1-5 side ファルシルアン・マーチ 異世界転移
「マーちゃん黒髪も似合うねー!」
ナトリアル・ルルは短い茶髪を揺らしながら高い声を上げる。昨日まで綺麗な金色だったマーチの髪は黒に染まっていた。活発な雰囲気から一転、落ち着いた女性へと見た目が変わっている。
「ありがとう、ルル」
大きな丸い目が細くなる。その笑顔はやはりマーチのもので、髪の色に左右されない柔らかさを纏っていた。
「しかし、どうして黒髪にする必要があるのですか?」
クルーシは口をへの字に曲げながら不満を口にする。
「シンがいる国は主に黒髪だそうよ。金髪は目立つでしょう?」
「いいじゃないですか、目立っても」
「だめよ。シンをびっくりさせたいし、注目集めたくないじゃない」
「せっかく綺麗なのに……」
本人の意思を聞いても未だ納得しないクルーシは一人ごちる。そんな様子を眺めながら、ヒロー・クニックはほのかに笑顔を浮かべた。
「それでは、マーチ様。準備は整いましたか」
落ち着いた低い彼の声が響いた。スーツ姿のクニックは70代という高齢にも関わらず、背筋が伸び、はつらつとした声から老いを感じさせない。オールバックに上げた髪の色だけが年相応の白色に染まっていた。
「大丈夫よ、クニック。少しの間、ライントラフをお願いね」
「承知いたしました」
クニックは腰を四十五度正確に折り、おじぎをする。
「あの、マーチ様。私も一緒に行くわけには……」
「だめよ」
クルーシの言葉をマーチはすぐに否定した。ダメ元で言ったものの、はっきりと拒否されると少し気分が落ちてしまう。
「来てほしくないと思っているわけじゃないのよ」
彼女の表情を悟ったのか、マーチは言葉を続ける。
「向こうの世界に移動するにはかなりの源素と体力、精神力を使うわ。帰りはシンも連れてくるつもりだし」
彼女は自分の左手に目を落とす。人差し指には紐で作られた指輪が二つ付けられていた。それはマーチ自身が作り出した魔術具だった。シンの世界に行って、また戻ってくるためにあらかじめ移動方法とポイント、源素の流れを記し紐状に形成している。そうしなければ、シンのいる世界では源素は存在しないために、帰還する方法が絶たれてしまうからだった。
「だから、クルーシを連れていく余裕は無いの。それに……」
マーチはうつむいているクルーシへと近づく。彼女の背が高いため、マーチは下から覗き込むようにして目を合わせた。右手を伸ばし、クルーシの頭を撫でた。
「信頼してるのよ、あなたを。ライントラフの戦隊長、エルマーニ・クルーシを。あなたがライントラフに居てくれれば、私は安心できる。ごめんね、わがままで」
「わ、わがままだなんてそんな、ことないです。今は国同士の戦いもほぼ無く平和ですし。それもシン様とマーチ様のおかげですから」
クルーシは少し照れながら言葉を返した。
「ありがとう」
マーチは笑顔を向け、心の底からの感謝を述べた。
「マーちゃん、そういえば言葉は通じるの?」
「あぁ、そうだった危ない危ない」
ルルの声にマーチははっとする。部屋の端に置いていた自分専用の杖を取り出した。
「
彼女が杖を掲げると、小さな光がぽつぽつと現れ、マーチの体を纏い、すぐに消えた。
「これで大丈夫」
そういうと杖を元の場所に戻し、代わりに本を手に取った。正確にはそれはノートであり、中には彼女の字がびっしりと埋められている。努力の結晶が胸の中で抱かれていた。
「それじゃあ、皆、行ってくるわね」
マーチは陣の中心に立ち、ルル、クルーシ、クニックに挨拶をする。心臓の鼓動が次第に大きくなり、緊張していることを自覚した。落ち着け、と自分に言い聞かせ息を大きく吸い込む。肺を内側から圧迫する空気が、なぜか心地よく感じた。
「手繰り寄せる、神の糸。手にして伝う意思、意識。現存する場に存在する。空間の隔たりは無い。辿る道筋、示される指針」
はっきりとした声がマーチの口から暗唱される。飛び出た言葉は重みをもっているかのように、強く反響していた。
「
持っていた本が強く光を帯びだした。それに呼応するかのように、彼女の足元に描かれていた陣もまた発光を始める。音は出ていないはずなのに、ズズズッ、という重たく響くような感覚をその場にいた全員が覚えた。
「みんな!!!」
光がさらに強くなり、マーチを覆い隠してしまう直前に彼女は声を出した。
「行ってくる!!!」
その声を最後に彼女の姿を三人は視認できなくなる。目を瞑ってしまうほどの光が部屋中を包んだ。数秒後にそれは次第に弱くなっていく。パタン、と小さく乾いた音がした。
床に描かれた複雑な陣の中心に人の姿はなく、代わりに分厚いノートだけが綺麗に閉じられた状態で落ちていた。クニックはそれを拾い上げ、ぽつりと一言だけ漏らした。
「いってらっしゃいませ」
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