第27話 夢の時間



「うわあ、いい部屋だね」


 招き入れられて、悠真は感嘆の声を漏らした。


 遥の部屋は、20畳ぐらいの部屋で広々としている。二つの大きな窓のせいか室内は明るい。

 調度品は多くない。窓際に置かれたベッドと、四人がけのテーブルにイス。あとは、小さな棚とクローゼットが見えるだけだ。

 ただ、部屋の奥にイーゼルと描きかけのキャンバス、そしてそばの小さな台の上には絵具やパレット、瓶に立てられているたくさんの筆が見える。


 長期滞在者用ということで、おそらくずっと住んでいるせいだろう。宿の部屋という感じはしない。まさに彼女個人の部屋といった温もりが感じられた。


「やだ。散らかってるから、あんまり見ないで」

「え」


 遥が慌ててベッドに行き、無造作に置かれたパジャマらしき服を片付ける。


「ご、ごめん」


 慌てて悠真も目を逸らした。そういえば、女の子の部屋に入るのは初めてだと気づく。


「ううん。私も、もう少しきちんと片付けてたらよかったんだけど、まさか悠真くんが来てくれるなんて思わなくて……。あ、適当に座ってね」

「ありがとう」


 悠真は、テーブルの椅子のうち、ベッドに背を向ける方の一つを選んでおずおずと座った。


「こんないい部屋、高いんじゃないの?」


 失礼にならない程度に周りを見回しながら、背中越しに話しかける。この部屋の調度品が結構いいものに見える。広さだけでなく、そこそこ高級感もあるのだ。


「この間までは、もっと狭い部屋を借りてたのよ。でも、絵が少しづつ売れるようになって、こっちに移ったんだ」

「へえ、絵が売れるって、すごいね。あ、そういえば、画材店で遥ちゃんの絵を見たよ。あれ、僕たちの学校だよね?」

「あ、分かった?」


 遥はベッドから戻って、悠真の向かいに腰掛けると、嬉しそうに微笑んだ。


「ここに来たときは、街の風景を描いてたんだけど、そのうちに寂しくなっちゃって、気晴らしに元の世界の絵を描いてみたの。そしたら、シャーラさんが、すごく褒めてくれて、絶対売り物になるって言ってくれてね。それで、試しに画材屋さんに持って行ったら、気に入ってくれたんだ。それ以来、何枚か描いて売ってもらったのよ。この世界の人たちには幻想的とか異世界チックに見えるんだって。それで、ファンタジーが好きな人たちに売れるみたい」

「へえ」

「異世界の絵が描きたくてここに来たのに、変よね」


 はにかんだ笑顔を見せる。それは、相変わらず愛らしかった。


「はは。僕たちの普通の光景が、ここでは異世界に見えるのか、そりゃそうなんだろうけど、おもしろいなあ」

「……でも、よくここが分かったね」

「うん、ウルムの村でカサラさんから聞いたんだよ。遥ちゃんがこの町に向かったって」


 そして、海底神殿に連れて行かれたことから、ここまでの経緯を簡単に話した。


「……そうだったんだ。わたし、もう一ヶ月以上経つし、誰も助けに来てくれないのかもって、諦めかけてたんだ。さすがに二人も帰ってこないんじゃ、もう転送させないだろうって」

「お姉さんは、そんな感じじゃなかったよ。国のプロジェクトってことよりも、とにかく遥ちゃんを連れ戻すために、転送できるヤツは片っ端から問答無用で転送するって感じだったな」


 ここまでの成り行きを思い出し、悠真は苦笑いした。

 キューブを使える遺伝子保持者の数を考えれば、ベストの状態で送り込むのが当然だ。だが、薫は、悠真がほとんど準備できていない状態で、半ば強引にこの世界に転送させた。次のキューブ稼働期間まで待てなかったせいだ。それは、遥の身が心配だったからに違いない。


「ふふ、そこまでしてくれたんだ」

「うん。でも、この街まで来て、誰も遥ちゃんを十日ほど見てないって言うから心配してたんだよ。どこか行ってたの?」

「ううん。逆よ。この部屋に引きこもって、あの絵を描いてたの。頼まれたから」


 イーゼルのキャンバスを指し示す。

 それは、塗りかけの絵だった。日本のどこかの城が描かれていた。建築様式がこの世界とは全く違うため、異世界の建物に見えるのだろう。


「なるほど、それで……さすが売れっ子画家だね」

「やだ、からかわないでよ」


 遥が照れ笑いする。


「あ、そうだ、それで思い出したけど、画材屋の人が、高校の絵が売れそうだって言ってたよ。それで、次のを早く欲しいんだって」

「ホント? よかった。これでまたしばらく生きていけるわ」


 遥が嬉しそうに微笑んだ。


「あ、でも、悠真くんが迎えに来てくれたんだから、これから帰るんだよね。次の絵はもう間に合わないかな」

「え、そ、それは……」


 彼女の期待に満ちた表情を見て、悠真は目を伏せた。

 これから、彼女に残酷な告白をしなければならないのだ。


「……」

「どうしたの?」

「僕、遥ちゃんに謝らないといけないことがあるんだ」


 悠真は心を決めて、顔を上げた。まっすぐに遥を見る。


「えっ? どういうこと?」

「がっかりさせてごめん。実は、君を探しにきたんだけど、帰る方法がないんだ。ウルムのキューブが壊されて、僕も帰れなくなったんだよ」

「……」


 どうにかして帰る方法が見つかったのだと思っていたのだろう、遥の顔が見る見るうちに沈んでいく。それを悠真は罪悪感でいっぱいになりながら見つめた。

 遥はうつむき、しばらく黙ったあと、ポツリと漏らした。


「そっか……」


 失望と諦めが綯交ぜになったような彼女の声を聞き、悠真はいたたまれなくなった。


「ごめんね、ぬか喜びさせちゃって……」

「ううん。いいの。悠真くんが来てくれただけで心強いし、っていうか、私のせいで悠真くんも帰れなくなったんだよね。ごめんね、私……悠真くんに酷い目に合わせちゃった」

「そんなことないよ!」


 涙目で声を震わせる遥に、思わず大きな声を上げる。彼女は驚いたように悠真を見上げた。


「悠真くん……」

「遥ちゃんのせいじゃない。あの黒木って人がキューブを壊したから悪いんじゃないか。それに、僕は君に会いたくて、自分で望んでここに来たんだ。こうやって無事に会えただけで、よかったと思ってるし、後悔はしてないよ」

「……」


 遥はしばらく黙っていたが、悠真の言葉に安堵したのか、涙を指で拭って微笑んだ。


「ありがとう。そう言ってくれるなら、少し気が休まるよ。……お姉ちゃんが言ってたけど、悠真くんはこの世界のこと詳しいんだよね?」

「うん、ゲームで散々やったから。だから、帰る方法を一緒に探そう。まだ諦めるのは早いって」

「そだね。……うん、少なくとも一人じゃなくなったし、それに、悠真くんに会いたかったから……わたし……」

「え……?」


 悠真が問い返すと、遥が何を口にしたのか気がついたように、頬染めて話を逸らした。


「あ、あの、悠真くんケガしてるんじゃないの? 血が滲んでるよ」

「ん? ああ、これ? ここに来る途中で魔物と戦ったから」


 見ると、確かに左腕から血が滲んでいた。どうやら止血しきれなかったらしい。


「じゃあ、ちょっと上着を脱いで。私が治してあげる」


 遥が立ち上がって、悠真のそばまで来る。


「いいよ。そんなにたいしたケガじゃないから」

「ダメよ。ひどくなったら大変だから」

「そう? それなら……」


 悠真が上着を脱ぐ。左腕に包帯がわりに巻いたボロ布に血が滲んでいた。


「ちょっと見せてもらうね」

「うん」


 悠真は、遥が自分の左腕を取ってボロ布を外すのに身をまかせながら、彼女が言ったことを思い出して違和感を感じた。


(あれ? 今、「手当てしてあげる」じゃなくて「治してあげる」って言ったよな)


 どういうことだろうと悩む暇もなかった。

 彼女が何か念じるようにじっと悠真の腕を見つめると、いきなり淡い緑色の光が傷の周辺を覆ったのだ。傷の周辺部がじんわりと温かくなる。


「へっ?」


 やがて緑の光が消えると、傷も消えていた。

 焦って手で腕を探るが、傷跡すら残っていない。


「ケガが治ってる。これって……」

「私、魔法が使えるようになっちゃった」


 遥は、「てへ」という声が聞こえるかのような、はにかんだ笑顔で舌先を出した。


「は、遥ちゃんも、使えるようになったんだ」

「あら、もしかして悠真くんも? 驚いたわよねえ」

「う、うん……。どこで習ったの? ギルド?」

「ううん。転送されてからフューコットに行く途中で、エリーザさんっていう魔道師のおばあさんと知り合ってね。大きな荷物を持って歩いてたから、家まで運んであげたんだけど、家事とか雑用してあげる代わりに、2、3日ほど家に泊めてくれたの」

「へえ」

「それで、ウルムまで一人で行くのは危ないからって、魔道も教えてもらって。何日かかかったけど、簡単に使えるようになって、びっくりしちゃった」

「ああ。その気持ちは分かるよ」


 悠真も自分が初めて炎の剣を出したとき、どれほど驚いたのかを思い出して苦笑いする。


 それから二人は、これまでのことをお互いに教え合った。

 一月半も離れ離れになっていたのだ。積もる話は山ほどあった。特に、彼女はこの間ずっと高校を欠席している。学校の話を聞きたがった。


 これは、悠真にとっては夢のような時間だった。学校でも彼女とは話をするが、授業の合間に話す程度だし、ぼっちの自分とは違って、彼女には仲の良い女友達がいる。二人っきりでこんなに話したことは初めてだった。



 そして、夢中になってかなり話し込んだ頃。

 いきなり悠真の腹が盛大に鳴った。


「あ、ごめん」


 照れ笑いして、頭をかく。昼に弁当を食べて以来何も口にしていないことに気がつく。しかも、途中、何回か魔物と戦って、ウルムからこの街まで歩き、さらには遥を探して町中を歩き回ったのだ。

 窓の外を見ると、いつのまにか日が沈んで、夜空になっている。


「うわ、もう夜だよ。全然気が付かなかったな」

「もうとっくに夕飯の時間過ぎてるわよね。どうしよっか」


 遥が思案げに人差し指を口元に当てる。そして、何か思いついたのか破顔した。


「そうだ、シャーラさんが働いてるお店に食べに行かない? さっき、誘ってくれてたよね。シャーラさんのお店って、すっごく美味しいんだ」

「うん、それでいいよ」

「じゃあ、もう行く?」

「うん」


 二人は身支度を整えて、部屋を出た。

 悠真はもともと荷物などないも同然である。遥は、スモックを脱いで、ブラウス姿になった。


 外は、とっくに日が暮れて、空には満天の星空と大小二つの月が見える。

 だが、この大都市は不夜城のごとく、通りには灯りが灯され、店先のランプや提灯なども相まって、かなり明るく、そして、昼間と同じくらい人通りが多かった。仕事が終わり遊興の時刻であるためか、より陽気で楽しげな雰囲気が感じられる。すでに、酔っ払って出来上がっている人たちもいた。また、夜風が心地よい気候のせいか、店先に客席を設けている飲食店も多く、街は華やいでいた。


 悠真にとって、こんな時間に女の子と二人で歩くのも、夕食を食べに行くのも、初めての経験である。しかも、ただの女の子ではない。相手は遥だ。


(これは、もしかしてデートというやつなのでは?)


 思わずニヤつきそうになるのを必死で堪える。

 つい1ヶ月半前までは、一世一代の決心で、LINEの交換を申し込もうとしていたのだ。それを思えば、ものすごい進歩である。


「どうしたの? 嬉しそうな顔してるよ」

「え、あ、いや、楽しいなって」

「そう? 私もよ」


 遥の楽しそうな笑顔を見て、ますます心が浮き立つのを抑えられない悠真であった。



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