1-12 side 倉図芯 気まぐれ?

 芯がカバンを片手に白峯神社へと足を踏み入れると、足元にモモが駆け寄ってくる。腰をかがめ頭を撫でてやろうとすると、すぐに踵をかえし、敷地の奥の方へと歩いて行った。撫でなくていいから早く来いと言われているようだった。


「芯お兄ちゃん遅いー」


 縁側に腰掛けていたユメは芯を認めると不満の声を漏らした。しかし、その言葉とは違って表情は朗らかで楽しそうな様子が見て取れた。


「ごめんごめん。少し、学校で用事がね」


 そう言いながら、芯はユメの横へと腰を下ろす。モモは既にユメの膝の上を陣取り、ゆっくりと欠伸をすると自分は興味ないというように静かに瞼を閉じた。


「それで、どこまで話したっけ」

「魔犬を倒したところ!」

「ああ、そうだった。その後はね、とりあえずライントラフに帰ったんだけど……」


 昨日と変わらない晴天で、境内には二人と一匹しかいなかった。木漏れ日の指す神社の縁側に座り、芯は魔法世界での話を続ける。ユメはその物語に興奮し、恐怖し、憧れを抱いて耳を傾けた。


 外にも関わらず、声は反響でもしているかのように鮮明で、芯は自分の口から言葉がでていることが疑わしくなる。どこか第三者のような立ち位置で話しを聞いている気分になっていた。それほどにこの空間が彼にとっては特異的で、心地の良さを感じさせた。学校の中とは明らかに違う、時間の流れが遅くなってほしいと切実に願う空間だった。


 何が違うのだろう。芯の口はユメに語ることを止めないままで、第三者の自分は別の事を考えていた。黒崎達が居ない事だろうか。教室という密閉された空間に居ない事だろうか。ユメが居る事だろうか。


 芯はふと目の前の女の子を覗き見る。その目は純粋で、透き通っていて、いつまでも見つめていたくなるような魅惑さを帯びていた。


「……どうしたの?」


 そこで、芯は自分の口がいつの間にか止まっていたことに気が付いた。


「……えっと、それでね」


 意識を一人称に戻し、再び口を開く。この充実した時間を無駄にしないためにも、ユメの興味を切らさないように気を付ける。そんな中でも、そんな中だからこそ、彼は教室内の自分とを比較してしまった。話をしながら、今日の放課後の様子が脳裏に浮かびあがる。






 今日もまたいつも通りに一人で食事を取った。学校にいるこの時間だけは安らかで楽しい時間だと思える。しかし、そんな時の体感時間は非常に速くなるものだった。あっという間にお弁当を食べ終えると、重い足取りを動かし教室へと向かう。


 後ろ側の扉を開けると、賑やかな明るい声が飛び込んでくる。皆が皆その表情は笑顔ばかりで、みるからに楽しそうにしている。その中で芯の目線だけは斜め下を向き、この輪の中に入れないでいた。


 床を見ながら歩いていたからか、自分の机が目の前に現れてやっと倉図は状況に気がつく。彼の机の上や中、椅子の上まで紙屑やごみで一杯だった。どこかで配っていたのだろう店のチラシや何かをふき取った後のティッシュ。インクが無くなっているペンもあった。それを直視して少しだけ動きが止まる。周りを見なくても、黒崎がこちらを見て笑っているのだろうことが容易に想像できた。


一体、何が楽しいのだろう。胸の奥から湧き上がってくる感情は怒りよりも呆れや不可解といったものだった。こういうことを何度もされてしまい、感情の高ぶりなんかが無駄なエネルギーの消費だと、認識してしまった結果だった。つまりは、慣れてしまったのだ。


 芯は小さくため息をつき、片付けを始める。当然、彼にとっても要らない物ばかりだから、ひとまとめに持てるだけもって隅に設置してあるごみ箱に入れる。三往復もすればあっと言う間に綺麗になった。


 やっと姿を現した自分の席へと座り、一息を付いた。右の肘を支点にして手のひらに顎を乗せる。窓の外を眺め、周りの雑音を無視し一人の空間へと入っていく。しかし、教室という人と共有する場所に居る以上、そんな時間はほぼ無い。後ろから声を掛けられた。この教室で芯を呼ぶ相手と言えば、大半が決まっていた。


「おい、俺のプリントどこやった?」


 黒崎は缶ジュースを片手に芯を見下ろす。


「えっ。知らないよ」

「知らないわけないだろ。お前の机の上に置いといたんだよ」


 威圧するように黒崎は机を蹴る。ガンッと音が響き、まるで机が後ずさったかのように黒崎から少しだけ離れる。


「で、でも。しらないプリントが一杯あったから……」


 机の上に置いていた自分の手を見つめながら、ボソリと返答をする。


「はあ?必要なんだよ。ごみ箱から出して来いよ!」


 座っていた芯は腕を掴まれ、無理矢理に引っ張り上げられた。黒崎の表情を見るに、そのプリントが本当に必要ではない事は直ぐに分かった。ただこのやり取りをしたいがために、芯の机周りをゴミだらけにしていたことにも気がついた。だからといって、反抗できるかと言えばそれはまた別の話だった。


 拳を振り上げることは叶わない。それでもその思いは消えない。か細い腕に込められるだけの力が入り、筋肉が引き締まる。自分で分かるその頼りなさに、呆れた笑いが出そうになった。芯はごみ箱へと手を伸ばし、黒崎のプリントを探そうとする。こんなごみの山の中で見つかるわけがない。黒崎もそう思っているだろう。




 なんて無駄なんだろうか。




 ふと、そんな言葉が頭をよぎる。唐突に浮かんだと思ったそれは、目の前でくしゃくしゃになっていたプリントに書かれていた。それはただ、高校生とは受験を意識するべきだというような内容のもので、時間を無駄にするなと書かれていただけだった。しかし、そんな他愛も無い文字が急に芯を支配していく。


向こうの世界だったなら、暇を持て余すような時間はなかった。何かをするために、何かに向かっていなければならなかった。それは特別な事ではなかったが、意外と難しかった。それでも、生きていけた。


 芯は手の動きを止め、黒崎に向き直る。


「なかった」


 今度は目を見ていった。


「はあ?」


 予期していなかった言葉に黒崎は目を細め、イラついた声色を見せる。


「黒崎君のプリントは見つからなかった」


 足は震えていた。心臓の音が激しく響き、教室中に聞こえているのではないかと芯は錯覚しそうになる。それでも、その一言が言えた。


「ふざけんなよ。探してねえだろ!」


 黒崎は右手に持っていた缶を芯へと投げつける。まだ中身の入っていたそれは、芯の制服を汚し、軽い音を立てながら床に転がった。その音を聞いたクラス中の視線が二人に集まり、静寂をもたらせる。


「お前、急に何?やっぱり国とやらを救った事がある人は強気でいられるもんなの?」


 黒崎は芯に詰め寄り、嘲笑を浮かべる。その目は明らかに相手を馬鹿にしており、立場の上下を明確に示した。


 芯は目の前に立っている黒崎と目が合う。命を脅かされるような相手ではない。しかし、そういった恐怖とは別の物だった。怖さは比較できるものではない。目線を外さない様にするくらいが精一杯で、何一つ言葉を返すことはできないでいた。


「黒崎、もう授業始まるから座れよ」


 誰もが黙って二人を見ていた教室の中で、一つの声が響いた。黒崎は振り返りその声の主へと目線を移す。


「砂田、だってむかつかねえか?コイツ調子のってるぞ」

「知らねえよ、めんどうくさい。無いって言ってるなら無いんだろ」


 砂田は自分の席に座ってスマートフォンを弄っていた。その手を止める様子もなく、黒崎に返事をする。


「チッ」


 芯の目の前で、怒りを直接ぶつけるかのような舌打ちをした後、黒崎は踵を返し自分の席へと向かった。


 それをきっかけに教室内は再び喧噪を取り戻していく。彼らのやり取りを話のタネにする者もいれば、何一つ関係のない会話へと自分たちの世界に入り込む者もいた。


 芯の足は未だ震えており、必要以上の力が入ってしまっていることを感じる。しかし、それよりも彼の脳の容量は今起きた事の処理で大忙しだった。


 助けてくれた?そんなばかな。


 背もたれに体重をあずけ、視線は手元に落としたままの砂田を横目に見る。チラと見える表情からは行動の理由を察することは出来ず、その場に立ち尽くしてしまった。


 ドアの開く音が耳に届き、芯は我に返ったかのように振り返る。


「ほら、お前ら席に着けよー」


 地理教師の元治先生が教卓の前に立つ。教室の中で散り散りになっていた生徒はその声に素直に従い、自分の席へと戻っていく。芯もまた例外ではなく、砂田の事が気になりながらも一先ずそれは頭の隅に追いやることにした。

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