第34話 カルウィン城の影


「やっと着いたね」

「うん……」


 二人は馬上から見上げて息をつく。


 最後の休憩地から数十分、途中から山に入り、曲がりくねる山道をひたすら登って、ようやくカルウィン城の目前までたどり着いた。


「……ここで降りよう」

「……分かった」


 今二人は、険しい峡谷の手前におり、城門まで到達するには、そこに掛けられている幅10数メートル、長さ100メートルほどの大きな石橋を渡らなければならない。

 だが、悠真はあえてその手前で降りることにした。

 それは、周囲の空気に何か張り詰めたものを感じていたからだ。それは遥も同じらしく、二人してどことなく緊張して馬から降りる。

 

 ここまでの道のりは快適で楽しかった。特に、遥と想いが通じたことで、デート気分だったのだ。

 だが、カルウィン城に続く山道に入ってから、周囲の雰囲気が変わった。

 辺りには人っ子一人いない。そして、時の流れる音が聞こえるほど静かだった。耳をすませば、峡谷の底に流れる渓流のせせらぎが辛うじて聞こえるぐらいである。

 いや、静かすぎると言った方が正しいだろう。ここまでの道のりで聞こえてきた鳥のさえずりや、風にそよぐ草木の音すらしない。生物の気配が全くないのだ。

 まさに、死に絶えた空間といった不気味さが周囲に漂っている。


 それは、カルウィン城も同じだった。

 全貌は見えないが、見上げるほど背の高い石壁に囲まれ、尖塔やら円形の建物やらが突き出ているのが見える。

 二つの大きな門塔に挟まれた城門は完全に閉じられており、やはりどこを見ても人の気配はない。



「馬はここに繋いでおこう」


 悠真は、山道脇に生えていた木の枝にロープを巻き付けて馬をつなぐ。

 馬も何か感じるのか、ブルブルと首を振った。


「……行こう、遥」

「うん……」


 二人は、城門に向かって歩いていく。砂利を踏んだ音が辺りに溶けていく。


 結局、シャーラから聞いていた魔物には遭遇しなかった。

 いや、それどころか、一般的な魔物も出てこなかった。


 日中の昼間で街道沿いを歩いている時は、さもありなんというところだろうが、鬱蒼とした山道を歩いてきても、何も出てこなかったというのは、不気味ではある。


 とはいえ、遥を連れている今は戦闘などない方が良い。


「……ねえ、悠真くん。黒木さんって、ここにいるのかしら」

「そういえば、そうだね」


 この雰囲気に飲まれて、二人ともどことなく小声で話している。


 ここに来れば黒木に会えるという思い込みで来たが、人気のない古城は、むしろ廃墟に近く、人が生活しているようには見えない。それに、ここは人里離れた山奥だ。生活するのは相当に難儀するだろう。


「会えなくても、とにかく先にキューブだけでも見つけて、状態を確かめよう。プーカにも相談できるし」

「そうね」


 橋を渡ると、そこはちょっとした広場になっており、その奥に城門がある。二つの門塔の間に備え付けられたアーチ型の門扉は、左右合わせて7、8メートル、高さは10メートルはあろうかという巨大なもので、しかも鉄の枠やら鋲が打ち込まれて強化されており、二人が押してもビクともしなかった。


「閉まってるのね。入れないのかしら」

「中からかんぬきでも掛けられてるのかも」

「それなら、外から開けるのは無理ね……」

「何とか中に入れるといいんだけど」


 二人は、それぞれに城門やその周囲を調べ始める。

 しばらくして、遥が声を上げた。


「あれ、悠真くん、これって、ドアになってるんじゃない?」

「え? ……あ、ほんとだ」


 遥の指し示す通り、右側の門扉の中、やや右寄りにアーチ型の小さな扉の輪郭が見える。門扉に扉が埋め込まれているようだ。おそらく、通用門の働きをしているのだろう。

 悠真が押してみると、今度は軋む音がしてわずかに動いた。


「あ、開くよ、これ」


 悠真が、10センチほど扉を押し込み、二人がこっそり中を覗き込む。

 その先は門塔に挟まれてできた石畳の通路のようになっていた。塔の影になっており薄暗い。その向こうは、広場らしく開けた場所のようだ。遮るものがなく日光に照らされている。そして、その数十メートル奥には本殿と思われる大きな建物がある。


 だが、完全に無人かと思った矢先、その出入り口に妙なものが見えた。


「待って、何かいる」

「ほんとね……何かしらあれ?」


 人の形をした影のような生き物が、門番をしているかのように入り口の両側に立っていた。

 見れば見るほど不思議な物体だった。

 全身が限りなく黒に近い紫色で、一部かすかに半透明な箇所もある。だが、影のようにのっぺりしておらず、立体的で、表面の凹凸も見て取れる。衣服などは全く身につけていない。


「悠真くん、あれ、何か知ってる?」


 ヒソヒソ声で遥が尋ねる。

 悠真は首を振った。


「いや、僕も見たことないよ。でも、どことなくこの世界の魔物とは違う気がする」

「そうね。魔物っていうより宇宙人って感じ」

「あ、言えてる」


 姿形といい、特撮モノに出てくる、なんとか星人と言われた方がしっくりくる。

 それに、魔物が城の門番をするなど聞いたこともない。


 それならば、プーカの文明に属するものだろうか。

 もしかしてキューブの護衛なのかと思ったが、プーカはそんなことは言ってなかったし、なによりもあまりにも不吉な感じする。

 と思ったところで、思い出した。


「……あれがシャーラさんが言ってたヤバイ魔物じゃないかな?」


 魔物に襲われた人が『黒い影』と表現していたと彼女は言っていた。

 目の前にいるのはまさに黒い影である。


「そっか、そう言われてみれば……うん。私もそう思う。……でも、どうするの?」


 不安げに遥が悠真の顔を見る。


「うーん……」


 何しろ村をいくつか全滅させた魔物だ。このまま中に入ってただですむとは思えない。それに、もしこの二体が単なる門番であるなら、当然ながら他にもいるはずだ。たとえ無事にやり過ごすなり別のところから入り込んでも、中で見つかる可能性が高い。

 メディカルチートにより強くなったとはいえ、戦ったことのない相手である。相手に通じるのかわからないし、しかも、門番を配置するという行為から考えて、相当に知能が高いはずだ。コボルドなどのザコ敵を相手にするのとは事情が異なる。


「……一度プーカのところまで戻った方がいいかも。プーカなら何か知っているかもしれないし」


 とにかく、素性が分からないと動きようがない。

 二度手間にはなるが、遥を危険に晒すよりはマシだと判断した。


「そうね。私もそれがいいと思う」

「じゃあ、とりあえずここから離れよう」


 だが、そうはいかなかった。


(ナンダ、キサマラハ!)


 脳に音声が流れ込んでくる。厳密には言葉ではないが、何を言われたかは明確に分かった。言わば意志が聞こえたのだ。おそらく、見張りの一人が発したのだろう。

 どうやら見つかったらしい。二体ともこちらに向かってきた。


「まずい、逃げよう!」

「う、うんっ」


 二人は慌ててその場を離れ、馬を目指して走り出す。

 だが、二体の影のスピードは早く、振り返るたびに距離が縮まっている。

 しかも丸腰かと思ったら、いつの間にか真っ黒な剣状の武器を手にしていた。体の色と全く区別がつかないので、もしかすると、奴らの一部なのかもしれない。


(このままじゃ、まずい……)


 なんとか橋を渡りきろうとする頃には、もう三十メートルほどしか離れていなかった。

 もはや、馬に乗る猶予はない。


「遥!」


 意を決して、並走している遥に向かって叫ぶ。


「何?」

「僕がここで引き止めるから、遥は馬のロープを外して逃げる準備をしておいて!」

「分かった!」


 遥はうなずいて、そのまま馬のそばまで駆けていく。


 悠真は、立ち止まり、振り返って剣を抜いた。


 こうしている間にも、黒い影は橋の中ほどまで迫ってきた。さっきから、殺意のような思念が痛いほど脳裏に響いている。


 正直言って恐怖はある。だが、遥を守りたいという気持ちが勝っているのだろう、体が震えるほどではなかった。

 剣を頭上に掲げ、炎のイメージを流し込んだ。それに合わせて剣が炎を纏い、そして急速に膨らんでいく。先程は、出力を上げすぎてプーカとマキシナを焦がしてしまったが、今度は、遠慮する必要はない。

 

 そして、あと影が10メートルまで近づいてきた時


「食らえ!」


 悠真は剣を振り下ろした。巨大な炎の玉が剣から放たれ、猛烈なスピードで飛んでいく。

 影が避けようとするが間に合わない。あっという間に直撃し、業火となり膨れ上がった。そして、影を完全に飲み込んだ。


『グゴオオオオオ』

『グワアアアア』


 苦しみなのか怒りなのかわからない念のほとばしりが耳鳴りのように脳裏に響いてくる。


「やった! すごいや」


 これが最適化の効果らしい、悠真は予想以上の火力に興奮し、声を上げた。

 この魔力は、ゲームでは言えばレベル90の自分のキャラと変わらないように見える。

 つまり、昨日まではレベル8程度だった自分が、いきなり無敵の勇者レベルになったようなものだ。


 しかし、喜ぶのはまだ早かった。

 業火の中から、炎を振り払うようにしてその二体が現れたのだ。しかも、全くダメージを受けた様子はない。


「え、な、なんで」


 悠真はうろたえた。これより遥かに低い火力でワーウルフが黒焦げになったのだ。

 消し炭になってもおかしくない。

 だが、影たちは真っ黒な剣を振りかざし、悠真に突っ込んでくる。


『シネ』

「うわっ」


 明確な殺意とともに、一体が斬りかかってくる。

 慌てて弾き返すと、影はバランスを崩してよろめいた。


「えっ、あれ?」


 昨日までよりも明らかに体が軽く、力強い。肉体は20パーセントしか向上していないとはいえ、体感的には相当に戦力アップしたと感じる。


「なんか、すごい!」


 魔力といい、肉体といい、まったく別人の強さである。思わず快哉をあげながら、しゃにむに剣を振り回した。

 よろけた影は防戦一方で剣をいなすだけだ。


(このまま、押し切って倒してやる!)


 悠真は夢中になって何度も剣を振り下ろす。

 だが、調子に乗っている場合ではなかった。


『グワアアアア』

「ッ!」


 もう一体が横から悠真に襲い掛かってきたのだ。なんとか、その黒い剣をギリギリのところで受け止める。

 体と全く同じ色の剣は、金属ではないのか、どこか鈍い音がした。


「くそっ……ググ……」


 もう一体にも気を付けていたつもりだったが、タイミングが遅れた。その分、体勢が悪く、弾き返すことができない。止むを得ず、剣を滑らせ鍔迫り合いに持ち込む。

 やはり、コボルトとは違う。二体を相手にするのは難しい。


 さらに


(なんだ、コイツ……)


 剣を挟んで間近に見る敵の顔は奇妙と言うしかなかった。

 見た目はバッタやコウロギを思い起こさせるような顔つきである。ただ、目も鼻も口も完全に体と同じ色であり、それぞれの部位は全く動く様子はない。まるで濃い紫の粘土を型押ししただけのデスマスクのような造形だ。いや、顔だけではなく、身体中が同じ色である。不気味というか、生物として不自然なことこの上ない。しかも、輪郭が妙にぼやけている。


「おっと」


 鍔迫り合いをしながらも、もう一体に気を配り体を入れ替える。二体に挟まれてはいけない。常に一体が悠真の隙を窺っているのだ。

 悠真は再び戦いに集中する。


「いくぞ!」


 そして、剣を合わせたまま、再び炎を発動させた。

 剣から猛烈な炎が吹き荒れ、影の上半身を覆い尽くす。


『フオォォォ』


 影が、叫びともつかない奇怪な思念を発しながら体を引いて、まとわりつく炎を振り払う。

 炎が効かないことは分かっている。悠真は、さらに踏み込んだ。

 果たして、影はすぐに立ち直り、悠真に斬りかかってくる。だが、それを予測していた分だけ、悠真の方が早かった。まともに肩口から袈裟懸けに斬った。

 確かな手応えが剣から伝わる。

 

『グワアアアア』


 苦悶の喚きが脳裏に響く


(あと一体!)


 だが、返す刀でもう一体に向き合おうとした時、切り捨てたはずの一体が襲いかかってきた。


「えっ……」


 悠真は不意を突かれた。

 深々と切った手応えはあったのだ。

 確かに、他の魔物とは違う感触だった。まるで羊羹や粘土を切るような、均質で柔らかい物体を切ったかのような不自然なものだったが、それでも、ちゃんと斬ったことには変わりない。

 だが、血らしきものも流れていないし、そもそも切った跡すら見えない。

 その動きからして、全くダメージを与えられなかったのは明らかである。


(くそっ、一体どうなってんだ……)


 脳内で呪詛を吐きながら、飛んできた剣を何とか受ける。しかし、注意が逸れた隙に横からもう一体の剣が飛んできた。


『オオオォォ』

「しまっ……」


 必死に身をよじるが、今度はかわしきれなかった。

 左肩をえぐったらしい、突き刺さるような激痛が全身を走り、血しぶきが舞う。


「グッ」


 うめき声を漏らしながらも、なんとか二体から飛び退り、距離を取る。

 

「悠真くん!」


 背後から遥の案ずるような叫び声が聞こえてきた。萎えそうになった気持ちが、勇気づけられる。

 自分が死ねば彼女も死ぬ。彼女を救うためには、自分がこの二体を倒すしかない。


(こんな傷ぐらいで!)


 気合を取り戻し、剣を振り回しながら、一体に突っ込んだ。

 だが、再び飛んできた黒い剣を受け止めた時、斬られた肩口から激痛が走った。相手の剣を止めることができず、なんとか横に流すが、バランスを崩して大きくよろめいた。同時に、いつのまにか悠真の背後に回ったもう一体が視界に入る。それは、まさに剣を振り下ろすところだった。

 かわすには体勢が悪すぎる。しかも防御壁は消えていた。発動するのは間に合わない。


「いやあぁぁぁ、悠真くんっ!」

「……っ」


 激しい遥の叫び声が聞こえる中、悠真は自分に振り下ろされる剣を、ただ悪夢のように見つめることしかできなかった。


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