¥53,478

 ――ツナマヨに醤油ラーメン。


 所持金のことが気になりすぎて、結局、コンビニのイートインでおにぎりとカップラーメンという、金額的にも量的にもなんとも言えない微妙な食事を終えた牧人は、駅前の植え込みに座り込んでいた。日は傾きかけていて、これから帰るのであろう大勢の人々が、牧人の前を通って駅へと飲み込まれていく。それをぼうっと眺めていた。

 頭の中では、未だに『これからどうしよう』という、答えの出ない問題が右往左往している。

 やるべきことはわかっているのだ。しかしその手段が思い浮かばない。 

 とにかくお金を稼がなければならない。現代日本において文明的な生活をしようとすれば、当然だがお金は必要不可欠であり、それを稼ぐことがすなわち生きるということだ。

 だが、目下自分は住所不定無職である。そんな人物を雇ってくれるところがあるのだろうか。探せば住み込みで働けるところはあるかもしれない。だが完全に偏見だが、そういう職場にあまり良いイメージが湧かない。選り好みしている状況じゃない、とは思っていても、それでも使い潰されそうな職場はできれば遠慮したかった。

 やはり『住所』が必要だった。『住所』さえあれば再就職活動や生活に必要な様々な手続きを行える。しかし、今の自分にはそれを手に入れるのが到底難しい。

 いっそのこと、首に『拾ってください』と書いたダンボールでもぶらさげてやろうかと牧人は半ば投げやり気味に思う。もしくは、目の前を通っていく一人一人に『住まわせてくれませんか?』と声を掛けてみるとか。

 自嘲的な笑いが零れた。

 一体誰が、自分に利益がないのに見知らぬ人間に親切にしてくれるというのだろうか。

 

 何かを思い出しそうになって、牧人は慌てて頭を振った。そのくらい何かは思い出してはいけない。

 ため息が洩れた。

 まもなく日が暮れる。完全に暗くなってしまう前にせめて今日の寝床の目処めどくらいは、と思わなくもないのだが、動こうとする気力が湧いてこない。

 そう焦ることもないか、と牧人は思う。金額的にビジネスホテルやカプセルホテルに泊まることははばかられるが、それよりも安く利用できる二十四時間営業のカラオケやネカフェ、個室ビデオ店は大都会である東京には山ほどあるし、まだまだ夜は冷えるが野宿したところで死ぬわけでもない。それに、このところ眠ろうとしてもあまり眠れないので、寝ずに夜を過ごしても構わないような気さえする。

 まぁでも、と牧人は思う。

 まぁでも、今日は朝からバタバタしていて疲れているし、とりあえず今日のところは大学生の頃よく利用していた、ここ秋葉原のネカフェにでも――


 ――秋葉原。

 ――ネカフェ。

 ――宿泊。

 ――女の子。


 迂闊うかつだった。

 そう考えてしまったことをきっかけにして、先ほど努めて奥深くに沈めたはずの昏い、なるべく思い出さないようにしていた記憶が、牧人の脳内に次々と呼び起こされた。

 視界が涙でにじんだ。

 と、ほぼ同時に。

 牧人は急激に吐き気を催して、顔を背けて植え込みへとさっき食べたモノを吐いた。

 口内に酸っぱさ、喉にひりつきを感じながら、牧人は力無く立ち上がる。


 ――やっぱり、ここ秋葉原はダメだ。


 どこにも行く当てがなくて、だからつい、通い慣れたこの街に来てしまった。だが、やはりここにいてはいけなかったのだ。

 ふらふらとした足取りで、牧人は歩き出した。駅に向かってくる人の波を縫っていく。

 ふと、神田川に架かる万世橋で立ち止まった。背後に目をやる。さっきまでいた秋葉原の電気街がそこにはある。オタクにとっては夢のような楽しい場所。自分にとってもそう。今となっては昏い思い出が、それを塗りつぶしてしまっている。

 頭を振って、牧人はまた歩き出した。

 もう振り返らなかった。

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