1-4 side ファルシルアン・マーチ 動き始めたのは二年後

 窓から心地の良い日差しが差し込む。どこかから鳥の可愛い鳴き声も聞こえてくる穏やかな午後だった。ファルシルアン・マーチは自室の机の前で一心不乱にペンを走らせていた。カリカリという無機質な音が両端に高くそびえ立っている本棚へと吸い込まれていく。マーチはページの端まで書き終わると、ペンを置き、大きく息を吸い込んだ。


「……できた」


 本とも言うべきほどの分厚いノートを目の高さまで持ち上げ、自分の字をまじまじと見つめる。芯が自分の世界に戻ってから、2年の月日が経っていた。


 ベルヘイラと戦って以来、マーチの居るライントラフは実に平穏な日々を過ごしていた。戦いが全く無かったわけではない。しかし、自分たちから他国に攻め込むことは止めていた。


 コンコンと、小さくドアをノックする音が響いた。


「はい、どうぞ」

「失礼します」


 ドアの前に現れたのは一人の女性。腰まで伸びた長い髪は目立つ赤色をしていた。強気なその色を表しているかのように、目つきも鋭く、細身な女性ということを忘れてしまうかのような威厳を醸し出していた。


「また研究ですか、マーチ様」

「様付けは止めてって言ったでしょ、クルーシ」


 エルマーニ・クルーシは後ろ手に扉を閉め、部屋の中に入ってくる。


「では、マーチ隊長の方がよろしいですか?」

「何を言ってるの。今の隊長は貴方でしょう?」


 マーチはゆっくりした動作で、手元に置いていた紅茶を飲んだ。ほのかな香りが鼻孔をくすぐり、気分を高揚させる。


「役職はそうでも、マーチ様には未だ及びません」

「またまた」


 クルーシはマーチの傍まで近寄り、机を覗き込んだ。分厚いノートが閉じられ、周りにはペンや様々な資料本が雑多に積まれている。


「……研究は終了ですか?」

「うん。ついに、終わった」


 マーチは自分でも信じられないかのように、目の前のノートを凝視していた。

 

(どれだけ、時間を費やしただろう。どれだけ、願っただろう)


 彼女は目を閉じ、全身に降りかかる疲労を楽しんだ。この疲れこそが、達成した証明で、願いが叶った証なのだと実感する。


「どうやって、たどり着いたのですか?」

「聞いてくれるの?」


 マーチは満面の笑みを浮かべながらクルーシを見る。自分の努力の成果を聞いてくれることが嬉しくてたまらない様子だった。


「はい。教えてください」


 クルーシもまた、彼女の笑顔を見ることは嬉しかった。尊敬する相手が、これほどまでに堪らない表情を見せてくれることが嬉しかった。しかし、その感情とは逆に、寂しい気持ちもあった。マーチの研究が成功したということは、クルーシの目の前から彼女が消えてしまうことが確定したようなものだったから。


「きっかけは、ルルが行った引き寄せる動態物バインズケイルよ」

「芯様が現れたあの術式ですね」

「本来あれで呼ぼうとしたのは、不死鳥フィーニクスだったのよ」


 マーチは本棚から一冊の本を奥に押した。それがスイッチになっていたようで、その棚はスムーズに床下へと埋まっていき目の前に扉が現れる。


「そんな難しい召喚をしようとしていたのですか」

「チャレンジ精神があるからね、あの子は」


 扉を開くと、十畳程度の正方形の部屋が現れた。窓は無く、四方に下がったランタンだけが光源だった。床には大きな魔法陣が描かれており、様々な文字や図形が入り組んでいる。この部屋はシンが居なくなって以来、研究に使うからとマーチによって厳重に管理されていた。


「どうして召喚が上手くいかなかったのか。術式本ビブリブックは問題なかったわ。問題は陣の方だったの」


 マーチが足元に広がる魔法陣の一部を指さす。クルーシは屈みこんでその先を覗き込んだ。


「傷……ですか?」

「そう。床に小さな傷が二重に入っていたの。ルルがこの陣を書いている時にこけてしまったみたい。それで携帯していた短剣で傷をつけてしまったようね。それでもかまわずあの子は召喚を行った。だから上手くいかなかったのよ」

「あの子らしいというかなんというか……」


 クルーシは困ったように頭を抱えた。


「まあまあ。それで召喚を止めたらシンは現れなかったわけだし、そしたらベルヘイラに負けていたかもしれないんだから結果オーライよ」

「そうかもしれませんが」

「それでね、この傷が召喚対象や場所に影響を与えていたの。普通なら何も起こらず終わりなんだけど、奇跡的に対象物が見つかったのね」


 マーチは腕を組みながら、満足気な様子で語り続ける。


「そこから術式を紐解いたの。結果から過程を導き出すことをこの2年も続けたわ。結果は手元にあるのに辿り着けないもどかしさは流石に辛かったわね。」

「よく……頑張りました」


 それは本心から出た言葉だった。どれだけ絶望的でも時間がかかっても、誰もが止めようとしても、諦めないその心にクルーシは憧れていたし、尊敬していた。


「しかし原理が分かっても、向こうの世界に魔法は無いのでしょう?マーチ様を召喚してくれなければ行くことは出来ないのではないのですか?」

「ふっふっふ。私を誰だと思っているの?魔導級士フィルナンシの称号を得ているのよ」


 マーチはこの世界の中でも魔法の扱いに非常に長けていた。魔法を使用するにはそれに対する深い造詣が必要で、やり方を覚えればいいという物ではない。一つ一つの原理を理解し、空気中に漂う源素を操作することであらゆる魔法を使うことが可能になる。


 この世界において、フィルナンシの称号を与えられた魔法使いは十人もいない。マーチはその中の一人だった。


「シンがこの世界に来た時の糸を辿ったの。痕跡と言った方が良いかもしれないわね。この陣を元に、その痕跡を現時点に引っ張ってくる方法を見つけたわ。だから、後はこちら側から送り飛ばせばそれに沿って、シンのいる世界に辿り着けるってわけ」

「……難しくてよくわかりませんね。なんとなくのイメージはできますけど」

「イメージできるだけ優秀だと思うわ。私がどれだけ時間をかけたと思っているの」


 マーチは心の底から笑った。それにつられるようにクルーシも笑顔を返すが、そこには少なからず寂しさも混じってしまっていた。

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