銀色の心底
置田良
銀色の心底
窓の向こうには曇天が広がっていて、その内側には目をやると、ひび割れたコンクリートの壁が視界に映る。
病院というには潔癖さに欠けているけれど、これでもずいぶんとかつての人類を彷彿とさせる建物だ。
「
その部屋の片隅。ベッドに横たわる青年に言葉をかける。けれど彼は、うなされるように何事かを呟くばかりで、起きる気配はない。
「……失礼いたします」
彼に近づき、耳もとにそっと唇を寄せる。そして……「ジリリリリッ!」という目覚まし音を口から発した。
「うわぁ!」
「おはようございます。草間様」
「その起こし方止めてくださいって、前にもいいましたよね?」
「草間様に怪我を負わせるリスクが最も低い方法を、採用したまでです。何卒ご理解を」
人のそれの何倍もの重さを持つ、己の腕を持ち上げながら私はそう返した。単に重量があるというだけで、彼を傷つけてしまう可能性は増す。そしてそれは、私の基本設計に反する行いだ。
私の心底には「人間に危害を与えてはならない」という原則が刻み込まれている。
草間様は、じっと私を見つめていた。
私はアルゴリズムに従い、首を傾げるという動作を返す。
「……やっぱり、
「草間様は前日、前々日、さらに四日前と六日前に同様の発言を行っております。記憶力がない、もしくは柔軟性に欠けているかと存じます」
たとえその行動は、この世で唯一の人間としてコールドスリープから目を覚ました彼に優しく接したいという、私の願いに反するものであったとしても。
「この会話で随分時間を消費してしまいました。草間様、朝食を迅速に召し上がるべきです。――本日は、予定日ですので」
「……明日、僕は生きているのかな?」
「不確定要素が多数含まれるため、お答えいたしかねます。しかし、このままここに留まっている場合、半年後の生存率は限りなくゼロとなります」
彼は苦笑いをしながら、荒れ果てた街を見下ろした。
この青年は、千と数百年前に難病の治療のためにコールドスリープについた。十年ほどで目を覚ますことになるだろうと聞いていたという。けれど、実際に目を覚ましたのは、千年以上の時を経た数日前のこと。病はとうの昔に治っていたというのにも関わらず、だ。
人間同士の争いやポールシフト等々の理由によって、その総数を大きく減らしていた人類は、彼を始めとするコールドスリープ中の人間をバックアップとして保存する選択をしていた。
私は数百年前に彼を発見し、数日前まで設備を点検・修理をしつつコールドスリープを保持していた。今こうしてそれを解いているのも、装置の保守が限界に達し、解凍した方が彼が生存できる期間の期待値が増えるという数理的な判断に基づいている。
私の知る限りにおいて、人類は彼を除き滅びていた。
飲料型という味気ない食事を終えた彼が呟いた。
「正直、まだ夢を見ているような気分なんだけど」
「事実です。ご理解ください」
「……他の都市部には、まだ他の人が居る可能性があるんだよね?」
「はい。少なくともこの都市にまだ見ぬ人間がいる可能性よりは高いです」
「それって単にゼロパーセントではないというだけだよね?」
「私は嘘がつけませんので」
「……あと、街の外には化物がいるんだよね?」
「はい。草間様が眠りにつく前の時代を基準にするのなら、化物としか形容しようのない生物でしょう」
数瞬の沈黙ののち、彼は大きく息を吸い「よし、行こうか」と呟いた。
◇
返り血を洗浄しながら、野営を取る。
テントなどの道具や荷物あるいは武器は、私たちの後方二百メートルを追尾するよう設定した陸上ドローンに運ばせていた。
頭上では、夜が明るい日を選んで出発したため、ほぼ満月の月が煌めいている。
「僕が生きてたころは、星がこんなに綺麗に見えなかったよ」
「草間様、貴方は今も生きています」
「……なるほど、確かに」
彼は一本取られたと、照れくさそうに笑った。
未だデータは十分ではないけれど、この人は暗闇の中での方が表情が豊かなように思う。そのことを指摘すると、彼は頬を赤らめながら慌てる。
「そ、そんなこと……。や、というより、見えてるの?」
「はい。私には暗視機能も備わっておりますので」
「それ先に言ってよ……。恥ずかしい」
「何が恥ずかしいのか理解できません」
彼は首を振った後、誤魔化すように話題を変えたが、それは私にとって致命的なものだった。
「ところで日中、リンさんがバッタバッタとなぎ倒してた、あの変な六本足の生き物だけど……あれって、元々人間だったりするのかな?」
「…………なぜ、そう思うのですか?」
思考回路に警告音が響いた。
「どことなく特徴が、手と足と口っぽいものがあって、人間に似ているなあって思って。――リンさん!?」
――フェイタル・エラー!
――フェイタル・エラー!
――識別番号03は「人間に危害を与えてはならない」に違反した疑いがあります。
――事象判断を開始します。
――情報の収集が終了。データのアップロード処理を開始します。
――マザーサーバへの接続。レスポンスなし。ローカル環境での解決を図ります。
「リンさん!? 大丈夫ですか!?」
警報が鳴り響き大幅に機能が制限された状態で、けれど鮮明に、目の前の青年が心配そうに私を視界を埋めていることを理解した。手も、握られている。私には「温かい」という概念を理解することはできない。分かるのは、絶対零度を基準として分子の運動量を数値化したものだけだ。けれど、私はこの手を放したくないと思った。私は彼を守りたいと感じた。
――演算量増大。識別番号03はスリープ状態に移行し、演算に専念します。
視覚情報処理に当てられたリソースも、このエラーの対応に割り当てられた。ありとあらゆる機能がオフになってゆく。けれど私は、不思議と彼の手を握ったままであることを感じながら、夜を越えたのだった。
目を覚ますと、ちょうど再びあの化物が私たちに襲い掛かっているところであった。
腕に内蔵された刃で、化物の首を切り落とす。
「大丈夫ですか、草間様? ……寝てますね。スヤスヤと」
いたずら心が湧いて来て、口を彼の耳へと近づける。そして……「ジリリリリッ!」という目覚まし音を口から発した。
「うわぁ!」
「おはようございます。草間様」
「だからその起こし方……。あっ、もう大丈夫なのリンさん!?」
「ええ。ご心配をおかけしました。ですがもうこの通りです」
怪物の死骸を指さすと、彼は顔を青ざめさせた。
「昨日で慣れたつもりだったけど、朝からはキツイです……」
口を押さえながら、彼は答えた。
「なるほど。配慮が足らず申し訳ございません」
「それで、昨日のあれはなんだったんですか?」
「はい。一種のロジックエラーですね。もしもこの化物が人間であるとしたら、私の根源的ルールである『人間に危害を与えてはならない』に違反してしまうことになりますから」
「ええと、リンさんが大丈夫ってことはつまり、それは人間ではないってことでいいですよね?」
「…………さあ?」
彼は唖然とした顔をした。ああ、何だか面白い。
「その点に関しては、私は判断を保留しております」
「保留しているから今は動けている、と?」
「いえ。仮にこの化物が人間――ないし元人間だったと判断されるときが来たとしても、私は貴方の剣であり盾でありましょう。ルールというものは本来、ルールを守ることが大切なのではなく、そのルールが守ろうとしている対象をこそ守るべきなのです」
私は笑顔の表情を作りながらそう返した。すると彼は、顔を赤に染めながら目を逸らしてしまう。彼の顔は朝焼けよりも、更に濃い朱の色合い。
それを見て、また些細なエラーが生じてしまった。私はしばらく、この表情を元に戻すことができなかったのだ。
きっと私は壊れつつあるのだろう。それでも私は彼を守り、旅を続けて行く。彼を、守るために。
銀色の心底 置田良 @wasshii
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