第8話 アヴァロン・キューブ
「そ、そんなむちゃくちゃな……、ていうか、無理です、そんなの」
悠真は、後ずさりしながら必死で拒絶する。
薫がなだめるように云った。
「そんなに焦らなくてもいいわよ。無理やり飛ばしたりしないから。残念ながら、システムの都合で、意志に反して転送することはできないのよね」
『残念ながら』という言い方が彼女の姿勢を表していて、余計に恐ろしい。
「ほ、ほんとですか。そうやって安心させておいて、いきなり機械を動かしたりとか……」
何しろ、ブラックオペレーションである。何をされるか分かったものではない。しかも国家がこれをやっているのだ、こんなところで人権やら個人の尊厳を叫んでも全く意味がない。悠真は今更ながらに、国家の機密に関わることの恐ろしさを思い知った。
「そうする気なら、最初からそうしてるわよ。それに、ただ向こうに行くだけじゃなくて、あなたにはしてもらいたいこともあるの。だから、無理強いはできない。あくまでもこちらは協力をお願いしたいだけ。もちろん、あなたには断る権利があるわ」
「そ、それならいいんですけど……」
「それに、こんな無茶させるんだから、ちゃんと報酬も出すわよ」
「報酬?」
「ええ。向こうの世界に行くだけで1億円。そして、帰ってきたらもう1億。合計2億円よ」
「2億……」
悠真は唖然とした。
そして、自分の預金通帳の残高を思い出す。
確か、昨日の時点で、生活費込みで5、300円ほど残っていたはずだ。
月末の仕送りまではけっこうギリギリである。
2億円という金額があまりにも非現実的で、ケタもよく分からない。
自分が理解できる数字は、最高級パソコン程度、せいぜい100万円ぐらいまでだ。
「これで、落ち着いて話を聞いてもらえるかしら?」
「え、ええ、まあ……」
やや動揺も収まった。
目も眩む報酬を提示されたからというより、むしろ、そこまでするのなら無下に扱われることもないだろうと思ったからだ。むろん、一大事に巻き込まれたという衝撃からは抜け出せないが。
その時、艦がスピードを落としたような制動を感じた。
「ほら、見て」
薫が前方を指差す。光があまり届かない海中、前方に大きな影がぼんやりと見える。
「あれが、ゆうなみが発見した建造物……古代神殿よ」
「おお……」
それは、巨大なドーム型の構造物だった。
おそらく巨石を積み上げて作ったと思われるが、表面まで非常に滑らかに見える。
「直径108メートル、そして高さが44mの建物で、主神殿と幾つかの小さな祭室に分かれているの。そして、内部で見つかった植物の種子や供物の残滓などを年代測定した結果、おそらく建設されたのは一万二千年前と推測されているわ」
「……そんな昔にこんなものを作れる文明なんてありましたっけ?」
「ないわよ。地上じゃ、ようやく旧石器時代が終わろうとしていた頃だもの。ピラミッドでもせいぜい四、五千年前よ。つまり、私たちの知らない誰かが地球に住んでいたってことね。ただ、伝説ではムー大陸が沈んだのが一万二千年前と言われているわ」
「……」
「しかも、神殿の輪郭は完全な円じゃないの。測定の結果、離心率0.25の楕円で、約17度傾いている。 これが何を指すか分かる?」
悠真は顔を上げた。その数値に聞き覚えがあったのだ。
「……冥王星の軌道だ」
「そう。ご名答よ」
「で、でも、冥王星が発見されたのは近代ですよ」
少し前に惑星から準惑星に降格されたことで話題になったが、実は、冥王星が発見されたのは1930年で、まだ百年も経っていない。地球からあまりにも遠く、観測するのが難しいからだ。今でさえ、詳しいことはよくわかっていない。
「少なくともこの神殿を建てた人たちは一万年以上も前から冥王星の存在を知っていて、しかも軌道を正確に観測できる技術を持っていたということね。そして、どういう理由か、彼らにとって大きな意味を持つ天体だったのよ。もしかすると信仰の対象だったのかもしれないわね」
「……」
畏敬の念に打たれて神殿を見つめる。
「ごらんなさい。あれが入り口よ」
薫が神殿の下部を指差す。
神殿の底から数メートルほど上に大きな空洞が空いているのが見えた。ゆうなみがゆっくりとその空洞に向かう。どうやら、この艦はそこから中に入るようだ。
やがて、空洞から神殿内に入ると、水中がやや明るくなった。光源が内部にあるらしい。その光で、すぐ左手に石の壁が奥まで続いているのが見えた。
壁にそって少しずつ前進してしばらく行くと、艦が停止し、そのまま浮上し始めた。徐々に明るさが増す。
そして、完全に静止した。
下から見上げると、ここからでも水面が見える。つまり、神殿内は水没していないということだ。
「中は空気があるんですね」
「ええ。発見された時から、神殿内は空気で満たされていたの。おそらく、沈むことが分かって、建てられたのね」
「どうして、そんなことが分かるんですか」
「耐圧防水構造になってるからよ。陸地に建てるだけなら、そんな構造にする必要もないでしょ」
「なるほど……」
「接舷するまでもう少しかかるわね」
この区画は水面下にあるが、アクリルガラスからすこし上を見上げるとゆらゆらと海面が揺れているのが見える。
悠真はこれまでずっと疑問だったことをぶつけて見ることにした。
「……でも、どうして僕なんですか?」
こんな大掛かりな方法でここまで連れてくるのだ。悠真でなければならない事情があるはずだ。だが、なぜ学者や特殊部隊を差し置いて選ばれるのかが、どうしても思いつかなかった。
「それはね。装置が人を選ぶからよ」
「えっ?」
「転送には条件があって、誰でもその装置を使えるわけじゃないのよ。特に重要な条件が二つあってね。一つは、向こうの世界に行きたいという意思を持つこと。これが、無理やりあなたを送り込めない理由ね。行きたくない人を転送できないのよ、残念ながら、ね」
さっきの慌てようをからかうように薫が微笑む。
悠真も、苦笑いするしかなかった。
「は、はは……もう一つは?」
「ふふ。そして、もう一つは……、特定の遺伝子を持っているということよ」
「遺伝子?」
意外な言葉を聞いた気がして、悠真は聞き返した。
この神殿は確かに高度な技術の結晶ではあるが、遺伝子が関係するようなテクノロジーとは方向が違うように感じたのだ。
「そう。おそらく、一万二千年前にその機械で向こうの世界に行った人たちが持つ遺伝子ね。そして、あなたは、その遺伝子を持っているのよ」
「ぼ、僕が、その遺伝子を持ってるって、それってどういうことですか……?」
「あなたが彼らの末裔ということよ」
「……」
何言ってんだ、この人は?
それが悠真の心に最初に浮かんだ反応だった。
あまりにも非現実的なことが立て続けに起こって、それを受け入れるのを頭が拒否している。すでに、自分のことのようには聞こえていない。
悠真が固まったのを見て、薫が説明を続けた。
「これは、現時点での推測なんだけど、かつてここに陸地があり、数十万を超える多くの人が住んでいた。島程度の規模じゃないわ。それは、この神殿を建設するために必要な建材と人手を考えれば間違いない。そして、どうしてかこの地が沈むのを悟った彼らは、神殿を建て、この異世界転送装置で脱出することを考えたのね。同時に、自分たちの種族だけが向こうの世界に行けるように、遺伝子を使って転送者を選別した」
「……」
「ただ、少数とはいえ、この遺伝子を持つ者がまだ現代にも残っていることから考えて、全員が向こうの世界に行ったわけじゃないの。かなりの人数が、船か何かで脱出することを選んだのね。そして、その何割かは、まだ新石器時代が始まったばかりの日本へ到着した。やがて、時が経ち、交配も進んで、遺伝子だけが残ったというわけよ。現在、その遺伝子を持つ人は、人口比0.001%前後、つまり十数万人に一人と推定されているわ」
「……その一人が僕ということですか?」
「そうよ」
「それを僕に信じろと……?」
「まあ、あくまでも推測だから、信じるかどうかはあなた次第よ。ただ、転送装置が存在するのも、あなたが
「……でも、僕がその遺伝子を持っているってどうやって分かったんですか」
遺伝子を検査すること自体は、髪の毛や血液からできるとしても、日本全国からどうやって自分を見つけたのか悠真は疑問だった。
「あなたの場合は、去年の歯科検診で口の粘膜を採取したのよ」
「え」
「去年の11月に学校で臨時の歯科健診があったでしょう? 不思議に思わなかった?」
「え、ええ……そういえば、春にもやったのになんでもう一回やるのかなって」
「統計的にあなたの住んでいる地域は、キャリアがいる確率が高かったの。そこで、全ての教育機関と公立病院で適当な理由をつけて手当たり次第に遺伝子を入手したのよ。数万は調べないといけないと覚悟したけど、そこまで行かずにあなたが見つかったわ。今年の2月のことよ」
「……」
悠真は、何と言ったらいいのか分からず口をつぐんだ。自分の知らないところでこんな大掛かりなことが起こっていて、しかも、5ヶ月も前から自分がターゲットにされていたのだ。
その時、ドアがノックされて、先ほどの隊員が入ってきた。
「失礼いたします。本艦は神殿内に浮上、接舷作業終了いたしましたので乗降ハッチまでお越しください。ご案内いたします」
「わかったわ。ありがとう。さあ、行きましょう」
「は、はい」
薫に促されて我に返り、悠真は共に隊員の後について、再び、狭い艦内の通路を歩く。
はしごを登り、ハッチから出ると、そこは海底神殿の中だった。
「おお……」
思わず声が漏れる。
一万二千年前に作られた空間に圧倒されながら、悠真は、岸から渡された舷梯(げんてい)を渡って岸壁に降りた。
幅は100メートル、奥行き20メートルほどの広いスペースで、天井は二階の高さほどある。
両側の壁際にはいくつか足場が組まれ、照明が取り付けられており、辺りは明るい。白っぽい石でできていることもあるだろう。
周囲には様々な機材とコンテナが多数整然と置かれている。酸素供給装置らしき機械も何台かあった。
何名かの隊員と白衣を着た研究員たちが作業しているが、全体的にがらんとしていた。ここは、単なる資材置き場と、発着口として使用されているらしい。
奥にはこの先に続く入り口が、両側と真ん中に見える。
振り返ると、神殿の幅いっぱいに奥行30メートルほどがプールのように海水で満たされており、それをドックとしてゆうなみが接舷している。隊員たちが荷物の積み下ろしをしていた。
「こっちよ」
「……はい」
薫の後について真ん中の入り口をくぐると、そこは広大な空間だった。おそらく、主神殿だ。
「な、なんだ、ここ……」
思わず立ち尽くして、中を見渡す。
最初に悠真の目に止まったのは、広大さと、空間を覆う漆黒だった。
幅と奥行き数十メートル四方、大聖堂のようなドーム型の天井に、床も壁も天井も磨かれた黒い御影石で造られていた。
この広さの中にいるだけでも迫力を感じるのに、なにもかも黒いだけでこれだけ圧倒されるとは思いもよらなかった。まさに荘厳な空間である。
松明かろうそく用と思われる燭台がいくつか壁に付けられているが、酸素の消費をはばかったのか、使われていない。岸壁にあったのと同じ、現代の照明装置があたりを照らしている。ただ、広さに対して照明が足りていないのと、神殿内が真っ黒な材質で出来ているため、全体的な照度は低い。照らされているのは中央部と、最奥の壁面だけだ。
そして、主神殿の中ほどには、直径10メートル、高さ30センチほどの大きな円形のステージがあった。
白い石で造られており、黒一色の中で目立つ。
問題は、その中心に置かれているものである。
(なんだ……あれは……?)
それは、一辺が1.5メートルほどの立方体だった。
のっぺりした黒っぽい金属らしき材質だが、どういう原理か、淡く青い光に包まれていた。立方体が光を放っているというよりも、光を纏っているように見える。それが、ゆらゆらと揺れている。
これまでに見たことも聞いたこともないような、不思議な
そこからすこし離れたところに、大きなスクリーンやコンソール、その他の機器が何台も設置されている。おそらく薫たちが持ち込んだものだろう。
十人ほどの、白衣を来た研究者たちがその機器の前に立ち、熱心に操作していた。
科学的な空間は、この古代神殿にあってはむしろ異質な雰囲気を醸し出していた。
「悠真くん、こっちに来て」
気が付くと、薫はひとり、ステージのそばからこちらを振り返っていた。
悠真も、恐る恐る薫のところまで行く。
低い、唸るような音が微かに立方体から聞こえてくる。
そこまで近づいて、初めて気がついた。立方体を包んでいる淡い光が、ステージの床も覆っているのだ。
だが、ステージに何か発光する仕組みがあるとは思えない。単なる白い御影石である。
つまり、この立方体が光らせているのだろう。
「か、薫さん、もしかして、これが……」
言葉が喉につかえそうになるのをこらえ、ようやくこれだけ口に出した。
「そう。これが異世界転送装置、通称アヴァロン・キューブよ」
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