第3話

 その青年は極寒の大陸であろうと灼熱の大地であろうと服装を変える事がなかった。

 手首足首まで覆う黒いコートに黒手袋。そして黒いブーツ。

 服装などに全く興味の無い彼は何年前からかは本人にも分からないがずっとこの格好だった。

 ただしわざわざ言わなくても分かるように見た目的には大変暑苦しいのである。普通春先にそんな服装をしている人間はいないのである。

 そんな不審者のような男が少女(暫定十歳未満)を連れ歩いているとどうなるか。


「失礼します、警察の者なんですがね。少しお話を聞かせて頂きたいのですが」


 職務質問というやつだった。

 何でこんな目に、と舌打ちをする彼を無視して警官はやや気味悪そうに青年を見つめている。

 確かに彼だってこんな小春日和に季節感の無い格好の男が幼女を連れていたら不審に思うだろう。それは認める。

 でも違う。そうじゃないのだ。むしろこっちが付き纏われているのだ。では果たして自分一人でいたならば職務質問は免れたのかと言えばそれは微妙な話だが、それはの話である。


 だがそこでふと、彼はこんな考えに思い当たる。


 はて、どう説明したら良いのだろう?


 まさか『ぶっ殺そうとしていた少女に懐かれたので一緒にいます』なんて口が裂けても言えないし『迷子を送り届けるところなんです!』では嘘臭過ぎる。

 というかこんな小さな子供をこの時間帯に家にも帰さないで街を歩いている時点で犯罪行為だ。やっている事はもしかしなくとも誘拐なのだが、残念な事に彼は現代社会の常識に疎い。

 そしてこの場合、少女の片目を覆い隠す包帯も怪しまれる要因なのだと思う。


「で、その女の子とはどういったご関係ですかねぇ」


 完璧に怪しまれていた。怪しむ様子を隠す気も無い若い警官は、舐めるような視線で青年と少女を見比べている。

 極論、青年としてはこの警官を殺害してこの場を切り抜けても良かったのだがそうなると確実に大騒ぎになるだろう。街一つ消し飛ばさなくてはならなくなる事態は勘弁してほしいところである。


「お嬢ちゃん。このお兄さんとはどういう関係かな?」


 返答を渋る彼に嫌気が差したのか警官は少女に声を掛けた。義憤に駆られているのか、それとも本当にただ興味本位なのか、そのしつこさが腹立たしい。

 ところで青年はとっくに理解していたがこの少女はこういう状況での説明役には全く向いていない(主に無駄に偉そうとかそういう意味で)。

 なので恐らく事態をややこしくさせるような事しか言わないだろうと思っていたのだが。


「……妹だ。こいつの」


 不機嫌そうな調子で少女は警官を睨み付ける。相変わらず青年のコートを握り締めたままの彼女は話し掛けられた事が気に食わないらしかった。意外にも愛想は良い方だと感じていたのだが、何故かむすっとした様子で青年の背後に隠れている。


「い、妹? 兄妹?」

「何だ、文句でもあるのか? それとも今時の国家公務員は人の血縁関係にまで口を出すような権限でも与えられているのか? だとしたら随分とお偉いものだな、税金泥棒が。実に嘆かわしい。そんな事だから世論にボロクソに叩かれるんだ。その足りない頭をもう少し……むぐっ」


 世の為に使ったらどうだ──少女がそう言い終わる前に青年の黒い手袋が口を塞ぐ。

 幸い混乱しているらしい警官は放たれた言葉の意味を正しく理解していないらしいが、幾ら何でもいきなり喧嘩を売り過ぎである。暴れる少女を押さえ込みながら彼はとっととずらかる事にした。


「ああ、うん、そう……僕達は兄妹だから。それじゃあ」

「おい、待て!」


 少女を抱え上げると逃走を試みる。……が、当然若い男は見逃してくれるはずもなく肩を掴んで引き留めてくる。


(ああ、鬱陶しいな……やっぱ殺すか)


 舌打ちをして警官に手を伸ばし──ふと、抱きかかえていた少女と目が合った。突然抱き上げられたことに驚いたのか、宝石のような目はぱちくりと瞬いている。

 警察官の頭部を粉砕すべく伸ばされた腕は、そこで勢いを失ってしまう。


「ったく……、」

「な、何を!?」


 溜息を吐きながら彼は自分よりも身長が高いその男の顔を鷲掴みにする。

 少女を片手で抱きかかえながらもう片方の手で男の頭を鷲掴み──どういう状況だ、と彼は自嘲を含んで自問した。パニックになりかけた警官が騒ぎ出すその前に青年の掌が光輝く。

 それでも今朝までの彼なら例え街の住民を皆殺しにする羽目になろうともその手を血に染めていただろう。警察官を上下に引き裂き、辺りの目撃者達さえ一人残らず殺害していたに違いない。

 だが彼はそれをしなかった。どうしてそれを選ばなかったのか、彼はきっと気付いていない。


「? あ、あれ? どうしてこんな所に……、」


 青年の魔術によって記憶を奪われた警官は辺りを見渡すと首を傾げた。

 青年はさっさとその場から離れ、少女を抱えたまま言う。


「行こうか。……一先ずはその目立つ包帯を何とかしたいんだけどね」

「?」


 残りは、あと七日間。

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