1-15 side ファルシルアン・マーチ 異世界で根を張って

「疲れた……」


 川沿いの道を歩きながらマーチは一人ごちる。コンビニで働いた時間は四時間ほどだった。それでも経験のないマーチは体力と精神を消費していた。


「なんで源素の一つも混じってないのかしら。勘弁してよ……」


 ふらふらとした足取りのままで川沿いを進んでいく。時刻は午後五時半だった。夕方に差し掛かり、皆が家路につく。マーチの横を自転車が追い抜いて行った。かごに入っていたスーパーの袋には今日の夕食に使われるであろう、白菜やネギがチラリと見えた。


 ぐぅー。


 忘れていた空腹を彼女に思い出させるかのように、胃が悲鳴を上げる。マーチは今日の晩御飯を想像し、口の中が痺れた。


「よっし、早く帰ろう」


 玄関のドアを開ける。ついさきほどまで大きな疲労を全身に感じていたはずだったのに、部屋の空気を吸った途端に気持ちは高揚し体は休息モードへと移行した。


「疲れたああー」

「ふふ。お疲れ様」


 佐知はソファーに座りながら彼女に声をかけた。それに導かれるようにして、マーチは佐知の隣へと転がり込む。


「どうだった、アルバイトは?」

「どうもこうも、大変。疲労困憊よ。初めて経験することばかりで、何をやるにも精神力も体力も使うし、頭では分かっていても上手くできないもどかしさが辛いわ」


 疲れの影響か、マーチの佐知に対する口調は砕けていた。しかし、そのことに一遍の違和感も覚えなかったのは彼女らの距離が既に近くなっていた事に起因していた。それは当然、佐知の側も同じで、マーチの言葉遣いに敬語が消えていたことに気づく事も無かった。


「最初は誰でもそんなものよ。慣れてくると楽になるわ。頑張って」

「そんなものかー」

「待ってて。すぐ晩御飯作るから」


 そういって佐知はキッチンへと向かった。二十分ほども立つと、リビングに香ばしいにおいが漂ってくる。胃をくすぐるその香りにマーチは居てもたってもいられなくなった。ソファーから腰を上げ、キッチンへと顔を覗かせる。


「何を作ってるの?」

「ハンバーグよ。ほら、出来た」


 佐知はお手製のデミグラスソースをかけ、お皿へと盛りつけた。綺麗な楕円形の肉が熱そうに湯気を漂わせていた。


「持っていくわ!」


 嬉々とした表情でマーチは二人分のお皿を運ぶ。佐知はご飯を茶碗によそい、テーブルへと並べた。


「美味しすぎて涙が出そう」

「さすがに、オーバーすぎない?」


 お皿の上に食べ物が無くなるのは、まさにあっと言う間だった。舌の上に乗せられた、痺れるような旨味が頬の筋肉を痙攣させる。マーチは一目散にハンバーグを胃の中に落とし込み、体の細胞は我先にとエネルギーを吸収した。


「凄いわね……」


 佐知は彼女の食べっぷりに少しだけ呆れ、笑顔になる。


「ごちそうさまでした」

「お腹いっぱいになった?」

「もう大満足。本当においしいかった」

「それは良かった」


 佐知も食べ終わると、後片付けはマーチが行った。お皿の汚れを洗剤で落とし、布巾で拭き終わると、二人分の麦茶を用意した。


「あら、ありがとう」

「佐知さんは明日からは仕事?」

「えぇ。月曜日だからね。帰りは六時頃だから、まーちゃんとそんなに変わらないわ」

「そう」


 マーチは少し考え事をしているかのように、目線を宙に漂わせていた。


「何かあるの?」

「えっと、その、芯をもっと探そうかなって」

「あら、いいじゃない。それならバイトは休みも取らないとね」

「うん。でも……やっぱり働きながら探したい。せっかく紹介してもらったし」

「なるほど、そうね。でも、最低でも週に二日は休みを貰いなさい。もっと欲しくなったらその都度、美恵に言えばいいわ」


 結局、マーチは佐知と同様に土日に休みを貰うことにした。芯を探すにあたって、平日の昼間に動いた所で、出会える可能性は低いと考えたからだった。


「平日は五時から少しだけ探してみるわ。芯も働いていたら同じ時間くらいに帰っているかもしれないし」

「それもそうね。大学生だとしても、そのくらいに授業が終わるんじゃないかしら?」

「よし。それじゃあ、明日から頑張る」

「ええ、頑張って」


 まだ何の手がかりも目星も付けられていない状況ではあったが、少しずつ確かに進んでいる感触がマーチにはあった。今までとは違う世界で根を張り、芯に会う事が出来るという根拠のない確信が生まれ、彼女の心の中にあった不安の種は既にもう無くなっていた。


 そうして、早くも二週間が経った。

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