第22話 ウルムのキューブ(1)
それから一時間後。
悠真は無事にウルム村に到着した。
ワーウルフと戦った後は、大した魔物も出てくることもなく、快適な道のりだった。
ウルムは、数百戸の集落に、酒場や宿屋、小さな店が何件かあるだけの何の変哲も無い普通の村だ。周囲には畑と草原が広がり、その奥は山や森である。
ここからいくつかの大きな街につながっているが、フューコットに近いため、あえてこの村に滞在するものは少ない。ただ、フューコットに向かう者の最後の休憩地、あるいはそこを発つ者の最初の休憩地として、旅行者や商隊相手の宿屋や飲食店、ちょっとした土産物店などは備えていた。
ゲームでもほとんど用のない場所だったが、悠真も一度来たことがあり、おおよそのところは覚えていた。
村に入ると、中心部には井戸がありその周辺が広場になっている。そして、それを取り囲むように家や店が建っていた。井戸の周りで数名の女性が洗濯をし、子供たちが駆け回って遊んでいる。
(まずは酒場に行って、話を聞いてみるか……)
酒場には村人だけではなく、行商人や旅行者など様々な人間が立ち寄る。そして、カウンターに座った客は主人と様々な話をすることから、酒場の主人には情報が集まるのだ。これはゲームでも実際の世界でも同じである。
うろ覚えだったが、大通りから一本中に入った通りに向かった。
そして、ゲームの記憶通りの場所に見つけ、中に入る。
まだ日が高いせいか客はまばらにしかいなかった。
向かって右側にカウンターがあり、その中にいた主人らしい中年男性が声をかけて来た。
「らっしゃい」
「あ、えっと、すみません、ちょっとお尋ねしたいことがあって」
「どうした? おめえさん、見かけねえ顔だな。行商にでも来たのかい?」
「あ、いえ、えーと……」
悠真は言葉に詰まった。どう切り出せばいいか悩んだのだ。
だが、主人の方が意外な助け舟を出した。
「もしかして、お前、ニホンって国から来たんじゃねえのか」
「え、そ、そうですけど、どうして分かったんですか?」
「お前を探しているお方がいるんだよ」
「へっ?」
悠真は驚いた。この世界に現れたばかりの自分を知っている人間など、ここにはいないはずである。
「あ、すまん、正確に言うと、お前本人じゃなくてニホンから来た奴ってことだよ。ちょいとワケありでな。メリサ、ちょっと来てくれ」
主人が、おそらく調理場と思われるカウンターの奥の部屋に向かって声をあげた。
エプロンで手を拭きながら出て来たのは、恰幅の良い40代ぐらいの女性だった。主人の奥さんらしい。
「あいよ。どうしたんだい。あれ、この子……」
メリサはカウンターに入って来て、悠真に気がついた。
主人が頷く。
「そういうことだ。すまねえが、ひとっ走り知らせて来てくれ」
「分かった。ならちょいと行ってくるよ。アンタ、名前は?」
「ゆ、悠真です」
「ユウマね。すぐお連れするから待ってておくれよ」
「は、はあ」
メリサは急ぎ足で出ていった。
「すぐ来られるはずだ。茶でも入れてやるよ、ちょっと座って待っててくれ」
「はい……」
今ひとつ腑に落ちなかったが、主人に勧められ、一番手前のカウンター席に座る。
(どういうことだろう?)
悠真本人ではなく、ニホンから来た人間を探しているということは、これまでにここに来た者についての話だろうと当たりをつけた。もしかして、遥と黒木の消息に関わる話かもしれない。それなら渡りに船である。
「あ、あの、お聞きしたいことがあるのですが……」
「何だい?」
「ここに僕以外にニホンの人が来たんですね」
「ああ、時期はバラバラだが、2人、いや3人来たぜ」
(3人‥…ということは、ヤマさんと黒木って人と、遥ちゃんだ)
「……そのうちの1人は、遥という名前の17歳の女の子ですか? 黒い瞳で、少し短めの黒髪なんですけど」
「ハルカ? いや、名前は知らないが、そんな感じの女の子が来たな。確か、一ヶ月半くらい前だと思うぜ」
「ほ、ホントですか!」
悠真の胸が高鳴った。少なくとも彼女はここまでたどり着いたのだ。
「それで、彼女はここに来た後、どうしたかご存知ですか?」
「ああ、確か、アル・ケインズに行ったって聞いたぜ。それからは見てないな」
「そう……ですか……」
アル・ケインズは王宮がある都市である。フューコットよりも格段に大きい。悠真もしばらくそこを拠点にしていたこともあった。
(ということは、そこで何かあったのか、あるいは、その途中で……)
なぜ、彼女はまだ帰還しないのか。
考えたくもない想像が頭に浮かんでくるのを、悠真は必死で押さえつけた。
(いや、何かあったなんてまだ分からない。単に絵を描くのに熱中しているのかもしれないし……)
彼女は、見たことのない世界の絵が描きたくてここに来たのだ。それに、元の世界に帰ったら、もう二度と来ることができないかもしれないことは彼女も分かっているだろう。あくまで国家のブラックオペレーションであって、海外旅行ではないのだ。
そして、それならば、出来る限り長く滞在し、絵を描けるだけ描こうと考えても不思議ではない。
(でも……)
それでも、2ヶ月近くも帰ってこないことがあるだろうか、という疑念は消えない。
(とにかく、アル・ケインズに行ってみよう)
彼女を探すには、足取りを追うしかない。ここからアル・ケインズまでは、フューコットからウルムよりも遠いが、歩いて行けない距離ではなかったはずだ。
そこまで考えてから、もう一つ尋ねるべきことがあるのを思い出した。
「あの……、この村にキューブがあるって聞いたのですが、ご存知ですか?」
「キューブ? 何だそれ?」
「金属でできた大きな立方体のかたまりで、のっぺりした感じの……」
「ああ、古代神殿遺跡にあるヤツだな。それなら、この近くの森の中にあるぜ」
「そうですか! よかった……」
悠真は安堵した。少なくともこれで帰れる目処がついたことになる。
「だが、おめえさん、あの四角いやつは……」
「え?」
主人が何か言いかけたところで、突然、かなりのスピードで馬車が走ってくる音が聞こえた。そして、店の前で急停止する。
「お、来なすったな」
果たして、ドアが勢いよく開けられた。メリサだった。
「お連れしたよ」
そして、後ろにいた人物を招き入れる。入ってきたのは二十歳ぐらいの若い女性だった。
整った顔立ち、腰まで届きそうな栗色の長い髪、茶色の瞳、そして村人にしては質の良いドレスを来ている。どこなく育ちの良さそうな上品な感じがする。
女性は、悠真に気がつくと、なぜか安堵のため息をつき、すがるような目で見つめた。
「……この方ですね」
「そうでさ」
女性が悠真のそばまで近づいてきた。
「え、あ、あの……」
戸惑って声をあげると、彼女は我に返ったように頭を下げた。
「突然申し訳ありません。私はカサラと申します。この辺りを治める地方貴族の娘ですわ」
「はあ……どうも……」
話が見えない悠真は、あいまいに頭を下げた。
「あの、不躾なことをお伺いしますが、あなたはもしかしてケイゴをご存知ありませんか?」
「えっ」
「ニホンから来られたのでしょう? それならケイゴ・ヤマシナさんをご存知ないですか?」
いきなりヤマさんの名前が出て来て驚いた。
だが、ギルドで顔が効く担任のことである。ここで知り合いがいても、おかしくはない。そして、悠真はもう一つピンと来ることがあった。
「はい、僕はヤマさん、じゃない、ケイゴ先生の生徒です」
「ああ、そうなのですね。あの人の教え子……」
「ということは、もしかしてあなたが先生の……」
ヤマさんがアヴァロンに来て失恋したと薫から聞いていたのを思い出したのだ。
そして、悠真の言わんとする所を察したらしい。カサラが頷いた。
「ええ、そうです。……私のこと、聞いてるのですね?」
「先生の知り合いからある程度は……」
「そう……ですか」
カサラは少し俯いて何事かを考えていたが、顔を上げた。
「それなら話は早いですわ。実はあなたにお願いしたいことがあるのです。ここでは何ですので、私の家に来ていただけませんか?」
「え、でも……」
悠真が戸惑っていると、主人が横から口を挟んできた。
「お嬢様、コイツは前にここに来た女の子を探してるそうですぜ。あと、古代神殿のブツも」
「女の子……。それって、ハルカのことですね?」
「は、はいっ、そうです。ご存知なんですか?」
彼女の名前が出てきて驚いたが、それだけでなく、その言い方は、遥のことをよく知っているという響きが感じられた。
「ええ、知っています。それでは、こうしましょう。私の家に来て、話を聞いてくれたら、ハルカと他の方々の話もお教えします。それなら、かまわないでしょう?」
「分かりました。そういうことなら行きます」
「良かった。それじゃ、外に馬車を待たせているので……」
ようやく手がかりらしい手がかりを得られるかもしれない。期待が胸にこみ上げる。
だが、先に済ませたい用があったことを思い出した。
「あ、でも、その前に古代神殿の遺跡を確認したいのですが、いいですか」
とにかく、先にキューブからプーカを呼び出し、送り返してもらう段取りをつけたかったのだ。
「ああ、古代遺跡にある遺物のことですね。でも、あれは……」
カサラが言い淀む。
そういえば、主人もなにか言いかけていたことを思い出す。
嫌な予感が、黒い雨雲のように心に広がった。
「……何かまずいことでも?」
「あなたは、まだご存知ないのですね?」
「な、何を……?」
「あれは、破壊されたのです」
「えっ……?」
息が止まり、体が硬直する。混乱して頭が回らず、何か言おうとするが言葉に出ない。
だが、これだけは分かった。
元の世界に帰れなくなったのだ。
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