1-13 side 倉図芯 繋がった場所

 担任の樫月先生が教室から出ていくと、教室の中はいつも通りに騒がしくなる。つい先ほどまでの授業中とは打って変わって、放課後という時間帯になるだけで満たす空気は色を帯び、大半の人にとっては居心地の良い空間へと早変わりする。


 芯は未だ昼の出来事を考えていた。黒崎が芯に突っかかってくるのはいつものことで、それを砂田も知っている。しかし、今まではそれを止めるなんてことは無かった。それなのにどうして今日に限って。


 生徒が拘束される時間は終わり、各々が席を立っていたが砂田はまだ自分の席に座っていた。黒崎と浜井は教室の中には見当たらず、少しだけホッとする。思い返せば、あの三人の中で難癖をつけてくるのは圧倒的に二人が多い。砂田は直接的に苛めをしてくることは少ないように思えた。しかし、あの三人の中で立場をつけるならば砂田が一番上だった。彼の発言に二人は大抵のことは従う。昼の時も、砂田が止めたから黒崎は引き下がったのだろう。


 芯は席を立ちあがり、砂田の元へ行こうかと少しだけ逡巡する。しかしその足は結局彼の元へ向かうことは無く、ドアの方へと動かされた。


(どうせただの気まぐれだろう。助ける理由なんて無いし、今までだって黙って見ていたんだ。それにあの見下すかの様な目。絶対に僕を嫌っている)


 砂田と会話をしようとしない理由を心の中で生み出し正当化する。重い足取りは教室から離れるにつれ次第に軽くなっていく。階段を降り、靴を履き替える頃には考えはどこか遠くに霞み、早く白峯神社に行きたい、ユメと話がしたいという思いが増していた。


 校門から外に出ようかという時、不意に右肩を掴まれ、芯は咄嗟に振り返る。目の前には黒崎と浜井の二人が立っていた。


「おい、ちょっと来いよ」


 二人の顔には気味の悪い笑みが浮かび、芯の背筋を冷たくさせる。足は凍り付いたように地面に張り付き、小刻みに震えを持ち始めた。


 芯は駐輪場の隅まで連れてこられた。校舎の入口から遠く離れているため、わざわざここに自転車を止める人は少なく、先生たちもそれを分かっているからか不必要な物置と化していた。申し訳程度のトタン屋根が付いており、日当たりも悪いために、太陽が出ていることが疑わしく思えてしまう。


「昼は砂田が止めてくれてよかったなあ。あいつ気分屋だから」


 黒崎は両の手をポケットに突っ込み芯を見下ろしていた。笑いを含んだその言葉に芯の目線は下がる。彼らの足元を見つめ、襲ってくる恐怖を手の中に握りしめようとする。


「お前みたいな奴がなあ、俺らに歯向かうじゃねえよお」


 横に居た浜井が芯の肩を強く押す。一歩後ずさるが、倒れてしまうほどではなかった。


「何も言わねえの?さっきは抵抗したのになあ!」


 黒崎はポケットから右手を取り出し、左足を一歩前に踏み出すと芯の腹を殴りつけた。その勢いには踏みとどまれず、しりもちを付いてしまう。胃に大きな衝撃が走り、痛さと共に大きな吐き気が襲ってくる。


 芯は涙目になりながら、腹をさすり立ち上がろうとするが、次は浜井の足が右肩に直撃した。思い切り地面にたたきつけられる形になり後頭部とコンクリートが接触する。視界には所々黒ずんだ屋根が映り、揺れる。腹の痛みと頭の痛み、定まらない視界に自分の居場所の認識が不安定になった。


「へへっ」


 倒れていた芯の胸倉を黒崎につかまれ、無理矢理に上半身を起こされる。振りかぶった彼の右手がチラリと見えたが、すぐにその場面は切り替わった。左頬の痛みと口の中に広がる少し苦い血の味で、殴られたのだと気がつく。握りしめていた拳はいつの間にかだらりと開かれ、恐怖を閉じ込める事さえできなくなっていた。


「抵抗してみろよ、なあ!」


 黒崎は両の手で芯の制服を掴み、思い切り投げ飛ばした。近くに置かれた古臭い教卓にぶつかり、背中の所々が痛みの信号を脳に伝える。痛みと恐怖。その二つが彼の全身を支配していく。


魔法世界での体験と比べれば、こんなものは大した怖さでも痛みでもないはずだった。それでも、今の芯にとってこの世界に居ることが全てだった。比べたからと言って現状が改善する訳ではない。痛みが和らぐわけでも、恐怖が消えるわけでもない。殴られればその分痛みを感じ、凄まれれば恐怖を受ける。彼が居るのはもう魔法世界ではない。


芯はいつの間にか自分の頬に涙が伝っているのを感じた。痛み、恐怖、悔しさから来る涙だった。


(魔法世界で活躍した所で何の意味も無かった。何の影響も自分に及ぼしていなかった)


「こんなもんで泣くのかよお」


 浜井が芯の左頬を殴りつける。彼は背中を教卓に預けたまま、立ち上がろうとする気力すらなくなっていた。早く終わってくれ。ただただその思いだけが芯の心の中を一杯にし、現状を茫然と見ているだけだった。


 どのくらいたっただろうか。どのくらい殴られたのだろうか。全身に響く痛みだけが、今の状態を知らせ、芯の意思を低下させる。痛みで意識が飛べば良い、そんな願いはかなわず自分を見下し続ける黒崎と浜井の目が視界に入り続けた。抗う力はなく、倒されたなら掴まれ、起こされるまでずっと横たわっていた。立て続けの暴力も次第に勢いは弱まる。黒崎と浜井は肩で息をしながら笑っていた。


「ほんと吐き気がするぜ、お前見てると」


 黒崎は横たわっていた芯に向けてつばを吐いた。大きな不快感が芯を襲うが、それが暴力の終わりだと暗に示していることを察し、静かに胸をなでおろす。すると彼らの後ろから声が響き、黒崎と浜井はにやけた顔を芯から逸らした。


「お前たちそんなところにいたのか」


 二人の間から砂田が顔を出した。その鋭い目で倒れている芯を一瞥する。


「おう砂田。お前もコイツで憂さ晴らしでもするか?」

「いや、いい。こんなヤツどうでもいい」


 感情の無い、冷静な物言いは聞く人の心を抉る。ましてやそれを向けられる人間となれば尚更だった。


(なんなんだよ。僕が何をしたって言うんだ)


 全身が痛みで悲鳴を上げていた。しかしそれよりも、心の底から湧き上がる痛みの方が大きかった。ここまで言われて、それでも声が出てこない悲しさの方が大きかった。


「もう帰るぞ」


 砂田は芯に背を向け歩いていく。それにつられ、黒崎と浜井もまた日の指さない薄暗い駐輪場を後にした。


 訪れた静寂の中で、彼は大の字で寝転がったまま動かずにいた。起き上がろうとするといくつもの殴られた箇所が鋭く痛む。少しの間このままで痛みが和らぐのを待っていた。


 数分もすればある程度は動けるようになった。上半身を起こし、顔に手を当てる。口の端から流れていた血が固まりかけていた。


 先ほどの砂田の態度を思い返す。人を見下したような目。あからさまに相手を嫌っている目をしていた。


 芯は立ち上がり、制服についた汚れを叩き落とす。薄暗い駐輪場から一歩外に出ると、空は青くまだまだ太陽はしっかりと仕事をこなしていた。近くに投げられていた自分のカバンを拾い、学校を後にした。


 すれ違う人々が自分とは違う世界の生き物の様に感じられる。目的地に向かって闊歩するサラリーマン、道行く人に笑顔でティッシュを配るバイトの女性、仲良く手を繋ぎあっている制服を着た男女。誰もが芯を視界に入れず、ここに自分が存在している理由が分からなくなってくる。


 気がつくと芯の目からは涙が流れていた。鼻の形に沿うように口元まで到達する。直ぐにそれを手で拭い、息を大きく吸い込む。しかし、溢れる想いと涙はそう簡単に止まることは無かった。


(魔法世界では勇敢に戦えたはずじゃなかったのか。僕はライントラフを救えたんじゃなかったのか。どうして、今の僕はこんなにも弱いのだろうか)


 芯は自分のみじめさに目線が上げられなくなる。魔法世界での生活を思い返してもそれが本当にあったことなのかどうかが疑わしくなってくる。今いる世界の住人で、芯の経験を証明してくれる人はいない。


 やりきれない思いが芯の心の中で渦を巻いた。ちょっとした周りの雑踏が煩わしく感じてしまう。世界が自分一人だったらどれだけ楽だろうか。そんな有り得もしない妄想に逃げ込み、耳から、目からの情報を遮断する。


 芯は白峯神社に来ていた。砂田たちからのイジメから目を背け、何も考えないで歩いた先は彼が願う世界への道を作った場所だった。

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