第19話 アヴァロンの掟
「この辺りでいいだろう」
「ここは……」
マリディアに連れられてやってきたのは、見慣れた森のそばだった。
初めて
「ここはコボルドの生息地に近い。ここで奴らと戦ってみろ。私は離れたところで見ている」
「は、はい」
彼女はそのまま数十メートルほど後方の大きな木まで行き、その陰に隠れてしまった。
悠真は緊張しながら、コボルドが出てくるのを待つ。
前回、ほんの何時間か前に戦ったことがフラッシュバックのように脳裏に蘇る。
あの死体もその辺に転がっているだろう。
あの時は死を覚悟したが、今回は違うはずだ。
曲がりなりにも一度戦ったことが大きい。
それに、今度は魔道がある。
だが、ビクビクしながら待っていた割には何も起こらない。
相変わらず辺りは平和で、鳥のさえずりが聞こえるだけだ。
晴れた空が、少しずつ沈みかけている。
(こういう時に限って出て来ないんだよな)
悠真は、思わず苦笑した。
魔物が、都合の悪いときにはすぐ現れるのに、出てきてほしい時に出てこないというのは、ゲームの世界と同じである。
と言って、彼らの縄張りである森の中に入ればすぐ出くわすのだろうが、それは危険であった。
仕方なく、草むらに向かって剣を振り回して、ガサガサと音を立てる。
「お、出たな」
物音に誘われたのか、しばらくすると森の中から一体のコボルドが現れた。
「キキーッ」
コボルドは、悠真を見ると剣を抜き、近づいてきた。どうやら自分だけでも勝てると踏んだらしい。
悠真も剣を構え、意識を集中して炎の剣を出す。
(大丈夫。僕は、落ち着いている)
前回とは雲泥の差だ。
最初から戦う気でいること、そして防御壁の術をかけることで、多少斬られても問題ないという思いがあった。そのせいで、心に余裕を持てている。無論、いざとなればマリディアが助けてくれるという思いもあった。
とは言え、油断ができないこともわかっている。
防御壁が機能するのは、あくまで正面からの攻撃だけだ。横からや後ろからの攻撃には役に立たない。体の正面で攻撃を受け止める必要がある。さらに、衝撃も全て吸収されるわけではない。分厚い布地を何枚か重ね着している程度の吸収力のはずだ。
ゲーム内で巨体のオークと戦って、まともに斧を食らった時は、衝撃で吹っ飛ばされ、結構なダメージを受けた覚えがあったのだ。
たとえコボルドの攻撃でもまともに食らえば、骨にヒビが入るかもしれない。
当たってはいけないのは変わらない。
「キキキッ」
甲高い声を出して、いきなりコボルドが剣を振りかざして突っ込んできた。
「行くぞ!」
気合いの声を上げて、迎え撃つ。
悠真は振り下ろされる剣を受け止め、力任せに弾き返した。
剣の炎が膨れ上がり、コボルドの顔をかすめる。
「キキキーッ」
コボルドが炎を避けようと体勢を崩した。
「そこだ!」
返す刀で肩口から袈裟斬りに振り下ろす。
「ギャーッ」
コボルドは炎に包まれたまま、激しく血を噴きださせ、その場に崩れ落ちた。
そして、すぐにピクリともうごかなくなった。
再び、辺りにのどかな光景が戻る。
「お、おお……勝った……のか……」
そろそろと近づき剣で突いてみるが、ピクリともしない。ブスブスと火がくすぶっているだけだ。
「は、ははっ、やった……」
急に緊張が解け、悠真はその場にしゃがみ込んだ。
先刻初めて戦った時は、突き出した剣に向こうが勝手に突っ込んできたようなものだった。だが、今回は、自分の力だけで勝ったのだ。
剣を鞘に収めて、両手を見つめる。
(自分の力で勝ったんだ……)
ケンカはおろか、体育の剣道でも勝ったことがない悠真にとって、格闘における初めての勝利であった。
むろん、見境なく人を襲う魔物とは言え、生き物を殺傷した苦さと罪悪感はある。だが、向こうは明確な殺意を持った相手だ。殺らなければ殺られる。
文字通り命をかけた戦いを生き延びた安堵感、そして、生まれて初めて感じる気持ちの高ぶりに浸っていると、いつの間にかマリディアが後ろに来ていた。
「なかなかやるではないか。どうだ、気分は?」
「は、はい。僕、こういうことで勝ったことがないので、不思議な感じです」
「ほう。だが、筋は悪くない。修行を積めばモノになるかもしれんな」
「ありがとうございます!」
運動オンチでろくに喧嘩もできない身として、このように前向きな評価をもらったのは初めてである。悠真は、嬉しくなった。
「む」
だが、何かを感じ取ったかのように、マリディアが顔を上げて街を振り返った。そして、じっと見つめる。
「マリディアさん?」
「いや、なんでもない。……では、もう一度だけ実戦をして終わりとしよう」
「ハイっ」
やる気に満ちて、悠真が剣を取り立ち上がる。
マリディアが再び後方に下がった。
しばらくして、また草むらを掻き分ける音がして、茂みの中から一体のコボルドが現れた。
「お、来たな」
剣を構え直す。
だが、それだけではなかった。
「えっ?」
さらに、二体のコボルドが続いて現れたのだ。三体の群れだ。
(ま、まずい……)
さすがに三体を同時に相手にして勝てるとは思えない。
血の気が引くのを感じる。
慌ててマリディアに助けてもらおうと後ろを振り返るが、彼女の姿はどこにもなかった。
(そ、そんな……)
さっきまで、木の陰にいたはずだが、全く人影もなくなっていた。
(いざとなったら助けてくれるんじゃなかったのか……)
だが、それを追求している場合ではなかった。
気がつけばすでに囲まれていたのだ。そして、ジリジリと距離を詰めてくる。
もはや逃げられないことは明白だった。
(こ、こんなの無理だって……)
殺される。
その思いに足が震え始める。
「ヒッ。く、くるな、こっちに来るなよ」
半ばパニック状態で、右に左に後ろに、三方のコボルドに剣を向けて牽制するが、彼らは意に介さず、ジワリと近づく。その手には剣が握られていた。
「キキイッ」
そして、背後にいた一体が襲いかかってくる。
「うわあっ」
慌てて後ろを向いて剣を受け止めた。だが、それは、正面にいた一体に背中を見せることになる。
「キヒヒヒッ」
案の定、背後の一体が襲いかかってきた。
(まずい!)
受け止めている剣を慌てて押し返して、振り返ろうとしたが遅かった。体を正面に向ける前にコボルドの剣が脇腹をえぐった。
血が飛び散り、焼けるような痛みが全身を駆け巡る。
「ぐうっ」
「キャヒッ」
さらに、グラついたところを、もう一体に飛びかかられ、今度は左の肩口を切られた。
溢れんばかりに血が噴き出す。
防御壁が全く役に立っていない。
「クソっ」
右手一本で剣を遮二無二振り回すが、すばしっこい彼らに当たるはずもなく、馬鹿にするような声を上げて飛びずさり、悠真から距離をとった。
出血のせいか眩暈がしてきた。足元がおぼつかない
(何とかしないと、死ぬ……)
このままでは一方的にやられて終わる。
悠真は、もう一度剣を大きく振り回して、距離を取らせると、カバンの外ポケットにあるポーションを素早く取り出し口に流し込んだ。
緑色の淡い光に包まれる。
悠真は体が全快したのを感じて、フッと安堵の一息をついた。
初戦で死にそうな目に遭った時、ポーションをすぐ取り出せるように、外ポケットに差しておいたのだ。それが功を奏した。
キキキーッ
ギギッ
悠真が回復したことが分かったのか、コボルドが不満そうな声を上げた。
だが、ポーションには限りがある。また、コボルドも次は飲む暇を与えてくれない恐れがある。
(やっぱり、自分で倒すしかない)
(そうだ、僕は、ここで死ぬわけにはいかないんだ)
遥の愛らしい笑顔が脳裏に浮かんだ。
遥のもとになんとしてもたどり着き、連れて帰らなければならないのだ。
覚悟が決まると、震えが治まった。すでにマリディアの存在は頭になかった。
剣を握り直しながら、頭をめぐらせ、段取りを考える。
(まずは頭数を減らす)
とにかく一体でも減らせば、負担と受けるダメージは減る。
ここはゲームの世界ではない。死ねば死ぬのだ。どこかの教会で生き返るとは思えない
相手を倒すより自分が生き残る戦法が必要である。
(よし、行くぞ)
頭の中で段取りを確認して、決意を固める。
「ウワアアアアア」
剣を振り回しながら、大声を上げて前方の二体に突っ込んだ。いや、その振りをしたのだ。
「キキッ」
そして、その二体が防御姿勢を取ったとみるや、途中で踵を返して、背後のコボルドに猛然と突っ込んだ。
その一体は、悠真の背中を狙って機会を伺っているところだった。
「ウキャーッ」
いきなり悠真が振り向き突っ込んで来たのでたまげたらしい。慌てふためいて剣を振り下ろす。
「くらえ!」
悠真はあらん限りの力で剣を振り、コボルドの剣を横から思い切り弾き返した。
もともと身長と体重には差がある。コボルドが捌ききれずに態勢を崩し、体を開いた。
(今だ!)
刀を返して、叩き斬る。
「ギャアアッ」
断末魔の叫び声を上げて、コボルドがよろめいた。手応えは十分だ。
だが、確かめているヒマはない。残りの二体に背を向けているのだ。
すぐさま後ろを振り返ると、案の定、前方にいた一体が、すでに目の前で剣を振り下ろそうとしていた。
「くそっ」
なんとか、顔の前で受け止めた。
力任せに押し込んでくるのをなんとか押し返そうと踏ん張る。
だが、その瞬間を狙っていたのだろう。左側の一体が胴を狙って横に薙いできた。
(だめだ、受け切れない)
正面のコボルドの剣を右手で押しとどめながら、あらん限りのイメージ力でもって、魔道エネルギーを左肘に集中させる。
そして、脇を締め筋肉に力を込めて、胴に飛んでくる剣を肘で受け止めた。
放電するような激しい音と共に、左ひじが光る。
「グウッッ」
脳天まで達するような激痛が走った。やはり衝撃は完全には吸収できなかったようだ。
だが、斬られることはなかった。単なる打撲で済んでいる。
悠真は、痛みに歯をくいしばりながら、正面のコボルドの剣を押し返すと、ガラ空きの腹に蹴りを入れた。
コボルドはもんどり打って地面にすっ転ぶ。
悠真はすぐに反転し、次の攻撃に移ろうとしていた左側のコボルドの胸に向かって炎の剣を突き出した。剣はいとも簡単に突き刺さった。
「グフッ」
コボルドは、口から血を吹き出すと、その場で倒れた。
(あと一体……)
剣を引き抜いて、地面に蹴り飛ばした一体を振り返る。
それは、すでに立ち上がり、襲いかかってくるところだった。
左手は痺れて使い物にならない。右手一本で構える。
「キャヒー」
奇声を上げが猛然と突っ込んできた。
悠真は渾身の力で、剣を振り下ろす。
だが、コボルドは右に大きくステップしてかわした。
「えっ?」
てっきり剣で受けてくると思いこんでいたため、不意を突かれた。
剣は空振り、地面を激しく打つ。
そこを狙って、コボルドが飛び上がり、悠真の脳天に向かって一撃を食らわそうと振りかぶった。
自分の剣はまだ地面に振り下ろしたままだ。態勢が悪すぎる。悠真は、躱すことも受け止めることもできないことを悟った。
「くっ」
とっさに悠真は、頭から伸び上がるようにしてコボルドに体当りした。振り下ろされる剣に向かって頭を出す形となるが、怯えてはいられない。そして、その顔に頭突きを食らわした。
防御壁が反応して光る。
「ギャヒッ」
コボルドが後ろ向きに倒れこんだ。
悠真も頭に衝撃を受けたたらを踏んだが、何とか踏ん張って堪える。そして、起き上がろうとしているコボルドの胸に、地面ごと剣を突き立てた。
「ガハッ」
コボルドは血を吐いて、すぐに動かなくなった。
「や、やった……のか……」
突き刺さった剣を抜き、辺りを見回して敵が他にいないことを確認する。
そこにあるのは、三体の屍だけだ。
「助かった……」
自分は死なずにすんだのだ。
脱力して、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
同時に、アドレナリンが切れたのか、肘と頭の痛みが一気に襲いかかってきた。
「ぐっ、いててて」
猛烈な痛みに耐えながら、何とかカバンのポケットから、ポーションを取り出して一気飲みする。
体が緑色に発光して、痛みが治まった。
「ふう」
ようやく人心地がつき、悠真は大きく息を吐き出した。
結局、自分一人で3体を倒したのだ。
「見事だったぞ」
その声に驚いて振り向く。どこから現れたのか、マリディアがそばに立って悠真を見下ろしていた。
「マ、マリディアさん、どこにいたんですか。助けに来てくれると思ったのに……」
不満を言いながら立ち上がる。
「その必要はなかったではないか」
「で、でも……」
マリディアは、静かに首を横に振った。
「己の技を磨く以外に、いい戦士になるには2つの経験を積むことが必要なのだ。私はお前にそれを教えたかったのだ」
「それは……?」
「1つは死ぬ恐怖に晒されることだ。己が死ぬかもしれないという恐怖がなければ、ただのイノシシ武者になってしまうからな。そしてもう1つは……」
「もう1つは?」
「それに打ち克つことだ。勇気とは、絶望の時にこそ試されるものだ。いざとなれば誰かに助けてもらえると思っていては、たとえ最強の技を持っていても一人前にはなれんからな」
「なるほど……」
それでも、全て納得できたわけではなかった。
何と言っても自分は死にかけたのだ。
死んでいたらどうするつもりだったのかという気持ちが拭いきれない。
フッと、マリディアが表情を崩した。
「ケイゴも最初そんな感じだったが、お前も何か勘違いしているようだな」
「えっ」
「お前たちの世界は知らぬが、ここでは、人は皆、己の責任において生きることが掟なのだ。逆に言えば、死ぬ時も己の責任において死ぬ、どんな時でもな。無論、人は助け合って生きていかねばならぬ。こんな世界ならなおさらそうだ。だが、だからといって、それを当てにはできぬ。自分が危機に陥った時、相手もまた別のところで生命の危機に瀕していたらどうする? 助けてやりたくても、こちらも魔物に襲われて必死に戦っているということが、ここではよくあるのだよ。それゆえ、どんな時も自分の命に対する責任は自分で負うのだ。お前も、この地にとどまるならそれは知っておいたほうがいい」
悠真はハッとした。
彼女の兵装が血だらけだったのだ。
「マリディアさん、もしかして……」
「ああ。オークの群れが街に向かうのが見えたのでな」
「……」
悠真は愕然となった。
オークといえば身長が2メートルにもなる巨体の魔物だ。それが群れで現れたとなると、いくら彼女でも相当に厄介だったのではないか。
「心配するな。大した傷ではない。少々手間取ったがな。だが、魔物がはびこるこの世界ではよくあることなのだよ。ある意味、常にここは戦場なのだ。甘えは死に直結する。それを覚えておくがいい」
言葉は厳しいが、どこか優しさを感じた。
悠真はうなづいた。
「……分かりました」
「いいだろう。それを理解したお前は、この世界で生きていく資格を得たということだ。後は経験さえ積めば、立派な戦士になれるはずだ。その勇気を忘れるな」
「はいっ。ありがとうございました」
悠真は頭を下げた。
そして、戦闘の跡を振り返る。コボルドの死体が散らばるように横たわっていた。
(何か、自分が変わった気がする……)
ふと、そんな気がして自分の右手を見つめた。
三体を相手に一人で戦えたことは、自分にとって意外だった。
(生まれて初めてかもしれない。覚悟を決めて何かに立ち向かうなんてこと……)
これまではいつも逃げ腰だった。
自分でも何とかなるのかもしれない。そんなほのかな自信を感じた瞬間だった。
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