4.旅館
宿に帰ると、何も考えずにまずは風呂に入った。特に効能等も無くただ湯を沸かしただけの大浴場だったが思いのほか居心地が良く長風呂をしてしまった。風呂に浸かったからかスッキリとした頭で部屋に帰ると、自販機で買ったビールを開ける。
一口目を飲もうと口を付けると、目の端に通知が来たことを知らせるスマートフォンが目に入った。
--もう寝たか?
三十分ほど前に来たメッセージはそっけなく、送信者は隆敏からだった。すでに既読通知が相手に行ってしまっているだろう。このまま無視を決め込むことも憚られるため、一応返信を入れる。
--まだ。風呂あがってビール飲んでる。
--今からお前の宿行って良いか?
同窓会の出来事を思い出し少し躊躇したが、やはり昔なじみの親友の誘いを断る事はできなかった。
--ええよ、部屋は○○○号室や。
そう返信を打つ。何が有るか分からないため一応浴衣姿から普段着に着替えておく。
そうこうしていると、隆敏が部屋をノックしてきた。メッセージのやり取りをしてから時間にして五分程度だから、近くで返信が来るまで待っていたのかもしれない。
とりあえず扉を開けて隆敏を迎え入れる。彼はビニール袋に詰まった酒とおつまみを掲げて部屋に入ってきた。
「すまんな、遅い時間に」
「いや、ええよ。それでどうしたんだ、こんな時間に」
隆敏はちゃぶ台入口側に座り、対面に私が座る。
がちゃがちゃとビニール袋から酒を取り出しながら、隆敏がしゃべりだす。
「いや、同窓会であまりちゃんと話できなかっただろ。お前最後の方上の空だったし」
「ああ、すまんな色々な情報が入りすぎて混乱してた」
「だろうな…」
ちびちびと缶ビールを飲みながら口数少なく会話をする。世間話程度の弾まない会話は薄暗い部屋の天井に消えていく。
そんな中隆敏は一本目のビールを空け、二本目の缶を手に取りじっと考え事をするように固まる。
意を決したようにプルタブを開くとそのまま口を付けビールを一気に煽る。
「すまん…、実はお前に隠していたことが有ってな」
悲壮感漂う顔をお辞儀をするようにちゃぶ台の座面まで下げ、謝罪の言葉を吐く。そして何か決心したような表情を浮かべ顔を上げこちらを見つめてきた。
「実は四組なんて存在は嘘なんだ。俺ら全員で口裏合わせてた」
「口裏合わせてってなんだよ、俺をからかってるのか? どっきり大成功とかその扉から美晴が掲げて出てくるんか?」
美晴の名前を出すと苦渋の表情を浮かべる。
「胎伽の光って知ってるか?」
「ん、なんか最近聞いたような」
「M市を中心に活動している新興宗教団体だ」
「ああ、駅前に沢山の反対看板見かけたわ」
「それだそれ。実はな、美晴、その新興宗教団体に入信してるんだよ」
美晴の現状は分かった。
四組が嘘だったというのも分かった。
でも両者が結びつかない。
「何言ってるんだ。美晴が新興宗教に入れ込んでるのは分かったが、それが何で四組に繋がるんだ」
「美晴だけじゃない、同窓会で話に出ていた下田恵も、鈴木信子も。それだけじゃない、うちらの学年で言うと三十人、いや四十人近くが入信している」
「おい、まさか」
私が居た頃は無かったはずの四組。そして四組の生徒と言われていた美晴や、下田、鈴木などが新興宗教に入信している。それはつまり…
「そうだ。四組の生徒は全員胎伽の光の信徒なんだ…」
「なんでそんなことに」
「お前が引っ越した後だった。最初は有る家、教祖の実家と言われているが、そこの居間が始まりだった。はじめは近所の人たちがお茶を飲みに来てちょっと雑談してためになる話を聞くくらいだったが、ある時教祖がその茶飲み友達の足の病気を治したらしい」
隆敏は淡々と胎伽の光の始まりを話し始めた。
「その噂が広がり、だんだんと町内の老人や主婦が集まりだした。ただの雑談だった会合はいつの間にか教祖の話、説法を聞く会に変容していった。やがて自宅の居間では収容しきれなくなり、公民館を定期的に借りて説法会を開いていった」
ビールで唇を濡らす。少し酔っているのか顔が赤い。
「そこからは一気に広がる。説法会の段取りや会費徴収などを円滑に進めるため、説法に積極的に参加していた会計士だか税理士だかの資格を持った男が教祖の片腕として雇われた。其れはそのまま宗教団体としての体をなしM市中に広がっていった」
「駅前に胎伽の光反対の文字が有る看板を多く見かけたが」
「ああ、公称では信者数は二百人程度だが、地域住人とのいろいろと軋轢を生んでる。今は新しい施設を作る作らないで揉めてるみたいだな」
「健介の家に行ったなら見たんだろ?」
何を、と言いかけて健介の部屋のあの様子を思い出した。壁中に貼られた奇妙なお札、お札、お札。
「お札、か…」
「ああ、健介の母親も熱心な胎伽の光の信者さ。健介の病気を治すため色々と手を尽くしてたらしい。結局おかしくなって自殺しちまったがな」
健介の死は病気でもあり自殺でもあったのか。
あんな部屋に入れられたら確かに発狂してもおかしくない。
「もちろんうちらの学校の卒業生からも多く信者が出てきた。御覧の通りうちらの代で三十人程度が信者だ。それもあって学校とも色々揉めてるらしい。どういう政治が働いたか分からないが、突然学校側から名簿が送られてきて、今後以下の者達は卒業時のクラスを今までのモノから四組として変更するお達しが来た」
「なんでそんなことに」
「卒業した後の学校の事情なんか知らんからさっぱり分からん。人数の大なり小なりは有るが他の学年も同様らしい」
お手上げと言わんばかりに両手を挙げる。
「美晴も信者なのか…」
「そうだあいつも信者だ。健介の病気の件であいつも色々手を尽くしたりしていたんだ、怪しい呪い師なんかも当たってみたりな。しかし結局はどれもダメだった。そんな時に胎伽の光が現れて一時的にだが健介が回復した。それからはもうずっぽりさ。健介が死んだときも、あいつは教義に懐疑的だったなんだと言いやがって、それで喧嘩にもなった」
「そうか…」
深いため息をつく。人一倍正義感が強かった美晴が新興宗教に嵌るとは…。
「教義とかどんなもんなんだ」
「俺も詳しくは知らん。基本的に念仏唱えてれば極楽浄土に行けるってのは聞いてるが…。あとは変なお札を良く売ってるな」
「あの幾何学模様になんか書いてあるやつか、思えばあの文字は念仏だったのか」
「それそれ、それだ」
隠していたことを話して安心してきたのか、言葉にも活力が戻ってきた。
「明日街中歩くなら良く見てみろ。結構色々なところに貼ってあるぞ」
「分かった注意して見てみるわ」
今日は商店街を歩いたが、シャッター街になっていることに気が向いてそこまで気にして見てはいなかった。
「明日帰るのか?」
「ああ、ここに居ても何もないしな。明日中学の校舎とか少し見て回って昼過ぎにここを出るよ。そのあとS沢温泉に行く予定にしてる」
「そうか、まあお前もここ出身だから案内する必要もないしな。仕事が無ければ一緒に久しぶりに行動したかったが」
「気持ちだけ貰っとくよ。今日もこうやって飲めたしな」
そう言って缶ビールを掲げる。隆敏も遠慮がちに缶ビールを掲げてお互いに乾杯した。
「今何やってるんだ」
「しがないサラリーマンや」
「俺はこの街を絶対出てやるって思ってたんだがな、結局この街で育って、この街に暮らして、きっとこの街で死ぬんだろうな」
寂しそうに遠くを見つめる隆敏。運良く親の転勤が有ったからこの街から出られたが、もしかしたら自分もこの街に縛られていたかもしれない。この街が嫌いなわけでは無いが、今のこの街の空気は幾ばくか息苦しく感じる。
発展の止まった街はもう衰退への道しかなく、そのため空気が淀んでいるのかもしれない。
「今からでも遅くないんじゃないか?」
「いやもう無理だよ、俺はここに縛られちまった」
やけっぱちと言うわけでは無く、諦観なのだろう、もう諦めたようなそんな雰囲気を漂わせている。
「なんだよ縛られたって。この街に何が有るってんだよ。何にも無いじゃないか」
「そうじゃないんだよ。お前が居なくなった後にな…」
「俺がいなくなった後にどうかしたのか」
何かを言いかけて隆敏の動きが止まる。目を見開き、カタカタと震えだす。額に脂汗が浮かんでいるのが見える。
「おい、隆敏どうした!」
ヒューヒューと荒れた息が口から漏れ出す。乾いた唇がカサカサと音を立てる。
彼の見開いた目は、達雄の後ろに固定されていた。
「お、おしろいさま、、、」
「おいっ!」
ちゃぶ台越しに隆敏の肩を掴み揺する。
はっ、とした様に意識を取り戻すと、片手に掴んでいたビールを物凄い勢いで嚥下する。
隆敏の様子が多少マシになったことを確認し、後ろを振り返る。達雄の後ろには窓しかなく、そこで静かにカーテンが揺れていた。
窓開いてたのか…
薄く開いた窓から少し冷たい風が流れ込む。肌寒さを感じ窓を閉じるために席を立とうとすると、その前に隆敏が立ち上がった。
「すまん、今日はこれで帰るわ」
「えっ、おいどうした」
慌てたように荷物を纏めるとそのまま部屋の入口に向かう。
「ごめんな、また今度連絡するわ」
「おいっ、隆敏っ」
こちらの引き留めも虚しく、隆敏は慌ただしく部屋を辞した。
残された達雄は彼が去った入口を見つめるしかなかった。
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