2-2 side 倉図芯 見渡佐知
「なんだクズ。最近はすぐ帰らないな」
放課後の教室の中で黒崎が芯に声をかけた。芯は少し前まではホームルームが終わると一目散に教室を飛び出していた。しかし白峯神社に行かなくなった今、その理由も意気込みも無くなっていた。
「いや、もう帰るよ」
「まてまて。そう逃げるなって」
席を立ち、出ていこうとした芯の肩を黒崎が掴んだ。
「暇なんだろ?お使い頼まれてくれない?なんかジュース買って来いよ」
お使いじゃなくてパシリだろ。心の中で反論をしながらも、芯はそれを口に出さなかった。
「お前らは何がいい?」
黒崎は首を後ろに回し、座っていた砂田と浜井に問いかける。
「俺三ツ矢サイダー」
「コーヒー」
二人は黒崎に向けて返事をする。買ってくるのは芯にも関わらず、彼には全く目を向けなかった。
「だとさ。十分以内な」
それだけ言うと黒崎は芯の背中を軽くたたき、談笑していた砂田らの元へと戻っていく。小さなため息を一つつき、彼は教室を後にした。
近くのコンビニで買い物を終え、再び学校へと向かう。僕は何をしているのだろうか。そんな疑問が心の中で浮き上がるが、すぐに沈んでいく。良いように使われ、嫌な思いばかりをする学校生活を過ごしている。それなのに、現状を何とかしたいという強い意志が湧いてこなかった。ただただ流されることが楽に感じてしまっていた。
この気持ちの原因は、やっぱりユメの事だろうと芯には容易に想像できた。ついこの間までは白峯神社で彼女と話す時間があった。その空間だけが自分の存在を認めてくれるようで、一日で唯一必要と思える時間だった。それがなくなった今、全てがどうでも良くなっていた。黒崎たちに苛められようが、そうでなかろうが、あの時間は帰ってこない。そんな自暴自棄とも言える心境が、現状に抵抗する意思を削ぎ落していた。
教室のドアを開ける。三年一組には未だ数人の生徒が残っており、各々が自由な時間を過ごしていた。芯はその中の三人組の元へと歩み寄る。
「おう。やっときたかあ」
芯を視界に入れた浜井が声を上げた。芯は手に下げた袋を彼らの中心にある机へと置く。浜井は直ぐに袋の中を漁り、目当ての飲み物を取り出していた。
芯は一言も声を発さず、彼らに背を向ける。特に話す必要も無ければ、話したいとも思わなかった。むしろ何か声をかけられる前にここを去ることが現状の中ではより良い選択だと思った。先ほど入ってきたばかりのドアを再び開ける。外に一歩踏み出そうとした瞬間に後ろから声が聞こえた。
「サンキュー」
芯はつい振り向いてしまう。その声の主は砂田だった。チラリとこちらに目を向けていた。ほんの数秒だけ目が合うと、彼はまた黒崎たちへと目線を戻した。芯は少しの間だけ茫然と立ちつくしたが、すぐ我に返ると教室の外へと足を出した。
まだ日の光は強く人々を照らしていた。芯は一定のペースを崩さずに歩を進める。意識は足から遠ざかり、先ほど聞いた砂田の言葉へと向けられていた。
また、気まぐれだろうか。空を仰ぐその頭の中は疑問で埋め尽くされる。どれだけ考えても、考えても、納得のいく答えは見つかる訳もなく順調に家までの道のりは短くなっていく。
芯の目は前を向いていたが、考え事をしていたために視界に入る映像は脳にまで届いてはいなかった。目前の小さな横断歩道へと歩を進める。
「何してるの!」
女性の鋭い声が仕事を放棄していた脳を揺らし、ハッと我に返る。芯の右腕は綺麗で細い腕に掴まれ、体が前に進もうとするのを防いでいた。大型のトラックが猛スピードで鼻先を横切り、そこでやっと信号が赤になっていることに気が付いた。芯は背筋を凍らせ、ゆっくりと振り向く。
「危ないじゃないの」
芯の目を直視しながら彼女はホッと胸を撫でおろしたような声を漏らした。三十歳すぎだろうか。肩まで伸びた髪が少しだけ揺れる。白いハリのあるシャツの上に着たカーディガンが彼女の柔らかさを醸し出していた。
「すみません。ありがとうございます」
少しの気恥ずかしさを胸に芯は彼女に謝った。
「こんな所でぼーっとしちゃだめよ。そんな気分の日もあるだろうけど、河原とか車が来ない所じゃないと。……いや、河原も微妙か」
何かを思い出すように目線を上へ向けながら、彼女は芯を掴んでいた手を離した。
「お姉さんは買い物帰りですか?」
芯は彼女に右手にぶら下がったスーパーの袋に目を向けて問う。
「そうよ。君は学校帰りみたいね」
車の往来が止まり、歩行者側の信号が青に変わる。進行方向が同じ二人は自然と横に並んで歩きだした。
「君は高校生かな。名前は?」
「今は高校三年生で倉図といいます。お姉さんのお名前は?」
「倉図くんね。私は
彼女は笑顔で返す。
「見渡さん、荷物持ちますよ」
「あら、ありがとう。じゃあお言葉に甘えるわ」
芯は彼女の右手に下がっていた袋を自分の左手へと移す。見た目から想像出来ていたが、ズシリと大きな重さを感じた。
見渡は重さから解放された腕を頭上に上げ、大きく伸びをする。
「結構重たいですね。何人分ですかこれ」
「二人分よ。同居人がしっかり食べてくれるからね」
彼女は楽しそうな表情を芯へと向けた。その笑顔には人を引き込ませるような魅力があり、芯は思わず見つめてしまう。
「どうしたの?重たかったら言ってね」
「ああ、いや。大丈夫です」
恥ずかしさが彼女を見ていたい気持ちを上回り、芯は慌てて前を向く。
「倉図くんは部活帰りか何か?」
「いえ、特に部活には入っていないです」
「そうなんだ。じゃあ、友達と遊んだ帰りかな」
何気ない彼女の問いに、芯は言葉を詰まらせる。そうだったなら、どれだけ良いか。そんな思いを募らせながら彼は言葉を漏らした。
「……まあ、そんなところです」
見渡は芯の顔を覗きこむように見た。その表情に何かを悟ったのか、彼女は少し口を引き結んだ。
「そっか」
気づけば日はゆっくりと傾き始め、街の色は徐々に暖色へと染まりつつあった。二人の間に漂う沈黙は思いのほか気まずさは運んでこなかった。
時折、他愛もない話を少しだけしながら、帰りの道は徐々に短くなっていく。大通りをまたぐ歩道橋を越えた後、十字路に差し掛かったところで見渡は足を止めた。
「荷物持ってくれてありがとう。私、こっちだから」
彼女は芯に向けて、右側に指をさす。
「あの、ありがとうございました」
「もう危ない所で気を抜いたりしたらだめよ?」
見渡は先ほど指し示した方へと足を向ける。しかし、一歩踏み出す前に何かを思い出したかのように、首だけ振り向いた。
「それと、喧嘩は悪いことじゃないわよ。そのまま放っておくのがダメな事だと思うわ。余計なお話かもしれないけれど」
彼女は再び前を向き、今度は振り返ることなく真っ直ぐに歩いて行った。倉図はその背中を少しの間だけ見ていたが、すぐに自分も帰り道へとついた。
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