第2話
「先輩、この飾りつけはこんな感じでいいんですか?」
「あっ、いいね。いい感じ。それじゃあ最後にこれ、お願いね」
了解でーすという私の間延びした返事に満足したのか、先輩はフフッと笑ってから自分の仕事に戻った。今はテーブルをせっせと拭いている。濡れたおしぼりで拭かれた机は天井からの照明を反射し、光沢を帯びていた。その輝き具合から、先輩の仕事の丁寧さが伺えた。
負けてられないなと思って、私は私で最後の仕事に取り掛かる。百均で売られている安っぽい金色のモールを壁に貼り付けて部屋を彩る。量が若干足りていないが、そこは間隔を上手く使うことで誤魔化していく。
よしよし順調だ。今日はセンスがキレている気がする。白い大きなキャンパスに自由な感性で自己表現する画家の気分だ。このモールで飾り終えれば私の仕事は終わり。竜に瞳を書き込む自分を夢想しながら、モールに両面テープを付ける。
よし、終わった。
時計を見ると時刻は一時半。パーティーの開始時刻は二時なので、まだ三十分近い余裕がある。
「飾り付け、終わりましたよー」
「ありがとー。さっき安藤君から連絡あって、十分ちょっとでこっちにつくらしいよ」
「チキン無事に受け取れたんですね」
「よかったよ。私の方も終わったし、無事に始められそうだね、誕生日会」
「まあ、藤崎のためにここまで用意したっていうのが少し癪ですけどね」
「何でよー。……彼、喜んでくれるかな?」
「ここまで歓待してやってそんな喜ばないとかだったら、鉄拳制裁ですけどね」
「過激だねー。まあうん、今は彼が素直に喜んでくれることを信じようかな」
「はい。それがいいと思います」
私が笑顔でそう言うと、先輩も緊張しながらも口元には笑みを浮かべていた。不安は抜けきらないが、それでも少し心に余裕ができたらしい。
うん、こっちの方が私は好きだな。
「あっ、それじゃあ私ちょっとコンビニ行ってくるね。お菓子買ってこないと」
思い出したように、今気づいたように先輩はそう言ってそそくさと外に出るための身支度を整え始めた。財布やスマホをポーチバックに詰めて、何やら上に羽織るためのものを探しているようである。
どうしたどうしたと思いながら質問する。
お菓子を買う?
いや、でも
「お菓子買うって言っても、多分安藤さんが相当持ってきますよ。あの人家に置いてある秘蔵コレクションまで今日は持ってくるって言ってましたから」
お菓子における秘蔵って何なのろうか?ワインじゃあるまいし、ビンテージものとか以前に賞味期限切れでもう食えなくなってるだろ、それ。
「あぁ……まあ…そうなんだけど…。ほらっ!安藤君が持ってくるのってポテトチップスとか、おつまみとかそういうしょっぱい系ばっかりでしょ。だから、チョコとかそういう甘い系をいくつか用意しといた方がいいのかなあって」
「ああ、それは確かに言えてますね。あの人基本的にお酒と一緒に楽しめるものが好きですから」
「でしょっ!だからバランスとるためにもあった方がいいかと思って」
「……そういうことなら分かりました。でも、だったら私が行ってきてもいいんですよ。気心知れた後輩とはいえ、家に他人が一人でいるって何となく気味悪くないですか。私が言うのも何ですけど」
「それは本当に何だけどね…。でもまあ、みゆきちゃんなら信用できるし大丈夫かな。別にすごい遠出するってわけでもないから」
「はあ、まあそう言うなら私は構いませんけど」
「うん、じゃあごめんだけど少しの間お留守番お願いね」
「了解しました!」
いってらっしゃーいという私の間延びした声に先輩はフフッと笑いながら、「行ってきます」と応じて出ていった。ドアから出ていって見えなくなるその時までずっと、私は先輩に手を振り続けていた。
先輩は本当にいい人だなあ。優しくて、気配りができて、大人っぽくて、素敵な人だなあ。
バタンとドアが閉まる音がすると、空気がスッと引き締まったような気がした。この空間に今自分は一人であるという感覚が、身体に影響を与えるほどに強く感じられる。
「全く、どうして藤崎はこうも多くの人に愛されているのかね…」
だからだろうか、呟くように、漏れ出るように、口をついて言葉が吐き出された。その声音に、自分でも驚く。
それは醜いほどの嫉妬と羨望の音。私の中の、藤崎に対する黒い感情。
先輩が出ていってくれて良かった。こんな私を、あの人に見られたくない。あの人に、見せたくはない。
落ち着くために飾り付けを終えた部屋まで戻る。深呼吸をしてから、部屋の中央に立ってグルグルと回る。
グルグルグルグルグルグルグルグル。三半器官が揺すられて、視界が揺らぐ。その揺らめく視界の中で、つい先刻の私が貼り付けた装飾品を捉える。
色の強い安っぽいモール、カラフルに見えて原色ばかりの色付き風船、そして毒々しい派手さを放つカラーボール。
そのパーティー会場彩りグッズの数々の中に溶け込む、実際溶け込めておらずかなり異色を放っている、横に長い一枚の紙と、その紙に描かれた黒い線。
祝成人 藤崎
自称書道歴十年を豪語する安藤さんによって書かれた文字は達筆で、その達筆さが逆にチープな百均のグッズたちとの調和において大幅に足を引っ張っていた。何といえばいいのか、一つだけ極道系のオーラを放っていた。
その文字の迫力に押されるようにして、平衡感覚を失った下半身から倒れて床にうつぶせになる。床を通してキッチンの方から聞こえる微かな振動音に耳を澄ませる。その音の主は冷蔵庫。今頃その中では発泡酒が数本、冷気を浴びながら安らかに眠っていることだろう。
窓から眺める景色は灰色で、雨こそ降らないものの今日は一日中曇っているらしい。お日様の力がないからか気温もやや低く、私もまた部屋に満ちた冷気を帯びた空気に肌を撫でられ身を震わす。
敷かれたマットレスの暖かいもこもこに肌を擦らせて、その心地よさの中に浸る。温もりの中に身を包まれながら、ゆっくりと微睡みの中に落ちてゆく。そんな頭が半分眠った状態の中で、少し前に見た夢を思い出す。
それは私と先輩がキスする夢。私の唇と先輩の唇が触れ合い、熱を共有し合う夢。先輩の頬が上気して赤くなり、私もまた少し息を乱す夢。そして、濡れた瞳でお互い見つめ合う夢。
夢を見た日、ありえないと思った。今でもそう思う。
先輩は素敵な人で、憧れの人で、そして何より、私の大切な友達だ。
だから、そんな夢はありえない。私の「好き」は友愛の「好き」だ。決して恋心の「好き」ではないはずだ。
眠りかけの頭が回って、私と先輩の、サークル活動の思い出を振り返る。
皆で練習したこと。それをライブハウスで演奏したこと。一緒にご飯を食べに行ったこと。買い物をしたこと。遊園地に遊びに行ったこと。講義の内容について教えてもらったこと。
思い返す。思い返す。思い返す。思い返す。
その中に「好き」はあったか。その中に「恋」はあったか。その中に「愛」はあったか。
記憶を辿る。やっぱりその中にあるのは先輩に対する敬意で、友達としての愛情で、大切な人だという実感で、そのどこにも「恋」はない。
勘違いというか、気の迷いというか、あんな夢を見たのはなんてことはないただの偶然だったんだと思う。
でも、それだけじゃ腑に落ちない何かが、しこりのように残り続ける何かがある。その正体は分からないけど、それが気がかりなのは確かだ。
先輩のことが好きだ。
でもじゃあ、その好きは友愛なのか、恋心なのか。
私が男子だったら、あるいは先輩が男子だったら、こんな風に悩まなくても、考え込まなくてもよかったのかな。
なんて、そんなことを考える私は最低だ。
渦巻く感情が出した問いに答えは出せなくて、結局私の周りには疑問符が飛び交う。
??????????????????
夢と現実が中途半端に交じり合って、奇妙な光景が写される。その中で、ぽわぽわとして上手く働いていない思考が一つ、天啓のように答えを弾き出す。
うん、確かにこの方法なら私の中の疑問を解けるかもしれない。数回反芻して、アイデアの正当性を確認する。時計を見て、十分な時間が確保できていることもチェック。そして、声に出して最後の確認をする。
「先輩の下着を覗こう!」
もしも私が男だったら、一発で大学のサポートセンターやら近くの交番に駆け込まれそうな発言をしてから、私は先輩のクローゼットがある部屋へと足を運ぶ。
私が先輩に恋心を抱いているというのなら、先輩の下着に対して私は性的興奮を覚えるはずだ。逆に私が先輩に友愛を抱いているのなら、別に何ともないはずだ。我ながら完璧な作戦というか、判断方法だと思う。いささか以上に倫理観に欠けた行動ではあるが、そこら辺は大目に見るとしよう。
「さてさて、先輩は意外とむっつりスケベだったりするのかなー」
スケベオヤジみたいな独り言を漏らしながら、軽い気持ちで足を動かす。
だって私が先輩に恋なんて、そんなことはありえない。
「失礼しまーす」
一応断りを入れながら、私は先輩の私室のドアを開け、その中に入っていく。何となくスパイの気分だったので部屋の明かりはあえて点けないでおいた。
暗い部屋の中、ポケットから取り出したスマホのライトで光源を確保してからいよいよ部屋の探索に入る。
「ひゃー。綺麗に片づけてんなー」
そう広くはない部屋をライトが照らすと、物が散乱していない床が目に入る。落ちているのは完成したネコのジグゾーパズルとか、今日使うためのグッズぐらいのものだった。小さなそれらを踏まないように気を付けながら、部屋の内装を細かく知るために一度その場でグルっと一周回転する
どうやら片付いている理由には、元々物が少ないというのもあるのかもしれない。ぱっと見した感じだと机とクローゼット、ベッド、それから小さな本棚ぐらいしかないみたいだしな、この部屋。
そんな綺麗に片付けられた部屋の中を進んでいく。こんなことをしといて今更だが、私も人の子なので流石に無断で人の私室をジロジロと見まわすことには多少の罪悪感を覚えるのだ。なので、極力お目当てのクローゼット以外は見ないように努める。
ドアとは対角線上の位置に置かれたクローゼットまで後数歩。ここからの流れはそう難しくない。
引き出しを開けて、先輩の下着を拝見して、そして自分の心がどういう風に反応するのかを確認する。寄り道なんてない一本道のルートだ。
しかし、私にはその作戦を実行することは出来なかった。クローゼットの数歩手前、作戦を振り返ったその場所から一歩も動けなかったからだ。まるで両足が金の延べ棒にでもなってしまったかのように重く、言うことを聞いてくれそうにはなかった。
その現象の原因は、おそらくクローゼットの上に飾られていた一枚の写真だ。
それは何の変哲もない普通の写真で、何てことはないただのツーショットで、大学のサークルで遊んだ時に撮った何気ない一枚で………。
大したことはない。そう分かっているのに、そのはずなのに、私の心からはドロッとしたモノが次から次へと溢れ出てきて止まらない。止められない。泥沼に入ったような気分になり、足がガクガクと震えた。目の前の光景を上手く処理できなくて気持ち悪さを覚え、思わず嗚咽が漏れそうになる。
その写真に写っていたのは、先輩と藤崎だった。
写真に写る二人は人差し指と中指を立ててピースサインをつくり、顔には素敵スマイルを浮かべていた。その一枚からは、二人がシャッターを切られるその瞬間、楽しんでいたということがよく伝わってくる。
これは確か去年の十一月とかに皆で遊園地に行った時の写真だ。安藤さんがカメラにも興味を持ち始めたとか言ってすごいパシャパシャと写真を撮っていたのをよく覚えている。全部終わった後に後日まとめてグループラインに上げてくれていたはずだ。その中にはツーショットもメンバー四人で撮ったものもあったし、安藤さんが個人的に撮っていたパレードの写真や動画もあった。でも、安藤さんは一枚だって写真をプリントアウトはしていなかった。
それなのに今こうして、先輩と藤崎のツーショットが写真立てに入れられてクローゼットの上に飾られている。
そこから弾き出される答えは、一つ。
いや、その判断は早計なんじゃないのか。まだ他の可能性だってあるんじゃないのか。別にこの写真であることに大した意味なんてなくて、ただ単純にこの写真が一番写真写りがよかったとか、背景の具合がちょうどよかったとか、そういう可能性だってあるんじゃないのか。私と先輩の、あるいは安藤さんと先輩のツーショットでもよかったんじゃないのか。もしかしたら全員で撮ったものでもよかったんじゃないのか。そうなんじゃないのか。
…………誤魔化すなよ、私。
答えなんてとうに出ている。ただそれを認めたくなくて、受け入れたくなくて、私は逃げているんだ。
だって、こんな気持ちになるなんて知らなかったから。先輩と藤崎のツーショットを見ただけで、こんな風に動揺するなんて、こんなにも心が動転するなんて考えもしなかったから。
握っていたスマホは力の抜けた右手から零れ落ちて、ドンという鈍い音を立てた。そこから放たれる光が床を照らすも、スマホ本体が覆いかぶさってしまって部屋は暗闇の中に閉ざされる。その黒一色の世界の中で顔を上げると、視線の先には灯らない照明。自分の手さえ見えない中、私は大きく息を吸った。
暗闇の中にだって酸素はある。視界が閉ざされていたって、光がない世界でだって私は生きていける。そう考えながら、内と外を行ったり来たりする空気の流れを想像して頭を落ち着ける。思考が徐々にクリアになり、さっきまで頭を占めていた下らない現実逃避が削れていく。回想の中心を先輩にして、色々なことを思い返す。散りばめられた伏線を回収していくように、私の推理の中に先輩の挙動を落とし込んでいく。
そして、私は自分の答えと向き合った。
つまるところ、そういうことなのだろう。
先輩は藤崎のことが…………
そして私は…、私は…………
結局のところ、そういうことなのだろう。
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