第35話 脱出
黒い刃が悠真に振り下ろされる、まさにその時だった。
「えいっ」
遥の気合いのこもった声が聞こえたかと思うと、突然悠真の背中が光った。そして、ぶち当たったはずの黒い剣を弾き返した。
『グオオォォン』
その衝撃がそのまま跳ね返ったのか、影がたたらを踏む。
しかも、悠真は剣で切られるどころか、触れた程度にしか感じなかったのだ。
影の怒りの思念が響く。
「な、なんだ?」
理解が追いつく前に、今度は自分の左肩が緑色に発光して、じんわりと暖かくなった。これは回復呪文だ。ようやく、遥が助けてくれたのだと分かる。
「おお、ありがとう!」
もう怪我の痛みはない。力を取り戻し、再び目の前の一体に注意を向ける。
だが、その時、
「いやあっ、悠真くんっ!」
「えっ」
今度は、遥の怯えるような呼び声が耳に飛び込んできた。同時に、もう一体の影が自分の視界にいないことに気付く。慌てて振り返ると、その一体が今度は遥に襲いかかろうとしていた。彼女の呪文を見て、狙いを変えたのかもしれない。
「遥! 今助け……うわっ」
遥の元に向かおうとするが、それを許すまじと目の前の一体が悠真に切り掛かってきた。
剣を受け止め、なんとか押し返そうとするがびくともしない。
「くっ……」
鍔迫り合いをしながら肩越しに後ろを見ると、まさに黒い影が遥に剣を振り下ろすところだった。
悠真は血の気が引いた。
『シネ!!』
悪意の塊のような思念が脳裏に響く。
「遥ぁぁっ!」
必死に避けようとする遥。だが間に合わずまともに剣がぶち当たった。
その瞬間。
バシッ
激しい音と共に半透明の壁が一瞬現れて、剣を弾いた。防御壁だ。
しかも、本来なら、打撲程度のダメージは受けるのに、彼女には衝撃すらなかったようだ。
『ウォォォンン』
影の戸惑った思念が聞こえてくる。
「そうか!」
思わず声に出す。メディカルチートにより魔力が強くなった。それは、攻撃だけではなく防御にも当てはまるのだろう。それで、先程の自分に対する一撃も痛みすら感じなかったのだ。
だが、
『ゴオオォォォォ』
苛立ったような思念が脳裏に流れ込んできたかと思うと、影が、意地になったかのように二度、三度と遥を切りつけた。
「い、いやっ」
遥が身を守るように腕を上げ体を竦める。
そのたびに防御壁が激しい音を放つ。
「やめて、やめ……あっ」
遥は怒涛の攻撃を避けようとして体勢を崩し、地面に倒れ込んだ。
そこを狙って、四度目の剣が遥に当たった時、防御壁が消えた。
見えなくなったのではなく、効力がなくなり消えたのだ。いかに強力になったとはいえ、耐えられる限度を超えると消えるのは変わらない。
「くそっ、邪魔しやがって!」
悠真は、自分の相手に呪詛を吐きながら、なんとか押し返そうとするが、力が拮抗しており、身動きが取れない。
「い、いや、来ないで!」
恐怖で立ち上がれないのか、遥が、倒れたままずり下がり、弱々しい叫び声を上げる。
彼女に向かって、再び影がジリジリとにじり寄るのが肩越しに見えた。
「悠真くん、助けて!」
「遥、今行く!」
悠真は自分の目の前の影に向き直る。もうこいつに構っている場合ではない。
剣にイメージを込めた。
再び、猛烈な炎が吹き上がり影を覆った。
『ガアアァァァッ』
影は払い除けようと後ろに下がる。さっきもそうだったが、炎が効かなくても気にはしている。今はそれだけでいい。
「お前はすっこんでろ!」
悠真は、渾身の力で腹を蹴飛ばした。
20パーセントとはいえ、強化された分だけキックも威力がある。
グニャリとした感触が気持ち悪い。
影は全く予想していなかったのか、派手に地面にすっ転がった。
『フォオオ』
怒りの思念が聞こえてくるのを無視して、悠真は身を翻し、遥を襲っている一体に猛然と突っ込んだ。
「遥に手を出すな!」
相手は夢中になっているのか、背中をこちらに向けたままだ。その背中に向かって、剣を振り上げた。
「っ!」
だが、悠真は躊躇した。遥までの距離が近すぎる。炎の剣では、遥まで傷つけてしまう。先ほどのプーカとマキシナのように。
「そうかっ!!」
悠真は、代わりに氷のイメージを剣に注ぎ込んだ。
まだ練習はしていなかったが、何度もゲームで使った氷の剣だ。
剣が青白い光を纏い、冷気を漂わせた。
ようやく、悠真の気配に気付いたらしい、影がこちらを向いた。
だが、もう遅い。そのまま袈裟懸けに振り下ろす。刃が影の体を深くえぐり、胸のあたりで止まった。斬っただけなら効果はない。案の定、胸まで剣が食い込んでいるのに、何の影響もなく剣を振り上げてきた。
「食らええっ」
氷のイメージを一気に剣に流し込んだ。剣からさらに白い冷気が迸る。胸から全身に向かって侵食するように氷結した。凍りつく音が辺りに染み込む。
『グオオオオオオ』
身動きは取れない。だが、断末魔の叫びのような思念が響く。
「どりゃああっ」
凍りついた体から剣を抜き、胴を横から思い切り薙いだ。さっきと違って、硬いものにぶち当たった感触が伝わる。
するとどうだろう、鈍い音をさせて、体が真っ二つに折れ、ゴトリとその場に転がったのだ。
「うわっ」
グロい光景に飛び上がりそうになったが、恐怖で青ざめた遥が目に入った。
「大丈夫か、遥!」
駆け寄ろうとすると、遥が悠真の背後を指差して叫んだ。
「悠真くん、後ろっ!」
「っ!」
振り返ると、もう一体がいつの間にか悠真の背後まで迫り、すでに剣を振りかぶっていた。
「クッ」
慌てて剣を構え、すんでのところで受け止める。
だが反応が遅れた分、体勢が悪い。筋力も向上したはずだが、それでも押し込まれた。顔のすぐ前まで剣身が迫る。
「くっ……」
さらに相手の剣が自分の鼻先まで来た。必死に堪えて、ようやく止まる。
「はあああああ」
悠真は再び氷のイメージを剣に流し込んだ。さっきの一撃で冷気が効力を持つということが分かった。
まるで吹雪のように冷気が影に向かって迸った。
黒い影が凍りつき動きが止まる。
「食らえ!」
それを見計らって、鍔迫り合いから剣を引き、腹に突き刺した。
まるで、絶対零度で凍りついた花が砕け散るような様で、黒い影が粉々になって地面に落ちる。
破片は、空気に染み込むように消えてしまった。
真っ二つに切ったはずのもう一体の死体もすでに消えていた。
「やったか……うわ、ま、まずい」
安堵したのも束の間、いつのまにか城門が大きく開いていたことに気づく。そして、その奥から今度は黒い影の大群が向かってきたのだ。軽く四、五十体はいる。その見た目だけで圧倒される数だ。
「これは無理だ。逃げよう!」
二体でこれだけ苦労したのだ。勝てるはずがない。
だが、よほど怖い思いをしたのだろう。遥は、地面に手をついたまま、真っ青な顔で目に涙を浮かべ、ただ茫然としていた。
「遥! 立って! 立つんだ!!」
悠真の厳しい声に、遥がビクッと体を震わせた。ようやく我に返ったのか、悠真が差し出した手を慌てて手を握りしめた。
悠真は、力を込めて引っ張り起こす。
遥の様子が気がかりだが、とにかく今はここから逃げなくてはならない。
馬のロープはすでに解かれている。悠真は素早く馬の向きを変えてまたがった。そして、馬上から再び手を差し出して、遥を引っ張り上げる。
「行くよ。しっかり掴まってて!」
「……」
返事はなかったが、後ろからしがみついてくるのを確認して、悠真は手綱を打って発進させた。
「ハイッ、ハイッ!」
そして、両足で脇腹を叩き、加速させる。
激しい仕打ちに驚いたのか、馬はブルブルと大きく頭を振りながらも、スピードに乗った。
流石に馬には追いつけない。
そう思ったのも束の間だった。
走り出してすぐ、大きな左カーブを曲がり切った時、数十メートル先に黒い塊が目に飛び込んできた。すぐに、それが黒い影の集団だと分かる。輪郭が視認しにくいが、ざっと二十体近くはいるだろうか。
彼らもこちらに気がついたらしい、一斉に黒い剣を抜いた。
「まずい、先回りされてる!」
振り返ると、まださっきの大群が追いかけてきている。しかも、思ったより近い。
(くそっ、どうすりゃいいんだ……)
悠真は逡巡した。ここで馬を降りて逃げるのは無理だろう。左は山の急斜面、右は崖だ。
だが、前の奴らをまともに相手にすれば、後ろの影たちに追いつかれ、挟み撃ちにされるのは目に見えていた。合わせて7~80体にもなる群れを一人で相手にするのは無謀だ。
(こうなったら、強行突破するしかない)
スピードと馬上であることを生かし、無理やり一気に駆け抜ける。
悠真は手綱を持つ手に力を込め、肩越しに叫んだ。
「遥! このまま突っ込むよ。落ちないように気をつけて!」
さらに強く遥がしがみつく。
だが、突然、左の急斜面から黒い物が飛び降りてきた。二体の影だ。
「きゃあああっ」
遥の恐怖に怯えた叫び声が響き渡る。
二体が並走しながら二人に掴みかかり、引きずり下ろそうとしてきた。
「うわっ」
「いやっ、離してっ」
遥が泣き叫びながら振り解こうとするが、影の力は強く、逆に彼女が馬から引きずり落とされそうになり、必死に悠真にしがみつく。
「遥っ! くそっ」
悠真は、すぐさま剣を抜き、冷気を纏わせた。そして、自分にしがみついている一体の頭に向かって、力任せに突き刺す。
頭蓋骨などはないらしい。他の部位と同じように簡単に刺さった。
「失せろ!」
念を込めると冷気が体内に回ったのか、影が凍りつき、動きが止まる。
だが、それを振りほどく暇はない。遥が必死にもう一体と格闘しているのだ。
「遥!」
影は左後方から遥にしがみついている。右で剣を持っていては届かない。悠真は剣を左手の逆手に持ち替えた。
そして、氷のイメージを剣に冷気を纏わせ、タイミングを測って後ろに突き出す。
剣は大した抵抗もなく影の腹部に刺さった。
「遥から離れろ!」
怒りに任せてさらに念を込めると、しがみついていた影が一瞬で凍りついた。
『グオオオオオン』
「今だ!」
悠真が叫ぶ。
遥が激しく振り解くと、影はそのまま地面に転がり、弾みでバラバラになりながら、後方に流れていった。
だが、もはやそれを確認している場合ではない。
すでに前方の黒い影の一団まで30メートルほどにまで近づいていた。しかも、みな黒い剣を持っている。そして、わらわらと道いっぱいに広がった。結構な速度で近づいているはずだが、蹄にかけられることをなんとも思っていないのか、引く気配はない。
「遥! 防御壁を掛けて自分を守るんだ!」
言いおいて、悠真は右手で剣を掲げた。あの人数の中を突っ込むのだ、たとえ自分の身を挺しても遥を守り切れない恐れがある。
そして、ありったけの念を剣に込める。剣が青白く光り冷気を纏う。
氷の呪文を撃って気がついたが、炎より氷の方が負担がかかるらしい。すでに、頭に鈍痛を感じている。いわばマナ切れに近い状態だ。
自分も防御壁を掛けたかったが、今から撃つ技が発動しない恐れがある。このまま突っ込むしかない。
だが、突然自分の前に半透明の壁が現れて、すぐに消えた。
「え」
一瞬戸惑ったが、何が起こったのかすぐに分かった。遥が自分に防御壁の呪文を掛けてくれたのだ。
「遥……」
自分の身よりも悠真の安全を優先させたと察し、なんとしても彼女だけは無事に脱出させるという決意を固める。
そして、あと10メートルほどまで迫った時、
「うりゃあああっ」
気合を込め前方に向かって振り下ろした。
数メートルの巨大な冷気の塊が、黒い影たちに向かって放出される。そして、ぶつかるやいなや、大半が凍りついた。
だが、凍らなかった数体がこちらに向かってくる。
「行け! 行くんだ!」
怯んだ馬を励まし、手綱を打ち、腹を蹴った。
馬は、抗議と恐怖のないまぜになった嗎を上げる。だが、それでも速度を上げて真ん中から突っ込んだ。
「うわあああっっ」
訳のわからない叫び声を上げながら、悠真は当たるを幸い右に左に剣を振り回し影を斬る。
氷結を逃れた数体が左右から悠真に向かって剣を振り下ろしてくる。
必死に振り払い、剣から冷気をほとばしらせ、影を凍らせ倒していく。さばききれない敵の剣が何発か防御壁で弾かれた。
そして、斬られた影たちは、次々と粉々になって崩れていく。
「行けえぇっっ!」
馬を鼓舞し、さらに加速させる。
その甲斐あってか、馬は怯むことなくあっという間に影の集団を駆け抜けた。
振り返ると、凍りついて動けなかった数体を含め、すでに影の死体も破片も消えていた。後ろから来ていた集団も、もう姿が見えない。
どうやら、危機は脱したらしい。
「……ふう。助かったよ!」
まだ油断はできない。だが、目の前の危機は乗り越えたようだ。悠真は一息つき、剣を鞘に戻した。
「よし、このまま街道まで出るよ。しっかり掴まってて!」
「……」
腰に回した手にぎゅっと力を入れ、遥がしがみついてくる。
とにかく、無事に済んだ。
周囲に警戒を払いつつ、悠真は手綱を握り直した。
ここに至るまで、悠真は必死だった。それゆえに気づいていなかったのだ。二人の人影が、少し離れた木々の間からこの一部始終を見ていたのを。
そして、悠真と遥が去った後、彼らは互いに頷き合い、その場を去った。
一方、悠真は出来るだけ急いで馬を走らせていた。
カーブの多い山道ゆえ、全速力というわけにはいかないが、とにかく後ろを追いすがっていた影に追いつかれる事態は避けたい。
そして、山道から街道に出て数分ほど駆けさせたところで、馬の速度が落ちてきた。再度、後ろを振り返り、追われていないことを確認して、馬の速度をゆるめる。幸いなことに、あれからもう待ち伏せはなく、他の魔物に遭遇することもなくここまで来ることができた。
「ふう。なんとか逃げ切ったみたいだ。遥、大丈夫?」
ようやく緊張が和らぎ、力が抜けて、肩越しに問いかける。遥はここまでずっと悠真にしがみついていた。
「……うん」
「もうここまでくれば大丈夫だよ」
悠真は励ますつもりで、背中から回された彼女の両手に自分の左手を重ねる。
「……」
「遥……」
悠真は彼女の体が震えているのに気がついた。
それも無理はない。高校2年の女の子が剣で何度も斬り付けられ、殺されかけたのだ。しかも殺意を持った不気味な生物に。
悠真が初めてゴブリンと戦った時、たった一体相手にしても腰が抜けたことを考えると、遥はむしろ勇敢だったと言える。あんな目に遭いながらも、シールドと回復呪文をかけてくれたのだから。そして、そのおかげで助かったのだ。
「ちょっと休憩しよう」
「……」
背中に顔を押しつけたまま、遥がうなずいた。
そしてまた、悠真の疲労もピークに近かった。アドレナリンが全開で感じなかったのか、ほっとした今、急に疲労感に襲われる。魔道の使用による頭痛も酷い。とにかく一度馬から降りて体を休めたい。
「……ここにしよう」
近くの開けた草地に馬を入れた。
見晴らしも良く、真っ直ぐな街道に面しており、後ろから追ってくればかなり手前で気付くことができるはずだ。
まず遥を下ろし、自分も降りたところで、ハッとする。
遥が涙ぐんでいたのだ。
「遥……」
「わたし……わたし……怖かった……」
はらりと一筋の涙が彼女の目から溢れる。
「……がんばったね。もう大丈夫だよ、ほら」
悠真は、遥を抱き寄せた。
「あ……」
遥は驚いたようだったが、すぐに身を委ね、悠真の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
悠真は出来るだけ優しく遥を抱きしめ、落ち着かせるように、彼女の背中をさすってやる。
「遥は僕が必ず守るから」
「うん……うん……」
どれくらい、そうしていただろう。
遥の嗚咽がやみ、震えが止まった。
彼女はその後もしばらく、悠真の胸に埋めたままじっとしていたが、やがて体を引いた。
「ごめんね。なんか、意気地なしなところを見せちゃった」
落ち着いたのか、照れ笑いを浮かべて、舌先を出す。
「あんな目に遭ったんだ。そんなの当たり前だよ」
力を込めて、遥を励ます。
「悠真くん……ありがとうね」
「こちらこそだよ。とにかく、二人とも無事で良かった」
「うん」
「とにかく、ここに長居すると危ない。とりあえず休憩したら、いったんプーカのところに帰ろう」
「うんっ」
少し元気を取り戻し、遥が笑顔でうなずいた。
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