おしろいさま怪異譚 -達雄の場合-
大鴉八咫
1.トンネル
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
日本人なら多くの人が知っているフレーズだろう。
この一文だけで様々な解釈ができると思うが、私はトンネルと言う暗い空間を通過する事により現れる雪国と言う明の空間への転移をと考える。トンネルという装置が『元居た世界の自分』が、『別の世界の自分』に移行するそれは分岐点のような役割を担っていると感じている。
私も今まさにそのような体験をしようとしているのではないだろうか。
益体もない事を考えながら古めかしい宿の部屋に籠りお茶を煽る。
はじめは古めかしい宿の佇まいが奥ゆかしいなどと感じていたが、今はそこかしこに浮かぶ紙魚が異界の怪物に見え、閉まりの悪い障子の隙間から何かが覗き込んでいそうであり、照明の暗さが作る影がこの世の者とは思えずに、恐怖を感じている。
何より申し訳程度に付いた入り口の引き戸の鍵が今にも壊されて、何者かが部屋に入り込んできそうで落ち着かない。
あの夢を見て以降、眠る事が怖い。
仕方なく今まで起こった出来事を乱雑にではあるがメモにまとめている。
改めて思い起こしてみても、到底信じられるようなものではなく、自分で体験していなかったら気が振れているものが書いたメモにしか見えないだろう。
なぜこの様な事に巻き込まれているのだろうか。
自問自答しているが答えは生まれてこない。
そもそものきっかけは中学の同窓会の案内通知だった。
私は中学までは栃木県のM市に住んでいた。いわゆる郊外型のニュータウンと呼ばれるもので、私が居た頃は新規の戸建てが多く建てられておりこれから活気づいていく、そんな有りもしない幻想が渦巻いている土地だった。
父の急な転勤のあおりを受け、私は中学を卒業し高校に上がろうかという春に引っ越しを余儀なくされ、以来この地には戻って来ることは無かった。
当時からこのニュータウンは交通の便が悪く、噂に上がっていた新駅の構想も無くなり、駅と駅の間の僻地にポツンと浮かぶ浮島の様な様相を呈していた。バスなどの交通の便も良くなく、基本的に車を持つことが生活の主体となっていた。
今までも同窓会自体は何度か開催されていたらしい。しかし、引っ越しのドタバタからろくすっぽ引っ越し先を案内することができず、またその後も数度に渡る引っ越しが有ったため、いつしか中学までの旧友に連絡することを忘れこの歳になってしまっていた。
そんな状況に転機が訪れたのは、一昨年の暮れの事。たまたま取引先含めての忘年会を開催したところ、その取引相手の一人に同郷の人間が居た。そこで話が盛り上がったところ、私と二個下の学年であり、また私と同年代の者とも親しくしていた事が有るらしいとの事であった。
そのような気運に恵まれ、旧友と連絡を取れるようになりこの程同窓会のお知らせが届いたと言う次第だ。
ちょうど急ぎの仕事も無く、休みが取れそうなことから、土日と飛び石の休日を有給でつなぎ五連休を作り同窓会へ出席することにした。M市で一泊し、その後近くの温泉街でも行ってゆっくりと休もうという心づもりである。
新幹線からローカル線に乗り換えて数駅も過ぎると辺りは田園風景から森林渓谷へと流れていく。
流れる景色を見ながら物思いにふける。中学卒業から約二十年、この路線に乗るのも二十年振りとなるが流れる景色は思い出の中のものと遜色ない色合いだった。元から色あせていたのか、私の思い出が色あせたのか定かではない。
見ることなし窓辺から景色を眺めていると、唐突に列車がトンネルに入った。S峠トンネルは、M山脈に連なるS峠を切り抜くように掘削されたトンネルである。長さはそれほどでも無いが、掘削作業時に多くの犠牲者を出したと昔聞いたことがある。
トンネルを抜けると空気が重くなったような気がした。天気自体は変わらず晴れ間が覗いており、ここ数日の雨が嘘のような晴れ間であった。しかし、トンネルを抜けた直後から淀んだ空気が流れだしたような気がするのは気のせいであろうか。
当時の記憶を呼び起こしてみても、学校や友人との付き合いは楽しい思い出が多いが、街自体にはあまり良い記憶がない。新興の住宅地であったが、なぜか当時から辺りには淀んだ空気が流れていたように思う。
そんな空気を嫌ってか良く友達と連れ立って長い時間がかかる事も厭わずに列車を使って隣町の繁華街へ遊びに出かける事も多かった。
そのような事をつらつら思い返していると列車がブレーキ音を響かせながら減速し駅へと到着した。
単線の駅はホームが一つしかなく、そこに降りる乗客は私以外いなかった。
ボストンバックを抱え改札に向かうと後ろで発車ベルと共に列車が動き出した。ホームを抜けて小さくなっていく列車の後ろ姿を見ると、何やら言い知れぬ不安が胸によぎった。
この最寄り駅(とは言っても駅から件のニュータウンまではバスで一時間程度はかかる)はちょうどトンネルに挟まれた形で存在する。上り側よりのS峠トンネルと、下り側よりのM岳トンネルの間にポツンと一駅だけ存在する。
小さな駅で辛うじて駅員は一人おり無人ではない者の、日々の乗客者はそれほど多くは無いだろう。休日であるのに駅の前は閑散としていた。
駅前のロータリーはバス一台がやっと止まれるかと言うほどの大きさしかなく、その隅にタクシーが二台止まっているのが大仰に見える。老齢のタクシー乗務員が缶コーヒー片手に談笑してるのを見ると、使う客はあまりいないのだろう。
周りを見回してみると、コンビニなどは無く、日用品や少しの食品やパンなどを置いた米屋と開いているか分からない喫茶店のみで、その他はシャッターが下りた店舗がいくつかあるだけの駅前だった。
その中で目立つのは看板の多さ。そのどれも胎伽の光反対と言った赤い文字が躍っている。都市部でもたまに見かける火葬場建設反対の様な看板である。胎伽悌と言うものが何かは分からないが、字面から宗教ではないかと思えた。
それが駅前のそこかしこに立てられており、いっそ不気味を通り越して関心するほどであった。
バスの時刻表を見ると出発までまだ20分ほど時間が有ったため、駅前にある自販機で缶コーヒーを買いそのまま駅のベンチに座った。過行く雲を眺めながらホッと一息つく。
「お兄さん、これからM市ニュータウンでも行くの?」
突然話しかけられて振り返ると、暇そうな駅員が箒片手にこちらに歩いてきていた。
「えぇ、そうなんですよ。良くわかりましたね」
「そりゃね。こんな辺鄙な駅に来てバスを待つような人は、ニュータウンに行くか、逆に隣町の繁華街に行くかだけど、お兄さんそっち方面から電車乗ってきたからね、あとはもうニュータウン辺りにしか選択肢ないからね」
「なるほど。失礼ですが、ここはいつもこんなに人が居ないんですか?」
「そうだねぇ。基本この駅使う人あまりいないしねえ。ニュータウンの人達は基本車持ってるから電車に乗る人なんか一握りだよ」
駅前の様子に少し恐縮しながら聞くと、駅員は特に気にした様子もなく答えてくれた。
「まあ、お陰でのんびり仕事できていいんだけどね」
悪戯が見つかった子供の様な笑みを浮かべて駅員は話す。
「ここだけの話、新興宗教の施設ができた時はもう少し駅前も活気づくかと思ったんだけどね、あの人ら自分らの施設からほとんど出てこないからさっぱりだったね」
「新興宗教?」
私が住んでいた頃はそんなモノは無かった気がする。
「あれ、お兄さん宗教関係でここ来たんじゃないの? ほら、駅前に看板一杯立ってるでしょ、胎伽の光っていうやつ」
どうやらあれは、たいかていのひかり、と読むらしい。
変な誤解を受けるのも嫌なので、慌てて否定する。
「違います、違います。中学の時の同窓会があってやってきたんですよ」
「あ、そうなの。ごめんね。こんな辺鄙なところに来る見知らぬ人なんてほとんど宗教関係者かそれに類する人ばかりだったから」
「それに類する人?」
ちょっと独特の言い回しだったので、思わず尋ねてしまった。
「ほら、雑誌の記者だとかそういう人たち」
「ああ、なるほど」
確かに一時期別の新興宗教が事件を起こした際などは、いろいろと騒ぎになったりもしたし、ここにも取材とかがやってきたのだろう。
「ちなみに、私二十年振りにここに来たんですけど、昔は新興宗教とかありませんでしたよね?」
「あー、胎伽の光はいつ頃だっけな、確か十年前くらいにここを拠点にし始めた宗教だよ」
十年前なら知らないのも無理はない。
「結構信者さんは多くいらっしゃるんですか?」
「いやいや、全然だって話だよ。あんなに反対の看板掲げられてるしね、地域住人との折り合いは悪いみたいよ。まあ、拉致するとかテロするとかいう危ない奴じゃなくて、自分の小屋に籠って念仏唱えてるだけだからあまり害は無いみたいだけどね」
まあ新興宗教なんて多くがその様なものかと思いながら時計を確認する。
そろそろバスの時間かと顔を上げると丁度バスがロータリーに入ってくるところだった。
「おっ、バス来たね。ここあまり本数無いから帰りのバスとか気を付けてね」
「有難うございます。今日はニュータウンの先にある宿に泊まる予定でいますんで大丈夫です」
そう言いながら駅前のベンチを離れバス停に向かう。
ここのバスは隣町の繁華街からこの駅を経由してニュータウンまで向かう路線だ。
それなりの距離と停留所が有るため、列車を使いこの駅に来てからバスに乗り換えた方が時間的に短縮できるが、別にバスに乗りっぱなしでも隣町にはいける事は行ける。
ガタガタとタイヤを鳴らしながら走るバスに他に乗客は居なかった。
一番の後ろの席にゆったりと座り中学時代の過去を思い起こす。
あの頃の友人達に会えるのが今から楽しみだった。
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