第四十話 御立派な天使
この日もまた、ゲヴランツは酷く不機嫌だった。
―――苛立たしい。
いつもいつも、この世界は
取るに足りない些事。頭の足りない部下共。馬鹿は何処からともなく
不快だ。
不愉快極まりない。
外の乱痴気騒ぎはここまで聞こえてくる。
石とコンクリートで覆われ、硬く閉ざされた空間。領主であるゲヴランツの私室である
豪華にして
絵画、彫刻、陶器、造花、照明。そして黄金鋼の鎧。
どれ一つを取っても息を呑むほどに素晴らしい芸術品で、選りすぐりの逸品なのは間違いない。そしてソレ等を際立たせつつも自己主張を忘れない、部屋中を彩る金の装飾。
〈太陽のない世界〉において、芸術家は数多い。
この世界の労働者とは即ち
故に大半の人間は、芸術活動に精を出す。
―――それは兎も角。
ゲヴランツの私室にあるインテリアは、その全てが一級品なのは間違いない。しかし全体的な統一感に欠けていた。
制作者が揃っていないどころか、個々の趣向すら相反するような造形の代物も多い。配置も丸っ切り
気に入ったので手に入れたはいいものの、完全に持て余している。
実際、その通りだ。
ゲヴランツにとっては己の快・不快こそが世界の全て。殺すことも、食すことも、犯すことも全てが自由。それこそが獣の法。駄菓子も同然に、女も富も名誉も権力も好きに貪ることが出来る。故に――何もかもが、他愛のない気紛れなのだ。
けれど―――
渇いている。
どうしようもなく、何かが欠けている。
己を構成する歯車が一つだけ足りておらず、だから何もかもがちぐはぐで噛み合わない。
何をしても満たされない己。己を満たすことに毛程も役立たない他者。全てが不満である。不毛である。不自由である。
充足できない。
満足できない。
檻に捕らわれた獣の如く。
故にゲヴランツは、常に不機嫌なのだった。
「んっ、んん……あっあっ、あぅ……ぅぅうっ」
金の寝台。金糸で編まれた寝具。
その上で絡み合う男と女。
女は快楽に
豊満な女だった。
人形めいて端整な顔立ち。乳房と尻は大きく張り出し、一方で腰は細く、四肢は程良く肉付きつつもしなやかで美しい。
しかしまだあどけない印象の強い女。
実際、彼女の年齢はまだ少女の段階から抜け切っていない。言うなれば、開いたばかりの
ほんの少し前まで、彼女は聖都にある士官学校の生徒だった。
好色なゲヴランツは、以前から彼女に目を付けていた。故にマジパナの戦死を利用し、権力に物を言わせて士官学校から無理やり手元に引き抜いたのである。
「あっ、うっ、ぅぅうううう……っ!」
肌がぶつかり、粘液の弾ける淫らな音が響く。
ゲヴランツを深く咥え込んだ肉の割れ目からは、少量の血と、大量の
女士官は自ら腰を振り、しかし唇を噛んで涙を流している。単に
ゲヴランツの性的嗜好は、極めて下衆である。
実のところ、女であれば別に何でも構わない。それこそ
だが彼が殊更に好むのは、
好きなのだ。
純潔や、貞操を手折り、踏み
高嶺の華を散らす時、決まってゲヴランツは僅かばかりの満足感を得る。
―――背徳の、愉悦。
しかしそれも、事が済めば直ぐに消える。
駄菓子をどれだけ
獣は相も変わらず不機嫌なままで、苛立ちはぶり返し、渇きと餓えは尚更に強くなるばかりだ。
そもそも――彼が女を好むのは、ただの遺伝子に刻まれた嗜好に過ぎない。己の父が色狂いであったから、それを受け継いだだけなのだとゲヴランツは理解している。
一時の癒しのために女性を貪る獣。
それがゲヴランツという男だった。
散々、精を吐き出した後。
女士官は無言で寝台から離れ、静かに身形を整えている。表面上こそ気丈に振る舞っているが、
縮こまった背中を無感動に眺めながら、ゲヴランツは考える。
やはり、満たされない。
渇いている。
餓えている。
どうしようもなく、何かが欠けている。
一体、何が欠けているのか。足りない歯車は何なのか。その正体を知ることさえできれば、己の世界は完結する。その時にこそ獣は不自由な檻の中から脱し、翼を得て、きっと何処にだって行くことができる。
ゲヴランツにはその確信があった。
「―――それで、どうなさるのですか?」
「うん? ……ああ、外の騒ぎのことか」
不意に投げられた問いに、納得して頷くゲヴランツ。
彼は如何にも
「ネヴァルに任せておけばいい……と、言いたいところだが。事態がここまで悪化した以上、私が直接出張って収拾をつけるしかあるまい。―――おい」
呼び掛けると、部屋の隅にずっと待機していた
「湯浴みの用意をしろ」
「
深く頭を下げる
それを尻目に、ゲヴランツは裸身のまま寝台から降りて立ち上がった。
「―――さて。準備が整うまでの間は、我等が偉大なる天使様に対処して頂くとしよう。
Sancte Angelus, defende nos in proelio.」
朗々と紡がれる天使召喚の詠唱。
瞬間―――
戦場と化した第005号砦の領地内に、五体の天使が顕現した。
* * *
吹き荒ぶ嵐の中を、一陣の黒い風が駆け抜ける。
早く。速く。何よりも
黒風が過ぎ去った後には何も残らない。
途中で遭遇するのが騎士であれ
黒い風の正体は――
今の彼女は暴走した機関車も同然。魔物はおろか、同族の
しかし進路は決まっている。
城門から街の郊外まで、〈
魔王による計らいである。
やがてコナは、遂に求めていたものの元に辿り着いた。
無造作に放置された馬車。
馬車の後ろには巨大な檻が繋がれている。その中に囚われているのは、コナの最愛の男。
「―――――ッ!」
激情に任せ、コナは戦鎌を突き込む。
狙いは檻の上に浮遊する
《“――――GYAAAAAAAAHHHH!”》
酷く耳障りな断末魔。
天使は内側から食い破られるようにして、全身が蒼い結晶に変わる。そして崩れ落ち、光の粒子となって千々に消えた。
〈すろーね〉の消滅によって、空間ごと縛られていた
コナは更に戦鎌を振るう。
檻を形造る
「翁様ァ! 無事かい!? 助けに来たよ! これでもう大丈夫さ! 直ぐに自由にしてやるからね、後はこの鎖をどうにかすりゃあ……―――」
歓喜で浮ついた言葉が、途中で断たれる。
夫婦の再会を邪魔する不届者の存在を感知したのだ。
コナの五感は優れている。
だが愛する夫であり、敬いの対象でもある
既に包囲されている。
(どうする―――!?)
死地に活路を見出そうと考えるコナ。そんな彼女が、
当然、求めたものはそこにあった。
「―――――」
「―――――」
たった一瞬、視線を交わしただけで理解した。
コナは即座に一切の防御を放棄して、柔らかく身体を折って迅速に地に伏す。瞬間――鉄が爆発した。
粉砕された鎖の破片が辺り一面に飛び散り、周囲を囲んでいた
だが残る半数は健在。
〈喇叭〉が稲妻を吹く。
形成された磁界は強烈な反発を生み、薬室に込められた銀の弾丸を撃ち出す。
その初速は実に音速の三倍。
如何に動体視力に優れる
しかし――暴威は、更なる出鱈目な暴威によって打ち払われた。
「―――――!」
手足の自由を取り戻した
両腕の手首と前腕、そして上腕部に取り付けられた
鎖は
そしてそれを振り回す
二人を包囲していた敵兵は、全滅した。
「ヒュゥ! お美事! 惚れ惚れするねぇ!」
口笛を吹き賞賛するコナ。口調こそ軽薄だが、そこに込められた畏敬と信頼は非常に大きなものだった。
幽鬼の如く佇む黒い
彼は檻の馬車から音もなく降りると、新たな敵の出現に備えた。
―――光が、
顕われたのは、
頭上に戴くは青白く輝く
機体色は真紅。
胸部には
全体的な
亀の頭の如き頭部。
首はなく、円筒形に近い胴体が太く長く
下半身は巨大な戦車になっており、正面と側面には、幾つもの分厚い刃と、
属性は土。特性は『戦争』。
神聖。あまりにも、荘厳。
だが明らかに生命を
あまりの汚らわしさ、悍ましさに戦慄する。その有り様からは、召喚者の
* * *
「―――チ○ポ!! ご覧下さいマスター! アレはどう見てもチ○ポ! チ○ポです!!」
「黙れ」
* * *
「―――こいつは驚いた。あの糞野郎の頭ン中には海綿体でも詰まってんのか? それとも脳味噌まで性病が達しておかしくなったか? どちらにせよ、まともじゃないね」
眉をしかめ、傷だらけながらも端整な顔を嫌悪の一色に染め上げて、コナは吐き捨てる。
彼女は戦鎌を持ち直し、構える。
だが戦闘態勢を整えたコナを、
彼は前を向いたまま、背後のコナを片手で
ここは任せろ――と。
「―――――」
言葉を交わす必要はない。そして
亜人化した
ここは、
彼がそう決めたのならば、従うのみ。
理解した上で、コナは無言で彼の隣に
彼の手の構造は、他の男の
掌が変形する。骨格から構造が変わり、凶悪な鉤爪はそのままに――人間の手に近い形状に変わった。
巨躯の黒い幽鬼が剣を
―――それは、剣というにはあまりにも大き過ぎた。
刃渡りだけでも、人間の成人男性の背丈を優に凌駕する。そして分厚く重く、無骨であり、切先は平らに近い楕円形になっていた。
死刑執行人の剣。
剣を無造作に振るってから、
―――オオオオォォォオオオオオオオオオオッ!
それは己が戦線に復帰したことを報せる鼓舞。そして敵への威圧である。暴風雨の騒音すら吹き飛ばす
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