第4話

 どっと疲れた。

 それが感想だった。

 ビジネスホテルのベッドに腰掛けながら白髪の青年は重い溜息を吐く。

 ちなみに彼、見て分かるように先天性色素欠乏症──所謂アルビノである。他人から見える容姿は偽っている……とは言っても魔術で髪と目、肌の色を変えている程度なのだが。どうせなら服装も変えれば良い話なのだが、残念ながらそういった事には思い至らないのがこの青年である。


「……何を、やってるんだろうな。僕は」


 少女はとにかく家には帰る気は無いらしい。彼も帰る家など無いので渋々ホテルを取る羽目になった。殺害した相手から財布などは気紛れに奪っているので金には困らない。

 時計は深夜一時を回っている。闇に包まれた部屋で、彼は隣のベッドで眠る少女に目をやった。


「……、」


 彼女は白い帽子を握り締めたまま眠っていた。

 桃色の小さな花が飾りとして彩られた、つばの大きな帽子。そのままでは皺が寄ってしまうので彼女の手から抜き取った後、彼は再び溜息をつく。


 警官を振り払った後、少女は服が欲しいと訴えた。

 一週間分の着替えだそうで、計画的なのか何なのかといった感じである。

 何度も服くらい買ってやると言ったのだが、財布を開きながら丁重にお断りされた。

 そんなわけで目を離すとふらふらいなくなってしまう彼女に逐一気を配り、行方を眩ませた先で『悪い大人達』に絡まれていたのを相手方をボコボコにする事で救出し、疲れて眠ってしまった彼女を背負ってホテルを探し──そして今に至るというわけだ。


(帽子……気に入ったのか)


 白い帽子を手の中で弄びながら彼は目を細めた。

 これだけは唯一、青年が彼女に買い与えた物だ。

 別に深い理由は無い。少女は包帯を取るつもりは無いようだったし、できる事ならその目立ち過ぎる容姿を隠しておきたかったのだ。怪しい男が小さな女の子を連れ歩くという図は変わらないので、正しく気休めである。

 だから適当に選んで、適当に渡した。サイズだって合っていない。顔が隠れるのは良いが、恐らく前が見えないはずだ。

 それなのに彼女が、やけに嬉しそうに笑うものだから。


「本当……僕は何がしたいんだ……、」


 もう何度目になるか分からないその問いを口の中で転がしてみる。

 その男は善か悪か。そう問われれば百人中百人が悪だと答えるだろう。

 それほどまでに彼は罪を重ね続けてきた。

 そんな事なんて何も知らないで、その手を掴んだ一人の少女。恐らく彼女の行動に意味なんてない。だってきっと、。だから彼に手を伸ばしたのも、ただの偶然。

 それでも、と青年は思う。


 この長い長い人生で、誰かから必要とされた事はあっただろうか? と。


「……っ、」


 死神はふと、言い様のない衝動に駆られた。それは恐怖にも似た何かだったのかもしれない。だけどその感情の名前を彼はとうの昔に忘れてしまっていて、ただ苛立ちだけが胸を焦がす。焦燥を、怒りと誤認したまま。


 自分は、何を、しているんだ。


 今更人の温もりを求めたところで何も変わらない。自分のような化け物が、人に混ざる事など許されていないのだ。

 絶望しか生み出さないこの手で、何故今なお希望に取り縋るというのだろう。


「……ああ、」


 青年は少女の喉元に手をかけた。

 軽く力を込めると小さな呻き声が耳に届く。


 ──殺してしまおう。そして元の闇の中へ帰れば良い。


 今ならまだ間に合う。

 光に触れて灰になる前に、溶けて消えてしまう前に。


 この少女を殺して、一筋の光も届かない絶望の元へ。


「……、」


 ひやりとした手に力がこもる。小さな命はこの腕の中に握られている。

 花を摘み取るように容易く、全てを終わらせることが出来る──。


「…………馬鹿馬鹿しい」


 息を吐くと、彼は彼女から手を離した。

 期限は七日間。その間は一緒にいると約束した。

 それを過ぎればどうせ離れる事になる。そうすればこの理解出来ない苛立ちとも無縁の日々に戻るだろう。


 彼は帽子を机の上に置くと、ベッドに転がって目を閉じた。





「おはよう」


 目を開けると黒い瞳がこちらを覗き込んでいた。

 はて、ここは何処だったか。


「ほら、椥。起きろ」

「…………ナギ?」


 何だそれは、と言いかけてようやく覚醒し始めた眼が『それ』を捉えた。仰向けで眠る青年の上に乗りながらパシパシと布団を叩く少女の姿を。


「何だ君か……おはよう」


 あの後結局眠ってしまったらしい。“莉窮 椥”という適当な名前を名乗った事をやっと思い出した彼は少女を抱き上げて自分の上から退ける。

 少女は昨日とは違う服に身を包んでいた。どうやらミニスカートが好きらしく淡い黄緑を基調としたスカートに新品のブラウス、それに黒タイツという格好である。

 チラリと時計を見ると、午前十時。


「……何時から起きてたの」

「六時くらい」

「……一人で僕が起きるのを待ってたの」

「? うん」

「……お腹は、空いてる?」

「空いた」


 青年にはこの年頃の子供が何時頃起きるものなのか分からなかったが少なくとも彼が起きるまでの約四時間、彼女は騒ぐ事もなく待っていたらしい。

 部屋が特に散らかった様子は無い。テレビでも見ていたのだろう。

 朝食を取るには何とも微妙な時間帯であるが、仕方がないので顔を洗うついでにルームサービスを頼む事に……というのは少女の提案だ。

 青年は食事を摂らないので、少女の分のみを注文しておく。ルームサービスというシステムそのものが初めてだったらしく、メニューを物珍しそうに眺めていた少女の姿がやけに印象深い。

 そんなこんなで届いたパンを少女はもそもそと食べ始めた。口に合わなかったのか、顔を顰めながら牛乳で無理矢理流し込んでいる。


「で、今日は何をするの」


 そんな彼女を見ながら、彼は小さく呟いた。相変わらず興味が無さそうな調子で。

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