第三十九話 悪性悪

「―――落ち着きましたか?」

「ああ。……大変お見苦しいものをお見せした上、他にも色々と申し訳ない。すまなかった、BB」


 深く頭を下げる。


 俺はおおむね平静を取り戻していた。

 快楽と苦痛の波はこうしている今も絶え間なく押し寄せ、身体をうずかせている。俺が迷宮管理人ダンジョンマスターである以上、この責め苦から逃れることはできない――自らの所業とその責任を考えるならば、そもそも逃れるべきではないが――しかし意識さえ強く保っていれば、ある程度は制御することが可能なようだった。


 少なくとも、先程のように前後不覚におちいることはないだろう。


 ……散々うがいをしてすすいでも尚、口内と喉に胃液の不快感がしつこくへばり付いている。だがそれ以上に不快なのは、己自身だった。

 完全に己を棚に上げて八つ当たり紛いの真似をし、挙句にBBの目の前で醜態をさらしてしまった事実が、理屈や理論、感情を超えて許容できない。自分自身が許せなかった。


 けれどそんなこちらの心境を気にした様子もなく、BBはあっけらかんと微笑んでいる。


「いえいえ、どうかお気になさらず。私に謝罪なんてもったいないですよ。頭を上げてください」

「だが……」

「本当に気にする必要はないのですよ。何故なら――

「……なんだ、それは。どういう意味だ」


 明らかに含みの孕んだ言葉を受けて、俺はいぶかしく目を細めて問い質す。

 対するBBは、普段通りの猫を思わせるニヤニヤ笑いで答えた。


「最初にお渡しした本に書かれていた通りです。私こと迷宮案内人ダンジョンキーパーは、迷宮管理人ダンジョンマスターの分身体――つまりこの肉体と嗜好は、貴方が心の奥底に持つ欲望を基にして創られたものなのです」

「……なるほど。そうか、そういうことか」


 告げられた事実は到底受け入れ難いものだったが。驚きよりも、納得の方が先に来た。

 俺がBBに対して抱いていた反感は、要は近親憎悪であり自己嫌悪であった訳だ。―――実に滑稽こっけいだ。やはり俺は、本当にどうしようもない屑であるらしい。


 けれど、そう自覚したからこそ。


「そういう事情なら遠慮なく言わせて貰おう。―――BB。俺は、お前が大嫌いだ」


 真正面から悪態を受けても、BBの態度に変わりはない。

 むしろ面白がっているようだ。

 唇が美しく三日月型の弧を描いている。耳元まで裂けそうな、醜悪に美しい不吉な笑顔だった。


「ありがとうございます。私は、そんな貴方が大好きですよ」


 軽口に、俺は鼻を鳴らす。


 話題を変えようというのだろう、BBは軽く手を打ち鳴らした。


「さて、親睦が深まったところで。改めて刑務ゲームに目を向けることと致しましょう。―――現在の時点で、なにか気になっていることは御座いますか、マスター?」

「ああ、それなら一つある。〈礼節ヲ解セル小鬼ジェントルモア・ゴブリン〉の駒が動かせず、操作できなくなっているものが多い。〈死体デ遊ブ胤液クラフティ・ハンプティ〉は特に問題はないようだが……これはどういうことだ?」


 卓上の駒の一つを指先で突つく。

 ゴブリンを表す黒い歩兵ポーンの駒は、何故か微動だにしない。接着剤か何かで張り付いているかのようだ。


 BBは、よどみなく答える。


「そちらについては、現在は非公開となっているステータスが影響しております。詳細は後ほど、チュートリアル発生のフラグが立った際にご説明致しましょう。……ですが、ふむ。マスターはゴブリンの操作をなさりたいのですか? 別段、今のままでも問題はないと思いますが」

「いや、問題大有りだ」


 非公開になっているステータス、というのは気になるが――それよりも。


「俺個人の信条を抜きにしても、ゴブリン達の振る舞いはあまりにも目に余る。戦場で人目もはばからず婦女暴行に夢中になった挙句、ティーセットまで持ち込んで茶を淹れてサボタージュを決め込むなど、幾らなんでも言語道断だろう。やるな――とは立場上、口が裂けても言えないが……せめて占領を終えてからにするべきだ」


 実際、繁殖行為に精を出すあまり、隙を突かれ討ち取られているゴブリンは多い。

 それに味方の士気にも関わる。

 個体差はあれど、基本的に食屍鬼グールは高潔な戦士だ。そんな彼等がゴブリンの振る舞いに良い顔をする訳がない。今のところは眉をひそめる程度だが、間違いなく顰蹙ひんしゅくを買っている。


 一応、首領の娘であるパーピュラシナが獣騎士から受けた仕打ちを知る食屍鬼グール等の反応は、比較的寛容な方ではある。


 特に豪放ごうほう磊落らいらくな性質のコナはゴブリンの暴虐について全く気にしていないようだ。だが潔癖で気難しい性格のカトゥーラを筆頭に、快く思っていない者の方が多いのが実情である。


 このままでは魔物――延いては、それを従える〈魔王〉や迷宮への不信に繋がりかねない。


「それはまあ……仰る通りなのですが……ほら、彼等はゴブリンで、なお帽子屋マッドハッターですので……ね?」

「だったら何をしてもいいという訳ではないだろう……」


 呆れ混じりに否定する。


 ……しかしこれは、BBに言ったところで直ちに解決する問題ではない。どちらかといえば、迷宮管理人ダンジョンマスターである俺の不手際だ。

 もっと後のことを考えて設定を詰めておくべきだった。

 頭痛を覚え、俺は蟀谷こめかみを押さえる。今更後悔しても遅い。今は戦闘の真っ只中なのだ。現状を受け入れ、その上で勝つことを考えなければならない。


 BBはわざとらしくオホンとせきをして、「それはそうと」などと言って露骨に話題を変えた。


「―――……先程、貴方がお言いになったことについてですが。『個人の信条』、ですか。今もなお貴方は、自分が、私や〈倫理のない世界〉の住人達とは違う『良識ある善良な人間』なのだと――そう信じておいでなのですか?」


 かくりと首を傾げ、BBは俺を見上げる。


 俺の答えは決まっていた。


「いいや。俺は自分の悪性を認めている」


 俺は間違いなく屑だ。

 戦争を愉しむ下衆で、食屍鬼グールに手を貸し、魔物に略奪と陵辱を行わせ、そしてこれからも行おうとしている――戦争犯罪に手を染めた外道だ。

 それが嫌ならば、悪いと思っているのなら――今からでも首をくくって死ねばいい。だが、俺にはそんな気は一切なかった。


 何故なら、死にたくないからだ。


 誇りは大事だ。矜持きょうじより重いものなどない。隣人を愛し、大切にするのが人間としてあるべき姿だ。そういった善性こそが、何よりも優先されるべき尊いものなのだ。

 だがが、自分の命と天秤に掛けて釣り合うかといえば――

 


 それこそが俺だ。

 そんな人間が、


 だが、、だ。


「俺の性根は邪悪なのだろう。だが、、俺は人間ヒトとしての正しさを讃え、何よりも尊び、斯くあるべきだと自戒し続けなければならない。これは性悪説の基本概念だ。―――俺の言っていることは、何か間違っているか?」


 意図して語尾を挑発的に歪める。


 BBは目を丸くして驚いていた。

 珍しい顔をするものだ。してやったり、と内心でほくそ笑む。


「―――ふぅむ。なるほど、なるほど?」


 BBは顎に手を添えて、思案げに頷いている。


 ―――何か、違和感がある。


 今までの彼女の言葉に嘘はない。これまでずっと悪趣味なふざけた態度を取り続け、冗談を口にしてきたBB。だがその振る舞いはある意味で真摯しんしなもので、俺に嘘を吐いたことはない。

 無論、本当かどうかを識別する術はない。だが不思議と、俺はそう確信していた。

 けれど。

 BBは度々、俺が真っ当な倫理めいたことを口にすると、このように何事かを考え込む。だが――それは、


 彼女は自らを、俺の欲望から産まれた存在なのだと語った。


 ならば俺の嗜好や考え方など、全て熟知している筈だ。実際、彼女自身の言動からして、そのことについて間違いはないのだろう。

 だが――ならば、


 何故、考えるのか。

 それは、俺の言っていることが、彼女にとっておかしなことだから?


 何がおかしいのか。

 俺が、『真っ当な倫理』を口にすること自体が?


 ……なにかが、おかしい。


 矛盾している。

 矛盾している?


 なにが?


 酷く言語化が困難な感覚に襲われる。

 喉に何かがつっかえているのは分かるのだが、それが何なのか分からない。そして、分からないことがどうしようもなく気色悪かった。


 ……やめよう。

 今、こんなことを考えていても仕方がない。


 目の前の戦いに集中するべきだ。なにせ、命が掛かっているのだから。


 ―――幸いにも、戦の趨勢すうせいはこちらに傾いている。


 敵はほとんど総崩れ。

 モニカとアーズィヴァの魔法による暴風雨と降雹こうひょうを用いた作戦は、極めて有効に働いている。視界を塞がれるのはこちらも同じだが、元より目隠しをして戦っている食屍鬼グールには関係のないことだ。

 食屍鬼グールの卓越した嗅覚と聴覚であれば、嵐の只中であろうと問題なく外界を認識することが出来る。


 今の所、戦いに支障はない。


 だが、油断は命取りだ。


 敵は天使によって常に情報を共有している。


 指揮系統が回復するのも、こちらの手札が露呈するのも時間の問題だ。そうなる前に制圧できなければ、攻略は一気に難しくなる。

 時間が経過するほどに、こちらが不利になるのだ。

 そもそも今回の作戦自体――嵐による城攻めも、〈死体デ遊ブ胤液クラフティ・ハンプティ〉を使った戦術も、所詮は初見殺しの俄か策でしかない。通用するのはこの一回切り、混乱している今の内だけと弁え、今後の戦いに臨まなければ。


「―――さて。気になることはありますが、それはひとまず横に置いておきましょう。戦争はまだまだこれからであります。敵もそろそろ体勢を立て直す頃合いでありますれば――楽しい陵辱の次は、お待ちかねの、血湧き肉躍る闘争の時間です」


 思考の整理を終えたのか、改めてBBがそんなことをうそぶく。


 俺は改めて、卓上へ――〈太陽のない世界〉に意識を落とした。

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