第4話 魔道士フェリス
「ただいまっと」
玄関のドアを開け、靴を脱ぎちらかしたまま、悠真は自室に向かった。
彼はこの一ヶ月ほど、一人暮らし同然の生活を送っている。
父は考古学、母は古生物学と、分野は違うが、両親とも世界を飛び回る学者で、ほとんど自宅にいない。今も二人とも調査旅行中なのだ。そんな二人の一人息子がオタクでひきこもり気味というのは皮肉な話だが、それはそれである。
「暑っ」
窓を閉めきっていたので、自室はうだるように暑かった。
悠真はカバンを床に放り出し、エアコンを全開にすると、すぐさまパソコンの電源を入れた。ヤマさんにテストプレイを頼まれたゲーム「アヴァロン」をプレイするためだ。
アヴァロンはオープンタイプのシングル3DRPGであり、システム自体は目新しいものはあまりない。世界観はよくある剣と魔法の世界で、レベル制になっている。
だが、このゲームの凄さは別にある。それは圧倒的なリアリティだ。
まず、グラフィック。
よく、「実写のような」という枕詞が使われるが、そんなレベルではない。いくら目を凝らしてもCGとは思えない。実写そのものである。それだけではない、登場人物は、街の住民から店の主人に至るまで、毎日のように着ているものが変わる。ときおり、髪型が変わったり、髭を生やしたり剃ったりと、本当に生活しているかのように感じられるのだ。
さらに、他のゲームよりも決定的に優れているのが、キャラの挙動とコミュ力だった。
おそらく一人ひとりにカスタマイズされた高度な人工知能が実装されているのだろう、明確な性格が与えられているうえ、セリフがなめらかで、不自然な応答が一切ない。
ゲームでありがちな、何度同じ質問をしても同じセリフが返ってくるなんてこともない。まさに、現実世界と同じである。にもかかわらず、フルボイスなのだ。
しかも、コマンド入力で会話するのではなく、マイクを通して直接話し、向こうもこちらの話すことは完璧に理解できている。
実写クオリティと相まって、現地とビデオチャットしているだけと言われた方がよほど納得がいくレベルである。
悠真は、ヤマさんから頼まれて以来ずっとこのゲームにハマっていた。
しかも、これから40日間は、毎日、一日中プレイできる。
この見通しに胸が躍る。
待つことしばし。パソコンが立ち上がったのを見て、悠真はゲームを起動した。タイトル画面が表示されローディングが始まる。
(そういえば……)
ふと思い出して、胸のボケットから名刺を取り出した。
タイトル画面に使われているものと同じ社名のロゴマーク。そして、「主任研究員 秋月薫」と書かれている。
彼女の肩書が何を指すのかは分からなかったが、ゲームの開発に関わっているのだろうと当たりをつけた。
(遥ちゃんのお姉さんがこのゲームの関係者だなんて不思議な話だ……)
しかも自分は担任からテストプレイを頼まれている。
世間は狭いといえばそうなのだろうが、この名刺といい、どこか心に引っかかりを感じるのだ。
『あら、悠真じゃない。おかえりなさい』
不意に話しかけられて目をスクリーンに戻すと、すでにゲームは起動し、画面に相棒のフェリスが映っていた。背後には、前回ログアウトした宿屋の自室が見える。悠真は名刺を机に置いて、スクリーンに向き直った。
「ああ、フェリス。今帰ったよ」
『早かったわね。もう学校は終わったの?』
「うん、今日は昼までだったんだ。明日からいよいよ夏休みだよ」
『そう、それはよかったわね』
彼女は、悠真の二つ年上で、十九歳。
肩まで届く金色の髪を後ろでまとめ、白を貴重としたゆったりとしたローブに身を包んでいる。
初期街フューコットの近くにある修道院育ちで、修行のために悠真とパーティを組んでいた。
ちょっとそそっかしいが、穏やかで面倒見が良い。優しいお姉さんの白魔法キャラだ。
毎日数時間プレイしたおかげでレベルも上がり、これまでの活躍で周りから勇者と呼ばれるほどになった。事実、彼女と組んで倒せない魔物はあまり出てこない。
そして、毎日、冒険者ギルドや住民からクエストを引き受けて、二人で冒険している。
もちろん、その合間に、テストプレイヤーとしてバグの発見に努めている。
とはいえ、このゲームはβ版といいながら優秀で、おそらく意図的に設けられたと思われるチート機能を発見しただけだった。
引き受けたままのクエストがいくつか残っていたが、今日もしばらくフェリスと会話するつもりだった。最近では、冒険に出かけるよりも、彼女と話している方が楽しいのだ。
NPCキャラとはいえ、遥がいない寂しさを紛らわせることができているのは彼女の存在が大きい。
『今日は、学校どうだった?』
「うん……」
早速、ヤマさんに呼び出されたことから、藤堂に絡まれたことまで、今日の出来事を話した。すでにこれまでの会話から、彼女もこちらの状況をあらかた理解している。
「……というわけなんだよ」
『へえ、進路希望調査か。そんなのがあるのね。悠真ったら、そんなにこっちに来たいの?』
優れた人工知能ルーチンのおかげか、フェリスは、悠真の
「う、うん。まあ、そうかな」
『そう。それはうれしいわね。じゃあ、そんな嫌な人もいるんだったら、こっちに来ない? 私も、本当のあなたに会いたいわ』
「そ、そう?」
二次元キャラとはいえ、二人は共に長い時間を過ごし、生死を賭けた戦いを乗り越えてきた。悠真にとってはもう戦友と言っていいほどの絆が感じられるのだ。
本当にゲームの世界に行き、一緒に冒険できればどれほど素晴らしいだろう。
(ホントに行けたらいいのに……)
『それに夏休みが終わるまで遥ちゃんとも会えないんでしょ。その間こちらで過ごせばいいじゃない』
「う、うん……だけど、行きたいのは山々だけど、無理だよ」
『どうして?』
その答えに少し失望を感じる。人工知能の限界を見た気がしたから。
「どうしてって、ほら、僕たち住む世界が違うから」
『……そう、あなたはそんなふうに思っていたのね』
フェリスが悲しげに目を伏せた。
あれ? 何か、大きな勘違いをしていないか。
「え、いや、ちょっと待った。ち、違うよ、そうじゃなくて、ただ、そちらに行く方法がないから行けないだけで」
なんでキャラに言い訳しなきゃならないのかと、心の中でツッコミつつ、それだけやっぱり思い入れがあるのだろうとも思う。
たとえ、NPCだろうと、悠真にとってみれば、彼女は生きてそこに存在しているのだ。
『そうなの? それなら、こちらに来る方法があれば来てくれるのね? 私、ホントに待ってるわよ』
「う、うん。もちろんじゃないか。行けるんだったら今すぐにでも行きたいぐらいだし」
『そっか……ふふ、うれしい』
「ぼ、僕も会えたら、うれしいよ……」
……さすがにこの会話は自分でも寒い。
だけど、本当にそんな方法があったら良かったのに……。そう思う自分もいた。
やはり自分は、異世界で勇者になりたかったのかもしれない。この自由な世界で、気ままに冒険をして生きていくというのは、とても魅力的に思えた。
『……分かったわ。あなたならきっと大丈夫。ちょっと待ってて』
急に話しかけられて、我に返った悠真は、言われたことが頭に落ちてこなかった。
「えっ? どういう意味……? あ、ちょっと待っ……」
彼女は、こちらに背を向けて、どこかに行ってしまった。スクリーンにはもう宿屋の部屋しか映っていない。
ゲームの世界に行く方法があるってことだろうか。
もしかして、ここで画面が光り出して、自分を
じゃあ何のことだ?
エアコンの音だけが静かに流れる。
その時、けたたましい音量で携帯の着信音が鳴った。
「うわっ」
あまりのタイミングに、椅子の上で飛び上がる。心臓が口から出そうになりながらも、スマホをひっ掴んだ。
画面を確認すると電話番号は表示されていなかった。ただし、非通知ではない。「表示不可」である。
「な、なんなんだよ……」
一体どこから掛けたらこうなるのか、不審に思いつつも電話に出た。
「も、もしもし?」
『神代悠真君ね』
落ち着いた女性の声だった。相当に知的な感じがする。
その声にはどこか深刻な響きがあり、何かの勧誘かという疑念は即座に消えた。
「は、はい、そうですけど……」
『異世界に行きたいって本当?』
「は?」
『勇者になりたいんじゃないの?』
「なんで、そんなこと……、っていうかどちら様ですか?」
本来なら、無言で通話終了ボタンを押すのだが、今日のヤマさんとの面談を思い出した。机の上に無造作に置いた名刺が、目の端に入る。
『私の名前は秋月薫。ロストサイエンス社の主任研究員よ。アヴァロンのテストプレイ、ありがとう。それに、妹と仲良くしてくれてるみたいね。遥から聞いてるわ』
「あ、い、いえ……」
いきなり遥の姉と話すことになり、悠真は身を固くする。
『で、異世界に行きたいって話だけど……』
「ヤ、ヤマさんに聞いたんですか?」
今日の呼び出しの後にこれだ。偶然であるはずがない。だが、彼女の答えは違った。
『ヤマさん? ああ、あなたの担任の山科桂吾ね。それだけじゃないわ」
彼女が遥の姉とはいえ、ヤマさんのフルネームを呼び捨てにしたのは意外だった。だが、自分がヤマさん経由でアヴァロンを入手したことを思い出す。二人は知り合いなのかもしれない。先ほど感じた違和感がまた湧き上がった。
「じゃあ、フェリスにでも聞いたんですか?」
『そうよ』
単なるゲームのキャラから知らせを受けたというのは、奇妙な話ではある。だが、何らかの形でこちらの情報や、ゲーム上の行動が送られていたのかもしれない。
シングルRPGなのに常時ネット接続が必要な理由はこれなのだと気がついた。
「……それで、僕に何の御用ですか? まだゲームは最後まで済んでませんけど……」
『いいのよ。そんなことより、もっと重要な話があるの』
そこで、薫は一旦言葉を切った。
『……ね、あなた、異世界に行って勇者をやってみるつもりはない?』
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