¥53,782
高月麻澄
¥53,782
――それが僕の全財産だった。
『
生年月日:平成八年五月十五日
年齢:二十二歳』
そこまで書いて、牧人はボールペンを持った手を止めた。
次の欄は住所。一瞬だけ悩んで、今まで住んでいた住所を書いておくことにする。
最後の職業欄は『学生』に丸をした。どうせバレやしない。
書き終えたそれを、グリーンのラインが目立つ免許証と共に提出すると、ややあって明細書と現金が目の前に置かれた。受け取ってリュックから出した財布に突っ込む。
ありがとうございましたぁー、と間延びした店員の声を背に受けながら、牧人は店から出た。そのまま人通りがない薄暗い路地に入り、しゃがみこんで財布の中身を確認する。
今しがた売り払ったゲームやら漫画やらの買取金額が四万二千円。財布に入っていた金額と合わせると、
思わず、ため息が洩れた。どうしてこんなことに。
家を失い職もなくカノジョには捨てられ頼るべき人間もおらず大都会東京で一人ぼっち。なんだそれ。泣けてくるのを通り越して、もはや笑えてくる。
不幸なことが重なってしまったのだ。就職先の会社の入社式に行ってみれば倒産していた。突然のことに呆然としたままアパートの部屋に帰れば同棲していたカノジョが
これからどうすればいいのだろう。これまで生きてきた中で感じたことのない不安が頭の中に渦巻いている。
実家には頼れない。あんな家に帰るくらいなら、ネカフェ難民でもしていた方がマシだ。かといって、実際にそうしようとする覚悟は今のところなかった。
友人のところに転がり込むことも考えたが、大学の同期の友人たちも当たり前だがそれぞれ就職していて、新社会人である彼らに迷惑を掛けるのは気が引けたし、そもそも受け入れてくれるかどうかも怪しい。サークルにも入っていなかったので、親しい後輩や先輩もいなかった。もっと交友関係を広げておくべきだったと今さら思っても後の祭りだった。
冷たいビル風が路地を吹き抜けていって、牧人は身を震わせた。日向は春の陽気で温かだが、日陰は肌寒い。薄暗い路地から日の当たる表通りを見れば、人々が行き交っていた。それぞれがきっとこれから行く場所があるのだろうなと思うと、どこにも行く当てのない自分が惨めに思えた。
――
とにかく、これからどうするのか。それを考えなければならない。牧人は自分の持ち物を確認しながら、回らない頭を働かせてみるが良い案は思い浮かばない。当然か。部屋の退去が決まってから今日まで必死に考えていたことが、そう都合よく今この場で思い浮かんだりはしない。
ジーンズのポケットからスマホを取り出して操作――しようとして止めた。いつ充電できるかわからない現状、むやみに使うものではないと思ったからだ。牧人はため息を一つ、ポケットに戻した。充電もそうだが、料金にしても、このスマホをいつまで使えるのやら。口座から預金は引き出されてはいたが、通帳も印鑑もキャッシュカードも置き去りだったので、財布に入っていたお金でどうにか一カ月分のスマホの利用料金だけは口座に入れておいた。だから次の利用料金の引き落としまでは確実に使える。その後は約一万の利用料金を支払うだけのお金が残っているかどうか。支払わなかった場合、いつ止められるのだろうか。わからない。
不安の渦に飲み込まれていると、腹が鳴った。そういえば昼を食べていなかった。それを意識すると、今さらのように猛烈な空腹感が襲ってくる。腕時計をちらりと見ると、三時を回ったところだった。所持金のことは気になるものの、食べないというわけにもいかない。
移動する前に、念のために財布の中の諭吉さんを四人抜き出して、リュックの内ポケットにしまった。これで万一財布を落としてしまってもどうにかなる。目下、このすぐに消えてしまいそうな頼りない所持金は自分の全てなのである。用心しておくに越したことはない。
路地から出ると、冷えた身体に陽の光が
眩しい光に目を細め、牧人は何か食べようと歩き出した。
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