い絶妙な痺れが舌を伝い、脳に歓喜の信号を送る。


「本当に美味しい」

「ありがとう」


 顔がほころぶのをマーチは抑えきれなかった。どんな状況でも、何一つ先が見えていない状況でも、ただただ口にする食事が美味しいというただそれだけで、口元は緩むのだと彼女は知った。

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