2.仏前
夢を見た気がする。
何物かに追われている自分が居た。
何物かの姿は判別できなかった。
それは白い煙の様な何かだった。
煙は不定形で、それは動物の様でもあったし、人の様でもあったし、ただの煙の様でもあった。
逃走の舞台は懐かしい小学校や中学校であったり、通いなれた商店街でもあった。
どんなに逃げてもそれは此方にやってきた。
最終的に何かに足を取られ転ぶ。
そして白い煙に絡めとられる直前に私は目を覚ました。
どれぐらいの時間うとうとしていたのだろう、気が付くと目の前の席に親子が座っていた。
母親とその娘と思しき二人は顔を寄せ合って手元で何かをやっていた。
ちょっと体の位置をずらして軽く覗き込むと二人はあやとりをやっていた。
梯子、東京タワー、箒とそれぞれきっちりと作り上げる母親と違い、その合いの手を取る娘の出来は少し不格好で出来上がったモノは何だかよくわからない幾何学模様が多かった。
それでも二人は楽しそうにあやとりを続けている。
暫くその様子を見るともなしに観察していると、いつの間にか辺りの風景が開け目的のニュータウンそばの停留所近くになっていた。慌てて停車ブザーを押し荷物を纏める。
バスの速度が落ち、ロータリーに差し掛かる。
ふと前の座席を確認すると、親子二人が振り返り無表情な顔でじっとこちらを見つめていた。
その表情は能面の様であり何の感情も読み取れない。
その瞳は深い闇の様な穴が黒く開いているだけだった。
親子のその手には幾何学模様に彩られたあやとりが有った。その模様はエッシャーのだまし絵の様な何とも奇妙な錯覚を想起させる気持ち悪さを表現していた。
あまりの気持ち悪さに、一瞬息が止まる。
バスの停車と共に慌てて鞄を抱えるとそのまま料金を支払い外に飛び出した。
バスの運転手は一寸不審そうな顔をしていたが、そのまま何事も無く扉を閉めるとバスを発車させた。
バスが過ぎ去り見えなくなるまでその場で固まっていた。冷や汗が背筋を流れる。直前まで笑顔であやとりをしていたあの親子の突然の豹変に頭が追い付いてこなかった。
ふと気が付く。このバス停が終着点だったはずだが、私以外誰も降りる乗客はいなかった。それならばあの親子は一体どこへ行ったのだろうか。
運転手は彼の乗客を認識していなかったのだろうか。
今あった出来事を忘れようと手元のペットボトルから水を煽り嚥下する。
少し落ち着きを取り戻した私は改めてバス停のロータリーを眺める。拡張性を持たせてゆったりと作られたロータリーはしかし街の発展の失敗を象徴するかのように雑草が生い茂り、利用者の少なさを想起させる状態になっている。
バスの定期運行も減少し、今では一時間に一本程度しか運行されていない。
すでにこの街から引っ越しをしている私には戻る家は無い。そのため今回は宿を予約していた。その宿は丁度バス停から街を挟んで反対側にある。特に急ぎの用事があるわけでもなく、同窓会自体も今夜開催となっているため時間はまだまだ余裕がある。
とりあえず商店街へ足を向け、過去を懐かしむようのんびりとしたペースで歩き出した。
商店街入口からもその雰囲気が陰鬱としている事が分かる。明らかに空気が淀んでいる。
大半の店舗がシャッターを降ろし、開いている店もまた客足は無く、暗くさびれた様相をしている。微かに漂う中華屋の鶏ガラスープの香りと、お茶屋の香りがこの商店街に微かな彩を与えている。商店街の中央には中規模のスーパーが開いており、そこだけはこの地域の生活の中心として機能していることがうかがえる。
暫く歩き、商店街の出口が見え始めたころに不意に声を掛けられた。
「もしかして、達雄ちゃんじゃない?」
振り返ると少しとうが立った女性がスーパーの袋を下げてこちらを見つめている。確かに達雄は自分の名前だったが特に見知ったような相手では無かった。
「はい、達雄は私ですが、あなたは?」
訝しげに応答すると、しかし相手は破顔したような笑顔を見せてきた。
「覚えてないのも無理ないかもしれないけど、健介の母です。齊藤健介、覚えてない? 小学中学と良く家に遊びに来てくれたでしょ?」
齊藤健介と言う名前を聞いて思い出した。小学校時代からの付き合いの親友の一人だ。健介を含め四人の友人達でつるんで良く遊んでいた。その際に齊藤家にも幾度か行った思い出が有り、確かにその時に有った健介の母親の面影が目の前の人物から見られるかもしれない。
しかし二十年も前の事なのであまり当てにもできないが。
「ああ、お久しぶりです。蓬田達雄です」
警戒心を解いて挨拶を返す。健介の母親はあまり気にした風も無くこちらに笑いかけてくる。
「懐かしいわ。達雄君確か中学卒業と一緒に引っ越したのよねぇ。うちの子が随分寂しがってたわよ」
「ええ、そうなんです。中学卒業と同時に引っ越して、その後も親の仕事の都合でいろいろなところを転々としてて、碌にご挨拶できず済みません。健介君にも謝らないといけないですね」
そう言うと、健介の母親は少し寂しそうな顔をのぞかせる。
「それにしても今日はどうしたの、こんな何もないところまで来て。十五、二十年振りくらいでしょ」
「今日は中学三年の時の同窓会が有りまして。あれ、健介君は参加しないんですか?」
「ああ、そうか達雄ちゃんは知らなかったわね」
一瞬息を飲み声を詰まらせる。
その様子に何か重大な事が有ったことを察し緊張する。
「うちの子ね、十年前にね亡くなってるのよ。だから今回の同窓会の事も知らなかったわ」
「え、健介が亡くなったんですか?」
「そうなの、ちょっと肺炎を拗らせたと思ったらぽっくりね。すごいあっけなかったわ」
「そんな…、親友が死んでいた事すら知らなかったなんて…」
大の親友が死んだ事を今の今まで知らなかった事が衝撃的で後悔の念が募る。高校時代は親の転勤もありなかなか友人を作れず、大学の友人たちも悪友とは呼べるかもしれないが、本当に親友と呼べる間柄の友達は小中学時代の奴らだったのでそれだけ気分が沈む。
「しょうがないわよ、引っ越しとか重なってるんでしょ。そうだ、今から時間ある? 家で健介にお線香上げていってくれない?」
無理したような笑顔を張り付かせ、健介の母親は提案してきた。
「もちろんです。こちらこそお願いします」
そう言うと、健介の母親の背中に付いて後に続いた。
商店街から小道を進み健介の家の前まで移動する。昔良く通った道のりは多少色あせていたものの子供の頃の記憶のままであまり変化は見られなかった。生垣から覗く家々の壁は多少色あせ、昔良く吠えてきた番犬の姿が見えなくなったりしていたが、大きな変化はない。その当時に戻ったような懐かしさを感じてはいたが、あの頃より高い視点からの観察に時の流れを否応なく感じさせた。
「どうぞお上がりください」
「お邪魔します」
健介の家に通され、廊下を抜けてそのまま仏間に入る。庭にある庭木による影響か、あまり日の光の入らない仏間は暗かった。先に入った母親が電気をつけると、右手奥に綺麗に清掃された仏壇が置かれていた。
中央に戒名の刻まれた位牌が置かれその下に笑顔を向ける健介の写真。祖父母も祀られているのか、位牌は全部で三つ置かれていた。
仏壇の前に座布団が用意され、母親はそのままお茶を入れに席を立った。
私は仏壇の前に座ると、傍らの線香を手に取り、手順に従い拝んだ。手を合わせ目を閉じると、健介との懐かしい思い出が胸の中に呼び覚まされる。子供の頃の四人で色々とバカ騒ぎをした。夜中に学校や墓地に忍び込み肝試しをしたり、テレビゲームで朝方まで騒いだり、恋愛関連のあれこれは不思議と四人とも無かったが、思い出深い記憶だった。
暫く写真を見ながら物思いにふけていると、あるモノが目についた。仏壇の内部の左右の壁に白いお札の様なモノが貼ってあった。それは朱で書かれた幾何学模様の上に黒い墨にて流麗な文字で何やら文章が書かれており、その四隅に朱で拇印が押されていた。
習字で使う半紙の様な紙にA3サイズでびっしりと書かれたそれは一種独特な不気味さを持っていた。
良く観察すると、天井にももう一枚同じようなお札が貼ってあり見える範囲で計三枚のお札が貼ってある。
お札に書かれた文字の羅列を読もうかと顔を近づけたと同時に、後ろの襖が開き健介の母親がお茶をお盆に乗せて入ってきた。
そのあまりに絶妙なタイミングに心臓を高鳴らせながら、できるだけ平静を装い席を立ち中央のテーブルまで移動する。
「こんなものしかなくてゴメンね」
そう言いながら、お茶と煎餅などのお茶菓子をテーブルに置く。
「いえいえお構いなく」
杓子定規な回答だが、心の動揺を抑えるにはちょうど良かった。熱めに入れられたお茶を一口啜り心を静め事に努める。健介の母親はそんな私に不信感を抱くことなく昔話に花を咲かせていた。
うわべのみの簡単な応対を行っていたところで、健介の母親が久しぶりに健介の部屋を見ていかないかとの申し出が有った。彼が亡くなった時からそのままにしているらしい。彼の机の上に過去のアルバムなども有るため是非それを見ていって欲しいとの事だった。
正直時間も時間であるし、何よりこの場の空気に耐えられなくなりそろそろお暇したいと思っていたが、母親のたっての願いを固辞できず健介の部屋を覗くことになった。
健介の部屋は二階に有った。勝手知ったるではないが、何度も遊びに来た家の間取りは覚えていた。母親は最近腰を痛めており、階段を登るのがつらいとの事で付いては来なかった。
階段を上り最奥にある部屋が健介の部屋だった。少し軋む扉を開けると、雨戸でも閉まっているのか中は真っ暗で何も見えなかった。扉わきにあるスイッチを入れると部屋内の蛍光灯が灯った。四畳半ほどの部屋にはベッドと勉強机、そして本棚が置かれていた。
中学時代に入り浸った頃とあまり変わらないレイアウト。高校時代に始めたのか、片隅に置かれたエレキギターが唯一あの頃とは違う風景であった。微かに感じた違和感はこのギターかと考えながら中に入り扉を閉める。と、目の端に見覚えのある朱が横切った。
扉の裏側一面に先ほど仏壇で見たお札がびっしりと貼ってあったのだ。一瞬頭が真っ白になりたたらを踏み部屋の奥へと移動する。偏執的なまでに貼られたお札は印刷されたものではなく、一枚一枚きっちりと自筆にて書かれたモノらしくその歪みが見えて取れる。ふと気が付き四方の壁を見る。昔グラビアのポスターが貼ってあった壁に、机と本棚に隠れるようにその後ろの壁に、雨戸が閉じた窓の中に、それぞれお札が不定数貼ってあった。
「ひっ」
喉の奥から空気が漏れる。あまりにも異様な光景に足がすくむ。嫌な予感が有り天井を見ると、予想通りそこにもお札が貼ってあった。見る気にはなれないが、恐らくこのカーペットの下にも。そう思うとこの部屋に居る事自体が恐ろしくなってきた。
四方八方にお札を貼るというその行為に、あまり良い印象が抱けず恐ろしさのみが湧き上がってくる。
慌てて部屋を出ると階段を駆け下りる。無作法とは思ったが、居間に居る母親におざなりに声を掛け健介の家を後にする。
「また日を改めてご挨拶に伺います」
そう声を掛けたが流石に二度とここには来れそうもない。
あのお札は何から部屋を守っているのだろう。それを想像するとまた背筋に悪寒が走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます