5.停滞
朝目が覚めると、ちゃぶ台の上は飲みかけの缶ビールとおつまみのパッケージが散乱した状態だった。昨日は隆敏が突然帰った後、すぐに布団に入って寝てしまった。
枕元のスマートフォンを見ると、隆敏から一言「すまん」とだけメッセージが入っていた。
正直全く理解できなかった。彼が最後に行った『おしろいさま』とは何であろうか。彼の驚きようから、ただ事ではないのだろうとは思うが検討は付かなかった。彼はスマートフォンの画面を覗き、顔を上げ固まった。来たメッセージに問題が有ったのだろうか。
それにしても『おしろいさま』はと言う言葉は今まで聞いたことが無い。
そんな事をつらつらと考えながら部屋を片付けると、着替えて朝食を食べに部屋を出る。
朝食の会場となっている食堂には客は自分以外に一組しか居なかった。いかにもサラリーマン風の男性二人が部屋の端で朝食を取っている。私が入るとちらりとコチラを流し見される。表情に険が感じられるのは気のせいだろうか。
キッチンに声を掛け件の二人とは少し離れた席に付く。すると程なくして朝食が運ばれてきた。内容はご飯とみそ汁、焼き鮭、青菜、冷ややっこと言うオーソドックスな和朝食だった。
宿のおばさんがこちらにお茶を注いでくれながら話しかけてくる。
「昨日は結構遅くまでお部屋で飲んでらしたんですか?」
「いや、友人は直ぐ帰ったので11時前には寝てしまいました」
「あれ、そうなんですか?」
おばさんは不思議そうな顔をして首を傾げる。
「どうかしましたか?」
そう尋ねると、顔を近づけてくると声を潜めて話しかけてきた。
「いやね、あそこに居る二人組のお客さんいるでしょ?」
そう言って隅に居る二人組に気が付かれないように目くばせしてくる。
「あそこの二人がね、昨日夜中に別の部屋が騒がしかったってクレームを言ってきてね。昨日はあの二人組のお客さんと、あなたの二組しかお客さんが居なかったものだから、てっきり夜遅くまで飲んでいらしたのかと」
「いや、そんなはずは無いんですがね。十時半にはアイツ帰りましたから。それにそんな騒がしくは飲んでいません」
「そうなの? まあ、風の音がうるさかったとか、ちょっと神経質なのかもしれませんね。あのお客さん達」
口元を抑えながら、失礼と言いながらおばさんは去って行った。軽く視線を感じたため振り返って二人組の客を見てみると、二人組の客は慌てたように食事を再開し始めた。どうやらおばさんとの会話の最中こちらを伺っていたらしい。
随分釈然としないものを感じながら食事を取り部屋に戻る。こちらの食事が終わった頃にはすでに二人組の客は席には居なかった。
部屋に戻ると一服し、チェックアウトの準備を済ませそのまま部屋を出た。
チェックアウト時、「またいらっしゃいね」と言われたが、果たしてここにもう一度来ることはあるだろうか。
宿を出ると生憎の曇天だった。雨が降る予報では無かったが、この天気では気分も滅入ってくる。とりあえずバス停には向かわず、中学校方面に足を向ける。本日泊まる予定の温泉宿は夜のチェックイン予定にしてあるからまだまだ余裕がある。
色々と解せない事もあるが、せっかくなので母校の様子をせめて外観だけでも見ていこうと思ったのだ。
日曜だというのに人通りは少なかった。散歩中なのだろうか、たまに家族連れや老夫婦とすれ違うがそれほど多くは無い。ここら辺りの基本的な休日の行動圏は車に乗って隣街に行くことがどうしても多くなる。そのため余りこの辺りで人を見かける事は無い。
暫く歩くと校舎が見えてくる。柵に覆われ、生垣が邪魔で中までは良くわからないが、校庭には生徒はいない様だった。今は部活もやっていないのかもしれない。そのまま柵沿いに歩き、校門まで到着する。卒業以来二十年振りに見た校舎は鉄筋コンクリート造りの為かあまり変化は無かった。少し色合いがくすんだ様に見えるが、もしかしたらこれは現在の天気や自分の精神状態が影響しているのかもしれない。
卒業生ではあるが、中に入るのは憚られるため、校門の外から暫く校舎を眺めていた。すると横から唐突に声を掛けられる。
「うちの学校になんか用ですか?」
もう老齢と言っても良い見た目の人物が私の横に立ってこちらを見ていた。薄いベージュのチノパンに、グレーのチェック柄のベストを着ている。薄くなり白くなった頭髪と、皺の刻まれた皮膚は年相応の外見を彩っていた。かけていた度の厚い眼鏡を指で直しながらこちらを観察している。
その姿に見覚えが有った。二十年前に担任だった井下先生、彼をそのまま歳を取らせたら現在目の前に居る老人の様になっているだろうと思われる。
「もしかして、井上、井下猛先生ですか?」
こちらから問いかけると少しびっくりした様な表情を見せる。
「もしかしてここの卒業生かい?」
「はい、二十年前に教えていただいた蓬田です。蓬田達雄、お忘れかもしれませんが先生に三年間色々お教えいただきました」
「ん、ああ」
少し考え込むようなしぐさをする。
「もしかして、卒業と同時に引っ越してしまった蓬田君かい? 確かバスケ部だったかな」
「はい、そうです。お久しぶりでございます」
そう言うと懐かしむような笑顔を見せ、こちらの手を握ってきた。
「ああ、そう言えば昨日同窓会が有ったね。参加できなくて申し訳なかったね」
「いえ、ご予定もおありでしょうから仕方が無いです。寧ろ偶然でもここであえて良かったです」
「ちょっと中に入っていくかい。お茶でも入れよう」
そう言って校舎へ向かって歩き出した。
応接室に通されお茶を出される。在学中はこの部屋には一度も入ったことが無かった。
井上先生と対面に座りお茶を頂く。
「みんな元気だったかね」
席に付くと開口一番昨日の事を聞いてきた。ニコニコと優しそうな顔つきは昔担任を受け持った時から変わらない。
「ええ、ほとんどの面子が二十年振りに会いましたが、みんな元気そうでしたね。何人か来れない人たちも居たみたいですが」
「そうかそうか。二十年振りと言う事は、君は初めての同窓会か」
「そうですね、親の転勤が続いたりでなかなか連絡が取れなかったりで、みんなとは音信不通になっていましたので。たまたま、同郷の人間と仕事上付き合いが出来まして、その縁もあって今回参加できた次第で」
「なるほどねぇ。人生何が縁となるか分かりませんからねぇ」
うんうんと頷く井上先生。そんな彼に向かって思い切って四組の事を聞いてみた。
「先生、昨日ですね、四組という存在の事を聞いたのですが」
「ああ、聞いたのですね。これは本当に忸怩たる思いです。本当なら学校での問題を生徒、元生徒にまで波及させたくは無かったんですが。私個人の力等何の役にも立たずに申し訳ない」
表情を歪め、私に向かってお辞儀をする。慌てて取り成し先生にお直り頂く。
「いや、先生のせいじゃありませんし。私もつい昨日まではその存在も知りませんでしたから」
「いや、しかし我が校がこのような出来事に巻き込まれるとわ思いませんでしたわ。胎伽の光と言うんでしたか、その信者達の子供が次第に増えてきたと思ったらねえ。校長とかが色々とやっていた様なんですが、結局どうにもならんとなってしまって…」
「そうなんですね」
「生徒数も年々減少の一途で、今や入ってくる子はほぼ胎伽の光の信者さんの子供達みたいなもんです」
「結構影響度高いんですね」
先生は腕を組み首を振りながら唸る。
気分を変えるため話題を変える。
「そう言えば先生、昨日はなんで来られなかったんですか?」
「ああ、昨日ですか。実は色々ありましてね…」
そう言って話してくれた事は、実に奇妙な内容だった。
昨日夕方頃、井下猛は急遽学校に呼び出された。そろそろ同窓会に向かおうとしていた矢先の出来事で、長年の勘から長引きそうだと感じた井上は電話を手に取ると、同窓会幹事の成町吉郎に電話をかけて今回は参加できそうにない事を伝えた。
すでに十年以上運転している軽自動車を運転し三十分かけて学校へ向かった。
到着した井上を迎えたのは、校長、教頭と生徒指導の教師、そして自分が担任をしている三年一組の生徒三人だった。
応接室にてソファーに腰を落とした生徒三人はすでに意気消沈と言った有様で、ぐったりと力なく座っている。
その対面に校長、教頭、二人の後ろに生徒指導の教師が苦虫を噛みつぶしたような表情で静かに佇んでいた。
「ああ、井上先生。お休みの所を呼び出してしまって申し訳ありません」
校長が部屋に入った井上を見て声を掛けた。
「いえ大丈夫です。それで、うちのクラスの生徒の様ですが、なにかやらかしましたか?」
こう言うのは大抵警察に補導されたとかそういう状況だろう。結果としては当たっていた。しかし補導された原因が問題だった。
生徒三人は昼過ぎから郊外にある淡嶋神社に遊びに出かけていた。と言っても特に何かするわけでもなく、部活だ恋だ受験だという他愛もない話をだらだらとしていただけであるらしい。
淡嶋神社は管理する宮司も境内に居ないような小さな若干さびれた神社である。基本的に日中は誰もおらず静かで日陰の多い過ごしやすい境内である。ある程度喋り疲れた三人はいつの間にか神社の濡れ縁部分でうとうととし、その内眠りこけてしまったらしい。
もともと午前中に部活をやっていたため、疲れが出たせいかとも思っていたが、今考えると何か突然眠気が襲ってきて眠ってしまったようにも思えるとの事だ。
ともかく三人は寝てしまった。どれくらいの時間かは分からないが、暫く寝ていると一人の生徒(ここでは生徒Aとする)が突然肩をゆすられ目が覚める。他の二人がぐっすりと寝てしまっており、周りに他に人が居ない事を不思議と思っていると、微かにどこからか泣き声が聞こえてきた。
遠くから小さい声で、しかし耳に残るその泣き声を聞いて少し怖くなった生徒は、周りの二人を揺り起こした。
起こされた生徒は眠気を遮られたことに不満の声を漏らしながら目を覚ます。しかしながら、泣き声の話を聞くと同じく耳を澄ましその泣き声を聞いた。
三人の中でリーダー格の生徒(ここでは生徒Bとする)が、神社の裏から泣き声が聞こえると言い始め立ち上がり歩き出した。仕方なく後に続く生徒Aと最後の一人の生徒(ここでは生徒Cとする)。
神社の裏に来ると、そこには誰も居なかった。神社の裏の雑木林に一本の獣道が続いており、果たしてその泣き声はその獣道の先から聞こえてきている様だった。
顔を見合わせる三人。好奇心と恐怖が半々になったような感情であったが、生徒Aは好奇心が勝りそのまま獣道に分け入っていく。恐怖心が勝ちそうになっていた生徒BとCも先の生徒Aの様子を見て思い直したのか後に続くように獣道に入っていった。
その神社の裏は小高い山になっていた。特に名前の付いていない小山ではあったが、地元の人達からは人形山と呼び名が付けられている。
その人形山に入ってどれくらい歩いただろうか。三人は泣き声を頼りに獣道をずんずん進んでいく。若干靄がかったような空気に道に迷いそうになるが、泣き声が聞こえる方向に向かって歩いて行った。あの時は何も感じなかったが、今考えると、その泣き声の音量は神社で聞いた時から一切変わらなかったそうだ。常に目の前に居て一緒に移動しているような感覚、しかしそこを不思議がる事はその時は一切なかった。
どれくらい歩いただろうか、泣き声に向かって歩いていると不意に目の前の靄が晴れた。靄が晴れるとそこは雑木林が丸くくり抜かれたような草木の生えていない空き地が広がっていた。広さは大体テニスコート二面分くらい。
突然の広場の存在に驚いた三人はその場から動けずにいた。いつの間にか泣き声が止んでいる事にも気が付いていなかった。
「おい…」
生徒Aが震えた声を出す。
「あれ、なんだ…」
生徒Aは円の中心を指さした。そこには小さなお社が立てられており、その周りを何やら黒や茶色のものが埋め尽くしていた。
「なんか小さな神社みたいだな…」
「周りのアレはなんだろう?」
生徒B、Cが揃って首を傾げる。
「分からん、近くに行ってみるか」
「そうだな」
生徒Aの言葉に他の二人も続く。ゆっくりと広場に入り歩を進める。近づくにつれて広場の中央に埋め尽くされたモノの存在が良く見えてくる。
それは人形だった。大中小、様々な人形が社を中心にしてその周りを埋め尽くしていた。日本人形、ひな人形、西洋人形、様々なタイプの人形がそこに有った。雨風にさらされ汚れ、朽ち果てた人形の数々。無数の人形がその場を埋め尽くしていた。
「ひっ」
人形が目に入ると同時に生徒Cの動きが止まる。
するとその叫び声に反応したかのように、広場に広がる無数の人形の顔が三人の生徒の方を一斉に向いた。
「お、おい、なんだよこれ…」
顔だけをこちらに向け無言で生徒を見つめる人形達の目。その無機質な目に見つめられ、恐怖に駆られた三人は叫び声を上げながら元来た道を全速力で駆けだした。
何度も根に足を取られ、木々にぶつかりそうになりながら全速力で駆け抜ける。いつの間にか獣道は無くなっていたが、三人はがむしゃらに下へ下へと向かい駆けていく。
転げ落ちるように坂を下っていき、草むらから抜けるとそこは件の神社の境内だった。三人は神社の前まで這う這うの体で移動すると、荒い息を吐きながらぐったりと崩れ落ちるように倒れこむ。
「こらぁ、お前らなんしよっとか!」
突然怒鳴り声が参道の方から響いてきた。鳥居をくぐり宮司姿の老人とスーツ姿の壮年の男性が駆け寄ってくる。
「お前ら、ここで何しとっか。どこ行ってた?」
若干のなまりを含めてまくし立てる宮司に目を白黒させていると、壮年の男性が宮司に落ち着くように諭す。
「君たち、今までどこに居たんだい? それにその手に持ってるものは、どこから持ってきたんんだい?」
落ち着いた声で壮年の男性が三人に声を掛ける。そこで生徒三人は気が付く。いつの間にか自身の手に何かを握っていたことを。
恐る恐るその手を持ち上げてみると…
「彼らはそのまま気を失って病院に運ばれた。そして、その後警察に連絡が行き、学校へも連絡が来たというわけだ。一旦家に帰された後、再度学校に集まって貰ったところで私が到着したということだ」
井上先生はそう言って疲れた顔をした。
「結局彼らは何を見て気を失ったんですか?」
「人形、と言っていた」
「人形…、つまり山の上の社の所に置かれていた人形を持って帰ってしまったと」
「そこまでは分からんが、彼らは確かに人形を持っていたと言っていたはずだと言っていた」
奇妙な違和感を感じる。
「持っていたはずと言う事は、彼らが気が付いた時には人形は無かったと?」
「それどころか、宮司は人形なんか持っていなかったと言っている。ついでに言うと彼らを見つけた時は自分一人だけだったとも」
「えっ、でも壮年の男性が居たんですよね?」
不思議に思うと、井上先生は首を振る。
「宮司が言うには、生徒三人は神社の境内で倒れていたと。日課の境内掃除に行ったときに発見し、慌てて救急車を呼んだとのことだ」
「宮司は生徒達と話もしてないと?」
「そう言ってる」
「警察は何と?」
「錯乱した中学生と、神社の宮司、どっちの言葉を信じると思うかね?」
「まあ、そうですね」
ふぅ、と大きめのため息をつく井上先生。
「でも、私は彼らの言葉を信じているがね。まぁ、彼らは特に何か事件を起こしたわけでも無いから、厳重注意だけで返したがね」
「ところでその神社の裏の山には本当に人形が集まる社は有るんでしょうか」
井上先生は口元に手を当て何か考え込む。
「いや、そういう話は聞いたこと無いねぇ。ただ、あそこの淡嶋神社は処分しなければならなくなった人形なんかを供養してくれる神社と言う事でこの辺では有名だった」
「人形の供養ですか」
「私も見たことは無いんだがね、あの神社中には真っ白な雛人形が祀ってあるそうだ」
「雛人形ですか…」
「ああ、真っ白な雛人形でな、三人官女や五人囃子も真っ白な装束を着ているらしい。なんでも数百年前にこの地方を治めていた庄屋の娘の為に作られたそうだが、生憎私は数学教師だからね、その辺は詳しくは無い」
真っ白な雛人形、得も言われぬ不安が胸の内にくすぶる。ふと、昨日隆敏が言ったおしろいさまと言う言葉が頭に思い浮かんだ。まさか、何か関係があるとは思えない。
「顔色が悪いようだが、大丈夫かね」
井上先生が心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる。
「ああ、大丈夫です。済みませんご心配おかけしました」
冷や汗が背中を伝う中、井上先生と近況に関する情報を交換してその場を辞した。
言い知れぬ不安を抱きながら、この地から早く逃げなければならないと焦燥感だけが募っていった。
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